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雪の日の口づけを思い出したとき、戦の報せが届く

◇ サカイ城 ユウの部屋


冬の薄い日差しが、ユウの部屋に柔らかく差し込んでいた。


「ここは本当に・・・暖かい気候ね」

窓の外を見つめながら、ユウはぽつりと呟く。


「そうですね」

シュリが静かに相槌を打つ。


「ワストもシズルも・・・今頃は雪が降っていましたよね」

ヨシノが窓を少し開け、風を確かめるように外気を吸い込んだ。


カチッ。


扉の小窓が開く音。


ヨシノが慌てて扉に駆け寄る。


「ユウ様、失礼いたします」


扉を開けたのはイーライだった。


「茶のご用意をいたします」


イーライは淡々と支度を始めた。


ほどなくして紅茶が振る舞われる。


その温かな香りが広がったとき、イーライが静かに口を開いた。


「キヨ様より、贈り物を預かってまいりました」


杏に手を伸ばそうとしていたユウの手が、ぴたりと止まる。


「また?」


イーライは、丁寧に抱えていた箱をそっと差し出した。


ユウが蓋を開けると――中には、光を湛えた櫛が六つ、整然と並んでいた。


「まぁ!美しい!」

ヨシノが息をのむ。


六つの櫛は、淡い金の細工に宝石の光が溶けて、

まるで冬の陽光を小さく閉じ込めたように輝いていた。


ひとつひとつ模様が異なり、

花・星・風・波・月・雪――それぞれの“とき”を刻んでいる。


目を輝かせるヨシノとは対照的に、ユウは淡々と紅茶を口に運んだ。


装飾品に特別な興味はない。


それは、キヨも、そして――イーライもよく知っていることだった。


「櫛は一つあればいいわ」


そう言って、ユウはまた杏へと手を伸ばした。


イーライはわずかに姿勢を正し、静かに告げる。


「この櫛は、ユウ様だけのためではありません。

ウイ様や、乳母方にも、とキヨ様は仰せでした」


「ヨシノにも?」

ユウの青い瞳が、ふっと大きく揺れる。


「はい」

イーライは変わらぬ表情で答えた。


その横で、ヨシノは驚愕に口元を押さえた。


「ヨシノ。好きなものを選んで」

ユウが優しく言うと、

ヨシノは頬を赤く染めて小さく首を振った。


「え・・・ユウ様より、私が先に選ぶなど・・・」


言葉とは裏腹に、視線は櫛に釘付けのまま離れない。


その可愛らしい葛藤に、ユウはくすりと微笑む。


「私は何でもいいのよ」


促すと、ヨシノはようやく櫛へ手を伸ばし、宝物を扱うようにそっと月の櫛をひとつ持ち上げた。


――嬉しそう。


その横顔を、ユウは静かに、温かい目で見守っていた。


シュリはその様子を見て、胸の内で小さく息をつく。


ーーうまい。


もしユウひとりへの贈り物なら、ユウはここまで喜ばなかっただろう。


だが――


“自分の周囲の者が喜ぶ姿を見ること”をユウは何より喜ぶ。


その性質を、誰よりも理解し、見事に突いた贈り方。


ーーこの策を考えたのは、誰だ?


シュリは、そっとイーライに視線を送った。


イーライはシュリの目線に気づいた瞬間、わずかに肩を揺らし、静かに目を伏せた。


ーー図星だ。


言葉はないのに、その一瞬の反応だけで十分だった。


イーライの慎重な呼吸、わずかに紅潮した耳。


シュリは胸の奥で、ひとつ深く頷いた。


イーライらしい、静かで、鋭い配慮だった。


部屋にはすぐにウイも呼ばれ、

ウイや乳母たちは箱を覗き込み、歓喜の声を上げた。


ウイは花、乳母のモナカは風の櫛を選んだ。


残った櫛は三つ。


イーライが静かに頭を下げて告げる。


「キヨ様は、レイ様、その乳母方にも贈りたいと仰せでした」


「レイに?」

ユウの声が、ほんのわずか震えた。


箱の中に残るのは――

星・波・雪を象った三つの櫛。


ユウは迷わず一つを指先で持ち上げた。


「レイにはこれを」


選んだのは、“波”の櫛だった。


ウイが不思議そうに首をかしげる。


「姉上、どうしてそれを?」


ユウは少し伏し目になり、静かに答えた。


「あの子は海のそばに嫁いだでしょう?

この金色の波はレイの黒い髪にいちばん映えるはずよ」


その声には、レイへの深い愛情が滲んでいた。


「そうね。領交が戻ったら・・・早く届けたいわね」


ウイが微笑むと、ユウは“波”の櫛をそっと胸に抱いた。


その様子を見て、イーライの表情は陰る。


ーーこれから、ユウ様は悲しい事実を知る。レイ様の離縁だ。


ウイたちが部屋を出たあと、イーライがもう一度静かに口を開く。


「ユウ様は、どの櫛を選ばれますか」


残ったのは二つ。


星と雪。


それは自分か、レイの乳母サキのものになる。


「どちらでもいいわ」

ユウの即答に、イーライはわずかに眉を寄せた。


「・・・ユウ様。それではレイ様に櫛を贈ることができません」


ユウは小さく息を吐いた。


「そうね・・・」

視線を箱へ落とす。


ユウが触れていない二つの櫛。


◆ 星の櫛

夜空を思わせる深い群青色の地に、細い金線で小さな星々が散りばめられている。

光に翳すと、かすかに瞬くように輝いた。


◆ 雪の櫛

白銀の光沢が静かに広がり、細工された雪の結晶が繊細に並んでいる。

冷たさではなく、澄んだ冬の朝のような凛とした美しさがあった。


ユウはどちらにも興味を示さず、シュリへ視線を向けた。


「シュリ。どちらが似合うと思う?」


突然の問いに、シュリは驚いて目を見開く。


「え・・・私が決めるのですか?」


「ええ。私には、どちらも同じに見えるわ」

ユウは少しも迷いのない声音。


シュリは息を整え、二つの櫛へゆっくり目を落とした。


ーーユウ様に似合うのは、どちらだろう。


静かに問いかけるユウ。

見守るヨシノ。

その背後で、深く観察するイーライ。


部屋の空気が、そっと張りつめる。


「私はこちらの櫛が、ユウ様にはお似合いだと思います」


静かな声で告げながら、

シュリがそっと手に取ったのは――雪の櫛だった。


その瞬間、かすかに空気が揺れる。


最初に声を発したのは、イーライだった。


「なぜ、それを」

珍しく感情をにじませた声音だった。


イーライ自身は、ユウには星の櫛こそふさわしいと思っていた。


夜空の星々のように、

強く、孤高に光るあの方には、星が似合う――そう信じて疑わなかったからだ。


シュリは一度だけイーライに視線を向け、

すぐにユウへと目を戻した。


「・・・ユウ様は、雪が降った日にお生まれになりました」

ゆっくりと、思い出を大切に扱うような声。


ヨシノが、はっとして目を見開き、すぐ深く頷いた。


「そうでした・・・」


シュリは続けた。


「雪は・・・ワスト領や、シズル領で過ごした日々を思い出させます」


その言葉とともに、シュリの視線がそっとユウの瞳を捉える。


ーー雪の降る窓辺で、ユウ様と交わした、あの口づけ。


雪の白さと、触れた唇の温度が、胸をかすめた。


それら全てが、シュリの心に淡くよみがえっていた。


シュリの声に宿る“何かを思い出した気配”に、

ユウも気づいたのだろう。


青い瞳がわずかに揺れ、

頬がほんのりと――雪が溶けるように赤く染まった。


その小さな紅潮を見て、イーライは息を呑む。


星よりも雪を選んだ理由。

雪の日に生まれたこと。

そして、雪の日の“秘密”。


櫛を選ぶだけのやり取りなのに、

部屋の空気は恋の気配で静かに満たされていく。


シュリが「雪の櫛」を差し出した瞬間。


ユウの胸の奥に、静かに色が差した。


ーー雪の櫛。


あの日――窓の外は、一面の雪景色だった。


音さえ吸い込まれたような静けさ。

炎の灯りがゆらゆらと揺れ、

冷えた空気と温かな光が、部屋を分け合っていた。


「誕生日だから。欲しいものがあるの」


そう告げたときの自分の声が、今も耳の奥に残っている。


シュリが驚いたように足を止め、

息を詰め、戸惑いながらも――


「できることなら」


あのときの彼の声は、あまりにも真っ直ぐだった。


そして、自分は言った。


「・・・口づけをして」


あの一言を口にした瞬間、胸が張り裂けるのではないかと思った。


けれど。


シュリは逃げなかった。


雪の白さが部屋を照らす中、そっと、自分の頬に触れた指先。


震えていたのは、おそらく彼の方だった。


「・・・ユウ様が、生まれてくれて・・・本当に、よかったです」


あの言葉は、誰に告げられたものよりも温かかった。


まるで雪が静かに溶けるように、

胸の奥がじんわりと熱くなったのを、いまでも覚えている。


ーー雪の日の口づけ。私はきっと、一生忘れない。


ユウは、雪の櫛をそっと見つめた。


白い模様が、

あの日、二人だけの部屋に舞い込んだ雪の気配と重なって見えた。


シュリは何も言わない。


けれど、櫛を選んだ理由は――

きっと、彼も同じ記憶を思い出しているのだと、わかってしまう。


「雪の櫛」をそっと手に取った時、ユウの横顔が一瞬だけ揺れた。


ほんのりと頬が赤くなり、視線がほんの僅かに宙へ漂う。


ーーあ。


イーライは、その変化に気づいた。


同時に、シュリの指先がかすかに震えたことも――気づいてしまった。


二人のあいだを、わずかな沈黙がふわりと満たす。


ーー今・・・ユウ様は“何か”を思い出された。


そしてシュリも・・・だ。


それは、家臣として口に出すことのできない種類の空気。


けれど、

ユウの頬に差した熱と、

シュリの静かなまなざしの奥にある感情は――言葉にせずとも伝わってきた。


イーライは、手元の茶器を整えるふりをして目線を落とした。


その指が、わずかに止まる。


ーーこれは、私の知らぬ領域だ。


胸の奥が、ぎゅっと締めつけられる。


ーー自分も、本当はユウに渡したかったのだ。


特別な想いを込めて選んだ、星の櫛を。

ユウの手に渡り、笑ってくれる姿を見たかった。


イーライは星の櫛から、そっと目を逸らした。


その時――


カチッ。


小さな音が扉を震わせた。


ヨシノが慌てて扉を開ける。


「イーライ、キヨ様がお呼びだ」


重臣サムが厳しい表情で立っていた。


その声に、イーライは弾かれるように立ち上がる。


「わかりました」


気持ちを整える暇もなく、扉を出る。

廊下に並ぶ窓から、冷たい光が差し込んだ。


少し歩いたところで、サムが低く口を開いた。


「ロス城が、無血開城された」


間を置かず、続けて。


「そして――レイ様が戻られる」


「それでは、セージ様は」

イーライは、喉の奥で声が途切れた。


「城を出た。生きている」

サムは短く、『よかったな』とも『残念だな』とも取れる声で言った。


イーライは息を整えた。


レイの帰還。

セージの退去。


それはつまり――

この城とセン家に、再び火種が舞い戻るということ。


やがて、二人はキヨの執務室の前へ辿り着いた。


扉の向こうには、キヨが静かに待っている。


嵐の前のような、張りつめた空気があった。


イーライは拳を握りしめ、その扉に向き直った――。

次回ーー本日の20時20分


キヨが気にかけていたのは、

政でも戦でもなく――ユウの心だった。


迎えられたレイは、

姉の腕の中で安堵した、その直後に告げられる。


「レイ様は、離縁されることになりました」

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