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暁の獣恋譚  作者: 白川桜蓮


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第五章・朱の羽衣

 昼が満ちる頃、紗世は侍女たちに囲まれ、朱雀祭についての説明を受けていた。

 この国では一年の節目とされ、火が育む力や、滅びの先に芽吹く再生を象徴する大祭だという。王家にとっては国の安寧を祈る重要な儀式で、王妃となる者はかならず参列する決まりであると聞かされた。

「紗世様も、この国に迎えられた証としてお召しください」

 ルナが両手で差し出した衣は、深い赤を基調にしたものだった。

 陽に透かすと布地が淡い炎のようにきらめき、胸元と袖口には緋色の刺繍が重ねられている。金糸が鳥の羽を思わせる軌跡を描いており、朱雀祭という名がそのまま形になったような華やかさがあった。

「私が……これを?」

「朱雀祭は火の巡りを祝う日です。赤はその象徴ですから、皆が身につけます」

 ミレイアが補うように言った。昨夜の疲れはまだ残っているはずなのに、彼女は紗世の表情を細かく気遣うように見つめている。

 侍女たちが衣の広がりを確かめながら着付けの準備を始めると、部屋の空気がわずかに引き締まった。

 布を持つ手つきは熟練され、紐を取る所作も迷いがない。重ねられる赤の層に、紗世の身体は少しずつ包まれていく。布が触れるたび、肩のあたりに新しい重みが落ちる。

 着付けが整い、鏡の前に立つと、そこに映ったのは自分と呼ぶには躊躇する女性だった。

 頬の輪郭が強調され、目元には異国の風が宿ったような陰影が生まれている。

(本当に、私……?)

 胸の奥が不安に震えた。

 図書館で淡々と本を扱っていた自分が、この宮廷の祭りに立つ。理屈では理解していても、姿だけが現実と離れていく気がしてならなかった。

(私なんかが参加してもいいのだろうか)

 心の奥に沈んでいた弱さが浮かび上がり、衣の赤がその弱さを際立たせる。

 異国の色彩をまとった自分が、場違いに思えて仕方ない。

 重ねられた布の圧が、資格のなさを浮き彫りにするようだった。

「紗世様」

 ミレイアが傍へ歩み寄る。

「朱雀祭は〝生きたいと願う者のための祭り〟です。身分ではなく、その願いを抱く心に祝福が降ります」

 その声は、紗世の胸に残っていたざわめきを丁寧に解くようだった。

 昨夜、ミレイアの苦しみに触れた時、自分の内側で生まれたあの感覚が一瞬よぎる。繋がりが小さく灯り、それが胸に広がる。

「お似合いです。緋の色が、紗世様の表情を明るくしてくれます」

 帯を整えていたルナが言う。

 髪飾りが添えられると、顔のあたりに小さな赤い宝石が揺れた。その赤が心の奥にわずかな熱を落とす。

(私のことを気にかけてくれる人がいる)

 この宮で過ごしはじめたばかりで、孤独ばかりを意識していた。

 だけど、こうして声をかけてくれる者がいる。それだけで、胸の奥の暗がりが少し薄くなる。

 侍女たちの所作が整い、衣の端がふわりと揺れた。

 紗世は胸の前で指を重ね、赤の衣が身体に馴染む感覚を確かめる。

(……私は、この場で息ができるのだろうか)

 問いはまだ消えない。

 それでも心の奥には、小さな灯りが確かに芽吹いていた。

「祭りの準備が整いましたら、お迎えにあがりますね」

「衣に窮屈なところがないか、あとでまた見に参ります」

 ルナとミレイアの言葉が続き、部屋の空気が穏やかに満ちていく。

 紗世は二人の気遣いを胸の奥で受け止めながら、姿見に映る自分へ改めて向き合った。

 重ねられた赤は、先ほどよりも鮮やかに見えた。

 色彩に飲まれていたはずの自分が、今はその中心に立っている。衣の重みには不安を圧すような圧迫感ではなく、形を与えるための芯のような力があった。

 侍女たちが部屋を出ていくと、静寂が戻った。

 紗世は胸元へ手を添えて息を整える。緊張で強張っていた身体が、赤の衣を通して徐々に温まっていく。

(昨夜のことが、まだ胸に残っている)

 ミレイアの苦しみに触れた時、確かに自分の中でなにかが呼応した。

 誰かの痛みに寄り添うだけではない。触れた瞬間に、奥底で別の気配が動き出した。それは言葉にできないのに、嘘ではないと直感で理解できた。

(あれは、偶然だったのだろうか)

 問いを深めるほど、胸の奥が熱を帯びる。

 不安と同居しながらも、その熱は紗世を支えてくれるようだった。

 裾を軽く持ち上げながら歩くと、衣は赤い翼のように広がった。

 重さが足元へ流れ、歩みに合わせて揺れた布が空気を変えていく。

 宮廷での生活は慣れないことばかりだが、衣を身につけた瞬間から、紗世の存在が少しだけ強まったように感じられた。

 窓の外では、祭りの準備が進んでいるらしく、小さな音が続いている。

 装飾品を運ぶ車輪の音、祭壇へ向かう侍女の軽い足音、そして儀式に使われる器を清める水音。宮廷全体がひとつの節目に向かって動いているのが分かった。

(私も、その流れに加わるのだ)

 改めて思うと胸がふわりと浮くような感覚がした。

 自分に務まるのかという不安は消えないが、それ以上にそこに立ってみたいという意志が、胸の奥で確かに息づいている。

 再び鏡を見たとき、紗世はそっと唇を引き結んだ。

 たしかにまだ迷いはある。

 しかし、昨夜の繋がりが背を押し、この赤い衣が心を支えてくれる。

(あの時と同じだ。誰かの痛みに触れた時のように、私の中でなにかが動いている)

 胸の鼓動が深く打ち、衣の内側に熱が満ちていく。

 それは恐れではなく、今を受け入れようとする意志だった。

「……行こう」

 小さく呟いた声が赤の層に吸い込まれる。

 その瞬間、迷いの影が薄れ、赤い羽衣が紗世の背を押した。

 この日、朱の色をまとった自分に、ようやく一歩を許せた気がした。

 祭りの始まりとともに、自分の中で生まれた新しい在り方もまた、息を吹きかえしつつあった。


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