1941年12月17日 大統領執務室
大統領執務室に冬の陽が差し込んでいた。
ルーズベルトは書類に目を通していたが、ノックが響くと顔を上げた。
スターク提督とノックス海軍長官が入室した。
スティムソン陸軍長官が続いた。
三人の表情は硬かった。
「座ってくれ」
ルーズベルトは煙草に火をつけた。
「フィリピンか」
「はい」
スタークが口を開いた。
「昨日、アジア艦隊がマニラ湾を出撃し、日本艦隊と交戦しました」
「聞いている。結果はどうだった」
スタークは一瞬間を置いた。
「壊滅しました」
ルーズベルトの手が止まった。
煙草の煙が真っ直ぐに立ち昇った。
「壊滅」
「重巡ヒューストンは撃沈されたと見られます。軽巡マーブルヘッドは大破、その後の消息が途絶えています。おそらく沈没したものと。ボイシは離脱に成功し、現在マニラに帰投中です。駆逐艦は八隻中五隻が沈没または行方不明。残り三隻も損傷を受けています」
ノックスが口を開いた。
「生存者は」
「不明です。戦闘海域から離脱できた艦が少なく、救助活動も困難な状況です。ボイシが若干名を収容したとの報告がありますが、詳細はまだ入っていません」
沈黙が部屋を満たした。
ルーズベルトは煙草を灰皿の縁に置いた。
「経緯を聞かせてくれ」
「はい」
スタークは姿勢を正した。
「開戦から一週間以上が経過しましたが、日本軍の上陸がありません。航空攻撃は継続していますが、輸送船団の動きは確認されず、地上部隊が来る気配がない。マッカーサー将軍は当初から不審に思っていたようです」
「上陸が来ないことを、か」
「はい。通常、航空基地を叩くのは上陸作戦の準備です。制空権を確保してから地上部隊を送り込む。しかし日本軍はその手順を踏んでいない。マッカーサー将軍は、敵の意図を探るために残存航空機で偵察を続けていました」
スティムソンが補足した。
「航空戦力の損耗が激しく、偵察に回せる機体は限られていましたが、何機かを哨戒任務に充てていたようです」
「それで何か見つかったのか」
「数日前、ルソン島西方に日本の艦隊が展開しているのを確認しました。軽空母と軽巡を含む小規模な編成です。さらにミンダナオ島南方にも同様の艦隊がいることが分かりました」
ルーズベルトは眉をひそめた。
「上陸船団ではなく」
「輸送船は確認されていません。哨戒線を張っているように見える、との報告でした。マニラに近づく船を監視し、阻止する態勢です」
「封鎖か」
「マッカーサー将軍はその可能性を考えたようです。日本軍は上陸するつもりがない。フィリピンを海上から封鎖して、干上がらせるつもりではないかと」
ルーズベルトは窓の外に目を向けた。
遠くに冬枯れの木々が見えた。
「それで、どうした」
「マッカーサー将軍は、封鎖が継続した場合の持久可能期間を計算させました」
「持久可能期間」
「はい。食糧、弾薬、燃料、医薬品。現在の備蓄量と一日あたりの消費率から逆算して、外部からの補給が完全に途絶えた場合、いつ限界が来るか」
ルーズベルトは振り返った。
「結果は」
スティムソンが答えた。
「十二月十五日から一日あたりの摂取カロリーを千五百程度に制限したとして、最も悲観的な見積もりでは、五月末には餓死者が出始めると」
「五月末」
「はい。これは我が軍の将兵三万一千名だけを対象とした計算です。フィリピン軍十万名も同様に養うとなれば、期限はさらに前倒しになります」
ノックスが言った。
「民間からの購入は」
「フィリピンは農業国ですが、輸入が途絶え、継続的な空襲で流通が混乱しています。民間からの購入や徴発なしでは半年が限界、というのがマッカーサー将軍の認識です。購入や徴発を行えば持久期間は延びますが、現地住民との関係が悪化する。いずれにせよ、時間の問題だと」
ルーズベルトは煙草を手に取り、灰を落とした。
「それで、アジア艦隊が出撃したのか」
「はい」
スタークが続けた。
「マッカーサー将軍はこの見積もりをハート提督と共有しました。封鎖が続けば半年で干上がる。座して待つわけにはいかない。偵察で確認された日本の哨戒艦隊は軽空母と軽巡、駆逐艦が主力で、アジア艦隊の戦力で対処可能と判断されました。封鎖が本格化する前に、排除し、シンガポールやバタビアで足止めされている輸送船で少しでも物資を搬入すべきだと」
「判断は妥当だったのか」
「情報に基づく限りでは、合理的な判断でした。問題は、情報が不完全だったことです」
ルーズベルトは目を細めた。
「どういうことだ」
「アジア艦隊はルソン島西方、スカボロー礁の南西約百海里で敵艦隊と接触しました。しかし、そこにいたのは偵察で確認された小規模艦隊ではなかった」
「別の艦隊がいたのか」
「金剛級戦艦二隻を含む艦隊です。重巡四隻、軽巡四隻、駆逐艦十六隻。偵察で見つけた哨戒艦隊とは全く異なる、本格的な戦闘部隊でした」
ノックスが唸った。
「戦艦が二隻か……」
「はい。ヒューストンの八インチ砲では、如何に旧式とはいえ金剛の装甲を貫けません。逆に金剛の十四インチ砲は、巡洋艦を容易に撃破できる。戦力差は歴然でした」
スティムソンが言った。
「待ち伏せだな」
「そう考えざるを得ません。小規模艦隊を見せておいて、我々の出方を待っていた。アジア艦隊が出撃したところを、主力で叩いた」
ルーズベルトは煙草を灰皿で揉み消した。
「日本は最初から、こうなることを計算していたということか」
「可能性は高いと思われます。封鎖を見せつけて、我々を誘い出す。出てきたところを叩く。結果として、フィリピン周辺の海上戦力は壊滅しました」
沈黙が落ちた。
ルーズベルトが聞いた。
「日本側の損害は」
「軽微です。被弾した艦はあったようですが、沈没艦はありません。生存者の証言によると、日本の水雷戦隊が襲撃行動をとっていましたが、発射した魚雷に早爆が多発していたようです。我が艦隊の手前で爆発する魚雷が複数目撃されています。戦闘の帰趨は砲戦で決しました」
「早爆か」
「信管の調整に問題があったのかもしれません。いずれにせよ、砲戦で圧倒されていましたから、結果には影響していません」
ルーズベルトは立ち上がり、窓際に歩いた。
背中を向けたまま聞いた。
「これでフィリピンは」
「完全に孤立しました」
スタークが答えた。
「アジア艦隊の残存戦力は、軽巡ボイシと損傷した駆逐艦数隻のみです。日本の封鎖艦隊に対抗する能力はありません」
ノックスが言った。
「潜水艦はどうだ」
「潜水艦による物資輸送は可能です。しかし、潜水艦一隻あたりの積載量は極めて限られています。弾薬や医薬品など、重量に対して価値の高いものを運ぶのが精一杯です。三万一千名を養う食糧を運ぶことは到底できません」
ルーズベルトは振り返った。
「マッカーサーは今、何と言っている」
スティムソンが答えた。
「今朝の報告では、アジア艦隊の喪失により状況は更に悪化したと。本国からの大規模な救援なしには、持久の見通しが立たない。可能な限りの物資輸送と、早期の救援艦隊派遣を要請しています」
「早期の救援艦隊」
「太平洋艦隊を動かして封鎖を破り、補給線を確立して欲しい、と」
ルーズベルトはスタークを見た。
「可能か」
スタークは慎重に言葉を選んだ。
「フィリピンまでは五千海里以上あります。途中に使用できる港湾はほとんどない。補給線を確立するとなれば、マーシャル諸島、トラック諸島、パラオなどを占領して進む必要があります」
「太平洋艦隊の戦力なら、日本艦隊を相手にしても勝てるだろう」
「戦艦同士の砲戦であれば、我々が優位です。しかし、問題は戦艦だけではありません。日本の機動部隊の所在が不明です。空母がどこにいるのか分からない。占領作戦中に不意打ちを受ける可能性もあります。航空機に戦艦を沈められるとは思いませんが、損害を受ける可能性は排除できません」
ノックスが言った。
「航空攻撃で戦艦を沈めることはできない。しかし、損傷させることはできるかもしれない。上部構造や測距儀をやられれば、戦闘能力は落ちる」
「そうです。万全の状態で日本艦隊と戦えるかどうか、保証がない。また、仮に補給線を確立し輸送船団を通したとしても、フィリピンまでの五千海里という距離は変わりません。日本艦隊が健在なら、やはり輸送に不安が残ります」
ルーズベルトは腕を組んだ。
「今すぐは無理だと」
「現時点で大規模な救援作戦を実施することは、相当なリスクを伴います。日本の機動部隊の位置を特定し、航路の安全を確保し、十分な護衛と補給体制を整えるには時間がかかります」
「どのくらいかかる」
「概算ですが、中部太平洋を占領して進むなら少なくとも数ヶ月」
「数ヶ月」
ルーズベルトは繰り返した。
「マッカーサーの見積もりでは、五月末で限界だ」
「はい」
沈黙が重く垂れ込めた。
◇ ◇ ◇
スティムソンが口を開いた。
「大統領。我々の基本方針は、欧州優先です。ドイツを先に倒し、その後で日本に対処する。この方針は変わっていませんか」
「変わっていない」
「であれば、太平洋に戦力を集中することには限界があります。フィリピンの救援に全力を注げば、大西洋の護衛が手薄になる。英国への支援に影響が出る」
ノックスが言った。
「しかし、三万一千名のアメリカの若者がフィリピンにいる。彼らを見捨てるのか。第一、ドイツへの宣戦の目途もたっていない」
「見捨てるとは言っていない。しかし、救援にどれだけの資源を投じるか、冷静に判断する必要がある」
ルーズベルトは手を上げた。
「分かっている。分かっているが」
彼は窓際に戻り、外を見つめた。
「国民は何と言うだろうな。フィリピンに送り込んだアメリカの若者を見捨てた、と」
誰も答えなかった。
ルーズベルトは振り返った。
「現時点での方針を決めよう。まず、潜水艦による物資輸送を最大限行え。弾薬、医薬品、食糧。運べるものは何でも運べ」
「承知しました」
スタークが答えた。
「次に、太平洋艦隊の救援作戦を検討しろ。今すぐ実行しろとは言わない。しかし、いつ、どのような条件が整えば実行可能か、計画を立てろ」
「はい」
「それと」
ルーズベルトは全員を見回した。
「この状況を国民にどう説明するか。アジア艦隊が壊滅したことは隠せない。しかし、マッカーサーの持久見積もりや、救援が困難だという判断は、今の段階で公表すべきではない」
ハルが頷いた。
「戦闘継続中、という発表に留めるべきかと」
「そうだ。フィリピンの将兵は勇敢に戦っている。我々も支援のために全力を尽くしている。そういう話にしておけ」
「承知しました」
ルーズベルトは煙草を取り出し、火をつけた。
「マッカーサーには何と伝える」
スティムソンが答えた。
「状況は把握した。潜水艦による補給を継続する。救援艦隊については検討中である、と」
「検討中、か」
「今の段階では、それ以上は言えません」
ルーズベルトは煙を吐いた。
「マッカーサーは納得しないだろうな」
「しないでしょう。しかし、できない約束をするわけにもいきません」
ルーズベルトは頷いた。
「分かった。それでいい。だが、これは一時しのぎだ。いずれ決断を迫られる」
三人が立ち上がり、退室していった。
◇ ◇ ◇
ルーズベルトは一人で窓の外を見つめた。
三万一千名。
五月末。
日本は何を狙っている。
我々に何をさせたいのか。
救援に来させたいのか。
それとも、見捨てさせたいのか。
どちらにしても、我々は追い込まれている。
その認識が、重くのしかかった。
第三幕・了




