第六章・並ばない数字
近隣諸国との交易記録、国境付近の巡回報告、各拠点の通信記録──種類の異なる文書を時系列で並べ、抜け落ちた部分を補いながら目を通していく。
頁をめくるたび、机に積まれた紙束の匂いが微かに立った。
静かすぎる部屋に、その音がひっそりと落ちていく。
「……整いすぎている」
溢れた声は乾いていた。
狼国側の兵の動きに、妙な規則性が生まれていた。
一見すると散発的な小競り合いに見えるが、配置された兵の位置を線で結ぶと、見事に一定の間隔で並んでしまう。
本来の狼国なら、そんな均整の取れた動かし方はしない。
彼らは地形を読み、必要な地点にだけ最小限の戦力を置く。感情的な衝突はあっても、全体に不自然な揃い方が出るはずがない。
ゼクスは地図を広げ、指先で境界をなぞった。
黒く引かれた線の上に、狼国の兵の位置と獅子国の哨戒線が重なる。
「……噛み合いすぎている」
わずかに眉が寄った。
偶然という言葉では片づけられない一致だった。
獅子国と狼国──本来はもっと不規則な動きになるはずの二つの軍が、まるで見えない線に導かれたように互いを刺激し合う位置を取っている。
互いの不信を煽り、衝突を自然発生させるための布陣。
その意図が読み取れるほど、数字は滑らかに繋がっていた。
ゼクスは別の書類を手元へ引き寄せた。
王都へ送られた報告書の写し──境界の情勢を記したものだ。
紙に刻まれた筆跡は、癖が強い。
強調すべき単語だけに重みを置き、それ以外は余白に逃がすような文体だった。
《狼国兵、挑発行為を続行》
《火矢の痕多数。意図的な衝突の可能性》
読み上げながら、ゼクスは眉間を指で押した。
「……誇張されている。現場の言葉と合わない」
境界にいる兵の報告はもっと淡々としている。
火矢の痕があったとしても、見せかけの挑発か、あるいは風に煽られた事故に近いものだった。
なのに、この写しは戦火の兆しを前提にまとめられている。
現場の声よりも、王都に火種を運ぶことに重きが置かれていた。
ゼクスは椅子にもたれ、書面の束に目を走らせた。
狼国の動きに規則性が生まれた直後、かならずと言っていいほど誰かが王都に過激な内容を送りつけている。
記名はない。
しかし、文体と筆圧だけは誤魔化せない。
その癖は──何度か見たことがある。
ゼクスは手元のペンを転がし、もう一度地図の中央へ指を置いた。
狼国の警戒線、獅子国の哨戒線、境界の焼け跡。
それらを繋ぐ線が、ある方向へまとまって伸びている。
「狼国には利がない。挑発を続ければ、自分たちの土地が揺らぐ」
呟きながら、ゼクスは過去の交易記録を取り出した。
狼国は、食材や薬草の確保に常に慎重だ。
余計な戦で兵を割けば、守りが手薄になる。
そんな無謀を続ける国ではない。
それにもかかわらず、火種は途切れない。
資料に目を凝らすうち、胸の奥でひっかかりが形を取った。
「……動いているのは、境界の兵ではない」
時系列を追うと、狼国が動いた直後、必ず獅子国側の強硬派から王都へ報告が届いていた。
その報告は決まって、境界の状況より一段階強い言葉でまとめられ、まるで戦へ踏み出すための根拠を作るかのように整えられている。
ゼクスは写しの一枚を取り上げた。
文の末尾にだけ、不自然なほど力のこもった筆跡が残されている。
《備えを急ぐ必要あり》
あの筆跡──王宮内で、限られた者しか使わない癖だった。
その人物は、王都の政治を担う中枢にいる。
そして、状況を操るには十分すぎるだけの立場を持っていた。
ゼクスの黒い瞳が細められた。
「……これは、獅子国の中から生まれた火だ」
喉の奥で言葉が重く落ちる。
狼国が動いたのではない。
双方の配置を噛み合わせている見えない手が、境界に火を撒いている。
ゼクスは椅子から身を起こし、ゆっくりと机へ両手をついた。
紙の匂いよりも濃い、策謀の温度がじわりと肌へ張り付いてくる。
(境界で火が上がれば、王は動かざるを得ない。そして、火が大きくなればなるほど、得をする者がいる)
誰かの思惑が、地図の上の線を操り、兵の心を揺らし、国を焼こうとしていた。
その相手は、狼国ではない。
獅子国の内側に潜んでいる。
ゼクスは深く息を吸い、机上の紙束を端から整えた。
散らかった数字がひとつの像を結んだ今、黙っている理由はなかった。
ただし、相手に近づくには慎重さが必要だ。
下手をすれば、こちらが煙の中へ飲み込まれてしまう。
「……王に届けるべきだが、タイミングは見極めねば」
そこまで考えたところで、密談室の外を兵の影が横切った。
足音が遠ざかると、部屋に再び紙をめくる音だけが返ってくる。
ゼクスはペンを握り直し、報告書の下書きへ新たな一行を記した。
《境界の動きに、人為的な偏りを確認》
書き終えた瞬間、胸の奥で小さな熱が灯った。
これはただの調査ではない。
国家を揺らす火種を暴く、最初の一手だった。
獅子国の中に潜む〝火の主〟。
その正体に迫る道が、ようやく見え始めていた。




