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前へ進むために――イーライを呼ぶ

「兵たちが戻ってきたみたいね」


開け放たれた窓の向こうから、

多くの兵の話し声と足音、鎧が触れ合う金属音が押し寄せてきた。


ユウは振り返り、沈んだ表情のレイを見つめる。


セーヴ攻めから戻った兵たち。


それは、夫を領から退けた兵たちなのだ。


レイの胸中が複雑なのは、言葉にしなくても分かった。


ユウはそっと窓を閉めた。


分厚い壁が音を呑み込み、部屋は一瞬で静寂に包まれる。


「・・・この部屋、静かだね」


レイがぽつりと呟く。


城に戻って二日。


レイにも、だんだんと状況が見えてきた。


自分やウイの部屋とは比べ物にならない広さの姉の部屋。

異常なほどの防音。

妃のためのような寝台と浴室。


――キヨは、ゆっくりと確実に、姉を妾にしようとしている。


淡々と昼食をとるユウを見ながら、レイは心の奥底で思った。


ーー姉上を救いたい。でも、どうしたらいいのだろう。



昼食後、ユウの部屋に来客が訪れた。


ヨシノが扉を開ける。


その向こうに立っていたのは――ノア。


ヨシノが動揺を隠すように視線をユウへ送る。


「部屋に入れて」

ユウが頷き、ノアは静かに部屋へ招かれた。


ウイもレイも息を呑む。


かつて、義父と母を裏切り、キヨに与した家臣。


ノアの裏切りがなければ、城は落ちず、母は死なずに済んだ――。


ウイは唇を噛み、俯く。


レイは、複雑な感情を宿した瞳をノアに向けた。


ノアはその視線を受け止め、深く項垂れた。


「ウイ、レイ。落ち着いて」

ユウが静かに告げる。


「落ち着くなんて・・・」

ウイの声が震える。


レイは黙って頷くだけだった。


「ノアは、セージ様を救ってくれたのよ」

ユウが少し声を強めた。


「・・・そうだったわね」

ウイは硬い表情て頷く。


「私が頼んだの。戦場で命を救うように、と。

ノアは守ってくれた。・・・出世の機会を逃してまでも」


「セージ様からも聞きました。命を救ってくれた、と」

レイが小さく呟く。


ノアは跪いたまま口を開いた。


「今回、私はセージ様の交渉役を務めました」


レイが立ち上がる。


「セージ様は・・・」


「ご無事です」

ノアが顔を上げて告げる。


「ノア、座って」


ユウの指示にあわせ、シュリが椅子を引いた。


ノアは居心地悪そうに腰を下ろす。


レイはノアをじっと見つめる。


ノアはその視線の意味を汲み取り、静かに語り始めた。


「セージ様と家臣団は当初、争う構えでした。

しかし、勝ち目のない戦でセージ様が倒れれば・・・レイ様が悲しまれる。

私は必死に説得しました」


部屋がシンと静まる。


「そして、セージ様は無血開城を受け入れました」


「ノア・・・ありがとう」

ユウは静かに頭を下げた。


「セージ様は・・・今どこに?」

レイの声は震えていた。


「これは推測ですが」

ノアは丁寧に言葉を選ぶ。


「西領のジュン様へ、庇護を受けに向かわれたと思われます」


「ジュン様のところに・・・?」


「ええ。争いの折、セージ様はジュン様と同盟を結ばれました。

そして私も、ジュン様に庇護を求めるよう書状を書き・・・お渡ししました。

その後、速やかに城の抜け穴に向かいました」


シュリは胸が熱くなった。


ノアは、キヨの重臣として仕えながら、ユウの願いも背負い、二重の任務を果たした。


その難しさを思うと胸が締めつけられる。


ユウもそれを分かっていた。


「本来なら、セージ様はキヨを裏切った領主。

ジュン様のもとに行かなければ、ずっと監視され、・・・いずれ殺されたわ」


ユウの静かな言葉に、ウイが目を見開く。


「おっしゃるとおりです」

ノアは深く頷く。


「・・・ありがとう」

レイは黒い瞳を潤ませ、ゆっくり頭を下げた。


「夫を――」


この時、初めてレイはセージを「夫」と呼んだ。


「夫の命を救ってくれて・・・ありがとう」


ノアは深く、深く頭を垂れた。


「姫様たちの望みなら・・・私は何でもいたします」


その声には、嘘偽りのない覚悟が宿っていた。


ユウは真っ直ぐにノアを見る。


「ノア。あなたがいてくれて本当に良かった」


後ろでウイが、涙をこらえながら強く頷いた。


「暖かいお言葉・・・励みになります」

ノアの声は震えていた。


部屋の空気が、ゆっくりと和らいでいった。



ノアが部屋を出ていったあと、

レイは小刻みに肩を震わせ、ウイは複雑な表情で唇を噛みしめていた。


ユウはそっとレイの身体を抱き寄せた。


「争いは・・・何があるかわからないわ」


努めて気丈に響く声。


だが、その語尾に小さな震えがあることを、シュリだけはすぐに気づいた。


ユウはレイの黒髪を指でそっと梳きながら続ける。


「たとえノアが裏切らなくても・・・私たちは争いに敗れていたかもしれない」


「でも・・・っ!」


ウイが堪えきれず顔をあげる。


どうしても納得できない、そんな目をしていた。


ユウは静かに首を振る。


「『でも』『もしかすると』・・・そんな言葉ばかり考えていたら、前へ進めないわ」


青い瞳はうっすらと潤んでいた。


「・・・あの男は、とても強かった。戦は、始まる前に終わっていたのよ。

母上は・・・殺された訳ではない。自ら、死に向かったの」


その言葉を口にした瞬間、ユウの瞳から涙がこぼれ落ちた。


「・・・はい・・・」


レイもウイも、頬を伝う涙を止められなかった。


ユウはゆっくりと目を閉じ、もう一度、ふたりを抱き寄せる。


「もし生き残っていたら・・・母上は、あの男の妾にされていたはず。

私も母上の立場なら・・・同じ選択をするわ」


その声は強く、確固としていた。


レイは黙って頷いた。


しかし胸の奥に、黒い影のような懸念が残る。


ーー母上にそっくりの姉上を・・・あの男は、今まさに妾にしようとしている。


その事実だけが、レイの心に重く沈んでいた。


「許せないと言えば・・・」

ウイが、震える声でぽつりとこぼした。


「私は・・・イーライが許せません。姉上を病気だと偽って、レイを呼び出した。 ひどい!ひどすぎます」


群青色の瞳は、悲しみと悔しさで揺れていた。


レイもまた、唇を結んで静かに頷く。


ユウは複雑な表情で、ふたりを抱く腕にそっと力を込めた。


「・・・確かに、許せない部分はあるわね。偽りの手紙を書いたのだから」


その声は冷静であろうとしていたが、奥には傷の跡があった。


ーーあの日以来、イーライはユウの部屋に一度も来ていない。


気まずいのだろう。


それとも、あの時の自分の怒りが怖かったのか。


ユウは小さく息を吐いた。


「・・・でも、イーライにも言い分はあるはずよ」


レイとウイの視線がユウに向く。


ユウは立ち上がり、振り返りもせずにシュリへ声を向けた。


「シュリ。イーライを、この部屋に呼んでくれる?」


その声は静かなのに、強く、揺らぎがなかった。


シュリは驚いたように瞬きしたが、すぐに深く頭を下げた。


「かしこまりました」


ユウの青い瞳には、怒りでも悲しみでもなく、ーー“向き合う覚悟”だけが宿っていた。




次回ーー明日の20時20分


戦後の混乱を、冷たい数字で切り分けるイーライ。

そのもとに届いた呼び出し――ユウ。


再び向き合う姫と家臣。

静かな対峙の中で、ついに明かされる真実。


「あの手紙を進言したのは――私です」


張りつめた沈黙の中、

三姉妹の前で、イーライは“覚悟”を口にする。


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