辺境の城に生贄として捨てられた令嬢ですが、そこは至高のグルメ天国でした
新作です。
ガタガタと、車輪が石畳を跳ねる音が響く。
窓の隙間から入り込む風は冷たく、私、リリアナの薄汚れたドレスを通して肌を刺した。
「……寒い」
思わず漏れた呟きは、白い息となって虚空に消えた。
私の実家である男爵家では「穀潰し」と呼ばれ、屋根裏部屋で残飯を漁って生きてきた。
母は私が幼い頃に亡くなり、後妻に入った義母と、その連れ子である義姉には、それはもう徹底的に虐げられたものだ。掃除、洗濯、料理の下準備。使用人以下の扱いを受け、食事は彼女たちが食べ残したパンの耳や、野菜の皮だけ。
そんな私に、ある日突然『お役目』が回ってきた。
「リリアナ、お前のような役立たずでも、家の役に立つ時が来たよ」
義母は歪んだ笑みを浮かべて言った。
この国、レイルード王国の北の果て。そこには『氷の城』と呼ばれる場所があり、数百年前から恐ろしい『氷の魔公』が住んでいるという伝説がある。
最近、北からの寒波が激しくなり、作物が不作続きだった。これは魔公の怒りであり、鎮めるためには、若い娘を生贄に捧げねばならない。そんな迷信を領主である父は信じた。
当然、愛しい義姉をやるはずがない。白羽の矢が立ったのは、いてもいなくても変わらない私だった。
「……これで、やっと休めるのかな」
馬車が止まった。御者は「ここまでだ」と短く告げると、私を雪の中に放り出し、逃げるように去っていった。
目の前には、吹雪の中にそびえ立つ巨大な城。
黒い石材で作られた巨城は、まるで墓標のように見える。
私の身体はもう感覚がない。穴だらけの靴の中で、足の指はとうに紫に変わっているはずだ。
ここで凍え死ぬか、魔公に食い殺されるか。
どちらにしても、あの屋根裏部屋で罵倒されながら生きるよりはマシかもしれない。
私は最後の力を振り絞り、重厚な扉に手をかけた。
ギギギ、と重い音がして扉が開く。
中に入ると、意外なことに暖かかった。
そして信じられない匂いが漂ってきた。
「え……?」
それはバターをたっぷりと使って肉を炒めたような、香ばしく、濃厚な香り。私の知っている『生贄の祭壇』のイメージとはあまりにかけ離れていた。
「誰だ?」
不意に地の底から響くような低い声がした。
ビクリと震えて顔を上げると、ホールの階段の上に一人の男が立っていた。
長身痩躯。漆黒の髪に血のように赤い瞳。その肌は白く、整いすぎた顔立ちは人間離れしている。
彼こそが、氷の魔公だとすぐに分かった。
「あ、あの……私は、リリアナと申します。その、生贄として……」
「生贄?」
男は眉をひそめ、階段を降りてくる。その威圧感に、私は思わず後ずさる。
殺される。食われる。そう覚悟して目を閉じた私の鼻先に、男の顔が近づく。
「……痩せすぎだ」
「はい……?」
「骨と皮ばかりで出汁も取れそうにない。それに、なんだ、その顔色は。死人が歩いているのかと思ったぞ」
――氷の魔公ジルベール。
噂に聞くその名の主は、呆れたようにため息をついた。
そして私の手首を掴む。
その手は驚くほど大きく、そして温かかった。
「ついてこい」
乱暴に手を引かれ、連れて行かれたのは広大なダイニングルームだった。長いテーブルの上には、見たこともない料理が並んでいた。
黄金色に輝くパイ包み焼き。
湯気を立てる、具だくさんのクリームシチュー。
分厚い肉のローストからは肉汁が滴り落ちている。
「こ、これは……?」
「俺の夕食だ。だが、一人で食うには少し作りすぎた」
彼は椅子を引き、顎で座れと促してきた。
「食え」
「え……? で、でも、私は生贄で……」
「生贄だろうが何だろうが、俺の前で腹の虫を鳴らされるのは不愉快だ。食って静かにしていろ」
言われてみれば、私のお腹は限界を超えて悲鳴を上げていた。
毒が入っているかもしれない。太らせてから食べるつもりかもしれない。でも、目の前のシチューの香りは、あらゆる理性を吹き飛ばすほど暴力的だった。
私は震える手でスプーンを掴み、シチューを口に運んだ。
「っ……!」
舌に触れた瞬間、口の中に広がったのは、濃厚なミルクの甘みと野菜の旨味。とろりと煮込まれた肉は、舌の上でほろりと崩れるほど柔らかい。
温かい。美味しい。生まれて初めて味わう『ちゃんとした料理』の味に、私の目から涙が溢れ出した。
「う、うぅ……おい、しい……」
「……泣くほどか?」
彼は少しバツが悪そうに頬をかいた。
それから、私の皿に次々と料理を取り分け始める。
「ほら、こっちのローストも食え。北の山脈で獲れた『雪見牛』だ。脂が甘くて美味いぞ」
「はいっ、ありがとうございます……!」
私は泣きながら夢中で食べた。これが最後の晩餐でも構わない。そう思えるほど、それは幸せな味だった。
◇
翌朝、目が覚めると、私は天蓋付きのふかふかのベッドにいた。夢だったのかと思ったが、お腹が満たされている感覚は現実だ。部屋には暖炉が燃え、窓の外は相変わらずの吹雪だが、室内は春のように暖かい。
「起きたか」
部屋に入ってきたのは、エプロン姿の彼だった。
(魔公がエプロン……?)
「朝食ができている。顔を洗ってこい」
言われるがままに食堂に行くと、そこには焼きたてのパンと、ふわふわのオムレツ。そして新鮮な野菜のサラダが並んでいた。
「あの、ジルベール様……。わ、私はいつ食べられるのでしょうか?」
「は?」
コーヒーを飲んでいた彼が怪訝な顔をする。
「食べられるとはどういう意味だ?」
「ですから、私は生贄なのでジルベール様の胃袋に……」
「馬鹿を言え。俺は人間など食わんし、不味そうで食う気も起きん」
彼は鼻で笑った。
「俺はこの城で趣味の料理と、魔法の研究をして静かに暮らしているだけだ。魔公だの生贄だの勝手に騒いでいるのは里の人間だろう」
どうやら、すべては誤解だったらしい。彼はただの強大な魔力を持った引きこもりの美食家だった。
「じゃあ、私は帰ったほうがいいのでしょうか……?」
実家に帰れば、またあの地獄の日々だ。いや、生贄として出した娘が帰ってくれば、今度こそ殺されるかもしれない。
私の絶望を察したのか、彼はパンをちぎりながら告げる。
「帰りたいなら送ってやるが、外はこの吹雪だ。春になるまでは馬車も出せんぞ」
「え……」
「それに、お前のようなガリガリの娘を放り出したら、俺の目覚めが悪い。掃除や洗濯くらいはできるのだろう?」
「は、はい! できます! それだけはずっとやってきましたから!」
「なら、春まではここに置いてやる。その代わり、家事を手伝え。俺は料理以外は面倒でな」
こうして、私の奇妙な同居生活が始まった。
彼との生活は控えめに言っても『天国』だった。
私の仕事は城の掃除と洗濯。広い城だが、彼は魔法で汚れを弾く結界を張っているので、埃もそれほどたまらない。実家での重労働に比べれば、遊びのようなものだ。
そして何より食事がすごい。彼は極寒の地だからこそ手に入る食材を求めて、この地に住んでいるらしく、食材へのこだわりが半端ではなかった。
「リリアナ、今日は『氷結カニ』が獲れた。身が引き締まっていて甘いぞ。こいつは鍋にする」
「わぁ……! こんな大きなカニ初めて見ました!」
「出汁で雑炊を作ると絶品なんだ。ほら、もっと食え。お前はまだ痩せすぎだ」
彼は、私が美味しそうに食べると、とても満足そうな顔をする。一見、不愛想で怖いけど、根はとても優しい人だった。
私が重い洗濯籠を持っていると、無言で魔法を使って運んでくれるし、夜中に寒くて目が覚めないようにと、湯たんぽ代わりの魔石を持たせてくれる。
日に日に私の頬には肉がつき、肌には艶が戻ってきた。鏡に映る自分は、以前の死人のような姿とは別人のようだった。
「リリアナ、そのドレスはなんだ?」
「え? 実家から着てきたものですが……」
「ボロ布じゃないか。街へ行くぞ」
ある日、彼は私を連れて、転移魔法で王都の高級店へ行った。
そこで、淡いピンクや水色の可愛らしいドレスを次々と注文してくれたのだ。
「ジルベール様! こんな高価なものは、私には……!」
「俺が着せたいんだ。黙って着ろ」
新しいドレスに袖を通した私を見て、彼は少し目を見開き、そっぽを向いて言った。
「……悪くない。やはり素材が良ければ磨けば光るな」
その耳が少し赤くなっているのを見て、私の胸はトクトクと高鳴った。
使用人以下の扱いしか知らなかった私が、こんなに大切にされるなんて。
この幸せな時間が、ずっと続けばいいのに。
でも、春は刻一刻と近づいていた。
◇
雪解け水が小川を作り始めた頃。
城の前に一台の豪華な馬車が停まった。
降りてきたのは見覚えのある太った男と、派手なドレスの女。
――父と義母だった。
「リリアナ! リリアナはいるか!」
父の大声がホールに響く。
私は震えながら、彼の背中に隠れた。
「……なんだ、騒々しい」
「き、貴様が魔公か! 娘を返せ! リリアナを返してもらうぞ!」
父は彼を見ても怯むことなく、唾を飛ばして叫んだ。以前の父なら、魔公を恐れて近づきもしなかったはず。何かがおかしい。
「娘? ああ、生贄として捨てた娘のことか」
「人聞きが悪いことを言うな! あれは手違いだったのだ! 大切な娘を迎えに来た、それの何が悪い!」
義母も猫なで声で加勢する。
「そうよ、リリアナちゃん。寂しかったでしょう? さあ、お母様と一緒に帰りましょうね。美味しいケーキを用意しているわよ」
嘘だ。あの人たちが私を大切に思うはずがない。
私が動揺していると、彼が冷ややかな声で言った。
「帰る? リリアナは俺の城の住人だ。本人の意思なしに連れ帰ることは許さん」
「意思も何も親権は私にある! それに……その娘がいなくなってからというもの、我が領地は最悪なのだ!」
父が叫んだ内容に、私は耳を疑った。
なんでも、私が生贄に出されてから屋敷の井戸水が枯れ、畑の作物が病気になり、屋敷中がカビだらけになったというのだ。
さらには義姉が原因不明の湿疹に悩まされ、楽しみにしていた夜会にも出られないらしい。
「占い師に見てもらったら言われたんだ! 『この屋敷を守っていた清浄な気が失われた』とな! それは、リリアナ。お前のことだろう!」
清浄な気と聞いて、私はハッとした。
亡くなった実母は平民出身だったが、『清めの力』を持つ一族の末裔だと言っていた。私は無意識のうちに、その力で屋敷や領地を浄化していたのかもしれない。掃除や洗濯が、ただの労働以上の効果を持っていたのも、きっとそのせいだ。
「だから返せ! お前がいないと不便で仕方がないんだ!」
「掃除係がいないと、屋敷が汚れてたまらないのよ!」
彼らの言葉は、私を『娘』としてではなく、『便利な道具』として見ていることを改めて証明していた。
心の底から冷えていくのを感じた。
「……嫌です」
私は彼の背中から一歩踏み出した。
「私は帰りません。二度と、あの家には戻りません」
「なっ……! 親に向かって、なんだその口の聴き方は!」
「親だなんて思ったことはありません! そもそも私を凍死させようとした人たちを、親なんて呼べるわけないでしょ!」
私が叫ぶと、父は激昂し、手を振り上げた。
殴られる。私は反射的に身がすくむ。
――ガキィンッ!
鈍い音がして、父の手が止まる。
彼が私の前に立ちはだかり、氷の壁で受け止めていたのだ。
「……俺の大切な料理番兼、試食係に触れるな」
彼の周囲に凄まじい冷気が渦巻く。
その瞳は本物の魔物のように赤く輝いていた。
「リリアナは言った。帰らないと。なら、ここから先は俺の領分だ」
「ひ、ひぃっ!」
「お前たちがリリアナから搾取していた幸運も、浄化も、もう二度と戻らない。自分たちの汚れの中で溺れて死ぬがいい」
彼が指を鳴らすと、猛吹雪がホールの中に発生した。
父と義母は悲鳴を上げ、転がるようにして馬車へ逃げ帰っていった。
「二度と来るな! 次は氷像にして庭に飾るぞ!」
馬車が見えなくなるまで、吹雪は止まなかった。
静寂が戻ったホールで、私はへたり込んだ。
終わった、本当に終わったんだ。
「怪我はないか?」
彼が心配そうに覗き込んでくる。
その顔を見たら、安心して涙が止まらなくなった。
「う、うぅ……ジルベール様ぁ……」
「まったく、泣き虫な奴だ」
彼はため息をつきつつ、優しく私の頭を撫でてくれた。
その手はやっぱり、とても温かい。
「リリアナ」
「は、はい」
「春になったが、どうする? まだここにいたいか?」
私は涙を拭って、彼を見つめた。
「……いたいです。ジルベール様の作るご飯をもっと食べていたいです。それに、ジルベール様のお世話を、ずっと私がしたいです……」
「……そうか」
彼は少し照れくさそうに視線を逸らし、咳払いをした。
「なら、仕方ない。これからも俺のために働け。給金代わりと言ってはなんだが、毎日最高に美味いものを食わせてやる」
「は、はい! 喜んで!」
その後、風の噂で聞いた話では、実家の男爵家は没落したそうだ。
領地は荒れ果て、借金まみれになり、最後は一家離散したらしい。
でも、今の私にはもう関係のない話だ。
「リリアナ! 今日は春野菜と仔羊の煮込みだ! パンも焼いたぞ!」
「今、行きます! ジルベール様!」
ダイニングからは香ばしいバターとハーブの香りが漂ってくる。
北の果ての氷の城。
そこは世界で一番温かくて、美味しい幸せに満ちた場所。
勘違いから始まった私の第二の人生は、今日もお腹いっぱい、胸いっぱいに満たされている。
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