表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
98/150

口づけはしたのか?

翌朝、シュリは稽古場である馬場へ向かった。


ーーもうすぐ二月なのに。ここの土地は雪が降らないな。


外套の襟を立て、木剣を握り直す。


素振りを繰り返すうちに身体が熱くなり、外套を脱いだ。


「シュリ、今朝も熱心だな」


のんびりとした声が馬場に響く。


振り返ると、赤い髪を風に揺らすリチャードが、思わせぶりな笑みを浮かべて立っていた。


「おはようございます、リチャード様」

シュリは深々と頭を下げた。


「リチャードでいい」

リチャードは手をひらひら振る。


「セーヴ城攻めに参加されていないのですね」


城の兵の大半がセーヴ城攻めに出ている。


腕の立つリチャードが参戦していないのは不思議だった。


「あぁ。俺は戦に出るほど信用されてない。最近、鞍替えした領主の次男だからな」

リチャードは軽く笑いながら言う。


シュリは返す言葉が見つからず、わずかに俯いた。


「兵たちは今日帰ってくる。城はしばらく騒がしいぞ」

リチャードは肩をすくめた。


シュリは一礼し、再び素振りを始めた。


「おい、シュリ。見たぞ」


含み笑いの声に、シュリの手がピタリと止まった。


「・・・何が、でしょうか」


ーー嫌な予感。


以前も厩でのやり取りを見られた。


「甘酸っぱいな。背中に手を添えるだけなんて」

リチャードは顎をさすりながらニヤついている。


ーーまたしても見られた!!


「な、あれは・・・! 嫁がれたレイ様が戻って来られたので、慰めようと!」

顔を真っ赤にしてどもるシュリ。


「俺はただ、甘酸っぱいと言っただけだが?」


ひやかすような声に返事ができず、シュリは黙り込んだ。


「ほら、一戦やろう」


リチャードは木剣をポンポンと叩き、挑発するように笑う。


シュリは息を整え、「承知しました」と答えた。


木剣と木剣がぶつかるたび、鋭い音が朝の空気を裂く。


互いの間合いが一歩も詰まらず、押しても引いても均衡が崩れない。


ーー隙がない。


組み合いながら、リチャードは内心舌を巻いた。


ーーこんな男が乳母子だと?


戦に出られぬのは理不尽だ。


少し揺さぶってみるか。


「ところで、シュリよ」

木剣を振りながら、わざと軽い口調で問いかける。


「もう、口づけはしたのか?」


その瞬間。


シュリの全ての動きが止まった。


リチャードは止まった胸元を、軽く木剣でつつく。


「隙だらけだぞ、シュリ」

ニヤッと笑うリチャード。


慌ててシュリが足元へ斬りかかろうとした瞬間。


「唇は柔らかかったか?」

リチャードが追い打ちをかける。


みるみるうちに、シュリの木剣の勢いが落ちていった。


顔が真っ赤になり、手元は震え、呼吸まで乱れ始める。


ーーやめてください!


声に出せない悲鳴が、喉の奥でかすかに震えた。


「見た目より大胆だな、シュリは」


リチャードはニヤニヤと笑いながら、

闇雲に打ち込むシュリの突きを軽い身のこなしでかわした。


「・・・私は、何も」

シュリにしては珍しく、息が乱れている。


木剣を握る手も、ほんのわずかに震えていた。


「あぁ、もちろんだ。そういうことは、何も知らないに限る」

リチャードはわざとらしく無邪気な声で言った。


その“無邪気さ”は、完全に計算されたものだ。


ーー見透かされている。自分の気持ちを。


胸の奥がズクリと痛んだ。


そんなに自分は分かりやすいのか。


動揺をごまかすために、シュリはふっと息を吐いて木剣を下げた。



「唇を重ねただけか?」

リチャードは、わざと距離を詰めて――耳元に低く囁いた。


「え・・・?」

シュリは息を止める。


声が耳の奥で弾け、胸が妙にざわついた。


リチャードは目を細める。


「そうか。・・・舌を入れたんだな?」


大胆すぎる質問に、シュリの呼吸が止まった。


「っ・・・!」


表情が固まるのを見て、リチャードはゆっくり口角を上げた。


「・・・本当にわかりやすいな、お前は」


挑発というより、観察者のような冷静さで笑う。


シュリは黙って俯くことにした。


これ以上口を開けば、どこかが綻びてしまう。


ーー知らぬ、存ぜぬで通す。


それが今の自分にできる唯一の防御。


すると、リチャードが木剣を肩に担ぎ、軽く首を傾けた。


「そんな一本調子じゃ、相手は物足りなくなるぞ」


「・・・え?」

思わずシュリは顔を上げてしまった。


リチャードはわざと真面目な顔で続ける。


「ただ唇を重ねて、舌を入れるだけじゃ駄目だ。もっと“愛情”を伝えなくてはな」


「・・・あ、あいじょう?」

声が明らかに裏返る。


シュリの耳まで赤く染まっていくのを、リチャードは面白そうに眺めていた。


「あぁ、そうだ」

リチャードは木剣の先で軽く地面を突き、にやりと笑った。


「唇だけでは足りん。髪を撫でたり、頬や耳に口づけたり・・・」

わざと間を置き、声を低く落とす。


「首にも、だ。」


シュリは一瞬、動きを忘れた。


「・・・そんなところも、するのか・・・?」


自分でも驚くほど小さい声だった。


思ったことがそのまま漏れてしまう。


ーーそんなこと、考えたこともなかった。


リチャードは面白そうに眉を上げる。


「おや? 本当に知らんのだな」


わざとらしくため息をつきながら、木剣を肩に担いだ。


「女を知らぬ乳母子殿に、ナノ領当主の次男である俺が、アドバイスを授けてやったんだ」


妙に真面目な顔つきで言うものだから、余計にシュリは顔が熱くなった。


リチャードはその様子をしっかりと目に焼きつけるように笑った。


「どうだ、シュリ。休暇の日にでも一緒に花街へ行かないか。お前の顔なら、そりゃあチヤホヤされるぞ」


リチャードは気軽にシュリの肩へ手を置いた。


「・・・は?」


呆れと怒りと困惑が混ざった声が、馬場に響いた。


リチャードはさらに追い討ちをかけるように、口元をゆるく吊り上げる。


「手慣れた遊女もいる。そこで一から教わってこい。本番で困らないようにな」


「結構です!」

顔を真っ赤にしながら、シュリは木剣を納めた。


ーーもう、そろそろ持ち場に戻る時間だ。


立ち去ろうとすると、背中からため息混じりの声が落ちてきた。


「乳母子殿は、高潔にもほどがあるな。その調子じゃ・・・死ぬまで女を知らずに終わるぞ」


シュリはぴたりと足を止めた。


ゆっくり、深呼吸をして――振り向かない。


「・・・余計なお世話です」


短くそう返して歩き出すが、耳まで真っ赤なのは隠せなかった。


リチャードはその背中を見送りながら、勝ち誇ったようにニヤッと笑う。


「まぁ・・・うまく誤魔化して、上手にやることだな」


リチャードは木剣についた土を布で拭い落としながら、軽く呟いた。


その声音は軽いのに、言っている内容は妙に核心を突いている。


シュリは言葉を失い、わずかに目をそらす。


ーー誤魔化して、上手に。


そんな器用なことが、どうして自分にできるだろうか。


リチャードはふっと鼻で笑い、続けた。


「安心しろよ。俺は“外れ者”だ。人質で、信用なんて誰からもない。余計なことは、誰にも話さない」


その言葉に、シュリの喉がかすかに鳴る。


リチャードは木剣を肩に担ぎ、ほんの少しだけ真剣な瞳でシュリを見た。


「お前のことを言いふらして面白がるほど、俺は暇じゃないさ」


気取らない調子なのに、その言葉だけはどこか温度があった。


シュリは息をつめ、ほんの一言だけ搾り出した。


「・・・ありがとうございます」


それしか言えなかった。


リチャードは振り返らず、手をヒラリと振った。


「おう。今日のところはこれぐらいで勘弁してやる。

次は、ちゃんと剣に集中できるようになっとけよ?」


その背中を見送りながら、シュリはぎゅっと木剣を握りしめた。


ーー誤魔化せ、と言われても。


ユウ様の前では、そんなに器用に振る舞うことなどできない。


いつでも、本気で向き合うことしかできない。


そんな思いが胸の奥に熱くこもっていた。


だがシュリはまだ知らなかった。


その“本気で向き合おうとする不器用さ”こそが、

後にユウの心を大きく揺らすことになるなど――。


次回ーー本日の20時20分

兵の帰還とともに明かされる、

ノアが選んだ“裏切り”の真実。


そして、偽りの手紙を書いたイーライを

ユウはついに呼び出す。


逃げずに向き合う覚悟が、

新たな波紋を城に広げていく――。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ