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奪う男ではなく、理解を装う男へ

優しさの仮面をかぶった支配――その名は理解。


イーライが部屋に入り、無言で茶の支度を整えていた。


銀のポットから、湯気が静かに立ちのぼる。


「イーライ、私には・・・ペパーミントを」

ユウはゆっくりと口を開いた。


イーライは一瞬だけ手を止め、「承知しました」と頭を下げた。



清涼な香りが漂う中、ユウは胸の奥で小さく息を吸い込む。


――あの男と戦う強さが、欲しい。


熱い湯気が、頬をかすめて消えていく。


ユウは目を閉じ、心の中で静かに息を整えた。


張り詰めた空気の中、

扉の方から“カチッ”という金属音がした。


――あの男が、来た。


ユウは思わず息を呑む。


分厚い扉が、ゆっくりと開いた。


背の低い、貧相な男が現れた。


燃えるような赤いシャツを身にまとい、

その顔には、場に似つかわしくない無邪気な笑みが浮かんでいる。


「邪魔をする」

屈託のない笑顔。


キヨが笑えば笑うほど、

ユウの心は――ますます冷えていった。


キヨは、部屋の中央の椅子にゆったりと腰を下ろした。


まるで、ここが自分の部屋であるかのように。


ユウは背筋を伸ばしたまま、ソファに浅く腰を掛けた。


「この部屋は――どうじゃ」

キヨが身を乗り出して尋ねる。


「私には、広すぎます。ウイの部屋の隣にある空室に移りたいです」

ユウは顔も向けず、冷たい声で言った。


「それはならん!」

キヨは、笑いながら手を振った。


「なぜですか」


「それはな――」

キヨが再び身を乗り出し、ユウの強張った顔を覗き込む。


「ユウ様は、“特別”だからじゃ」


歯を剥き出しにして笑った。


――特別。


その言葉に、初めて心の底から嫌悪を覚えた。


キヨの笑い声だけが部屋に響く。


他の者たちは、凍りついたように沈黙していた。


イーライは茶を注ぐ手を止め、


カップの縁からお茶がこぼれそうになったその瞬間、

ようやく我に返った。


「それにしても・・・」

キヨは、じっとユウの顔を見つめた。


その視線は、まるで肌の内側まで覗き込もうとするようだった。


あまりにも長く、あまりにも執拗なその視線に、

ユウは苛立ちを押し殺しながら、冷たく口を開いた。


「・・・なんでしょう」


「ユウ様は、まことにお美しい。見惚れてしまうわ」


スラリと出た言葉。


まるで日常の挨拶のような軽さで放たれたその“褒め言葉”に、ユウの手が止まった。


カップの中の淡い黄色の液体がわずかに揺れる。


――ここで、怯えてはいけない。負けてはいけない。


ユウは心の奥で自分に言い聞かせ、

唇をきつく結んだあと、静かに言葉を吐き出した。


「キヨ様は、まもなく大きな力を得られるお方。

そんな方が、私などに見惚れるなんて・・・ご冗談でしょう」


淡々と、しかし刺すような声で返す。


キヨは一瞬、目を丸くし、

次の瞬間、大きく膝を叩いて笑った。


「確かに! わしは力だけはありますぞ。あなた様を一生、守ります!」


その言葉に、ユウの胸の奥がきゅっと縮まった。


――“守る”。


それは、彼の口から聞きたくない言葉だった。


守るとは、支配すること。


その「守る」の中に、欲と所有が潜んでいるのを、ユウは知っていた。


ここで「はい」と言えば、妾としての道を歩むことになる。


ユウはわざと気づかないふりをして、

視線をそらしながら、静かに息を整えた。


「・・・わ、私は守られなくてもいいのです。

母上のように・・・自らの力で立てるようになりたい」


その声は震えていたが、

確かに彼女の意思の色を宿していた。


ユウは顔を上げた。


負けない、曲げない、強い意志を宿すその瞳。


その奥には、母シリと同じ――冷たく静かな湖の色があった。


惚けたようにキヨは、ユウの顔を見つめる。


「・・・何か」

短く返す声。


キヨは首を横に振った。


「いや・・・ユウ様が、あまりにも・・・」


言葉を継げなかった。


ただ、見入っていた。


戦場を駆け、数多の領主や兵を平伏させた。


だがこの少女の前では、ただの“男”に戻ってしまう。


「ユウ様は・・・本当に、シリ様に似ておられる」


キヨの声は、かすかに震えていた。


「シリ様のことを、忘れたことはない。

 ――助けられなんだ。わしは、あの方を救えなんだのじゃ」


沈黙が落ちた。


ユウの瞳が、ますます冷えていく。


「・・・母上を悼むその言葉、嘘ではないでしょう。けれど」


「けれど・・・?」


「母上を殺した世界を作ったのも――あなたです」


その一言に、キヨの胸がぎゅっと締めつけられた。

それでも、彼は笑った。


「ああ・・・その通りじゃ。

だからこそ、わしはこの手で償いたいと思うた。

シリ様を救えなんだ分まで、ユウ様を・・・」


言葉が途中で崩れた。


ユウは冷ややかな眼差しで、まっすぐに彼を見返す。


表情は静かだった。


けれどその静けさの奥には、明確な拒絶があった。


――この目だ。


この目に、わしは敗ける。


キヨは膝の上の手を強く握りしめた。


それでも、彼は笑みを崩さなかった。

哀しみと執着が入り混じる、歪んだ笑みだった。


「今日はの・・・ユウ様に渡したいものがある」


キヨが顔を上げると、

イーライはすかさず包みを手に取り、恭しく差し出した。


「なんでしょう」


――また装飾品か。


そんなものを受け取っても、私の心は揺らがない。


ユウは机の上の包みを冷ややかに見つめた。


「さぁ、開けてくれ」

キヨが促す。


ユウは小さく息を吐き、ゆっくりと包みを解いた。


現れたのは、古びた革表紙の黒い本だった。


「・・・これは」

ユウが顔を上げると、キヨは満足げに頷いた。


「これはな、シュドリー城の図書室にあった本じゃ」


その名を聞いた瞬間、ユウの指が止まった。


――母が育った城。


もう、灰と化したあの場所。


キヨの声が続く。


「シュドリー城を攻めた時のことじゃ。

そこにおった老臣――トム、という名であったか」


ユウの胸がわずかに揺れた。


トム。


叔父 ゼンシに仕えていた家臣。


理解者がいなかったゼンシに、唯一父のように寄り添っていた家臣だ。


廊下を歩くユウを見かけるたびに、トムは優しく微笑んでくれた。


あの暖かい眼差しを、ユウは覚えていた。


「わしは尋ねたのじゃ。

 “シリ様が大事にしていたものはあるか?”と。

 するとそのトムがな、図書室から数冊の本を持ってきた」


キヨの声がどこか誇らしげだった。


『シリ様がよく読まれていた本です』――

トムはそう言ったという。


「女が、本を読むとはの」

キヨは当時の記憶を面白そうに語る。


「珍しいと思うただけじゃ。だが、その老臣の勧めで、いくつか持ち帰ったのだ」


そのときの光景が、キヨの脳裏をよぎる。


――トムが本を渡したあと、

背を向けた瞬間に、兵へ合図をした。


剣が閃き、声が上がるより先に沈黙が落ちた。


何のためらいもなかった。


モザ家の重臣を生かすことなどできない。


キヨは無意識に笑みを浮かべた。


「トムは・・・老身ゆえに命を救おうとしたのだが、

 最後まで、城に残ると言ったのじゃ」


わざとらしく、白いハンカチで涙を拭う。


ユウは何も言わず、本の革表紙を撫でた。


「母上が・・・読んだ本」


「この本はな、シリ様が幼い頃から読み、

 甥っ子たちにも読み聞かせをしていた戦術書だと、トムが言っておった」


ユウはそっと本を手に取った。


古びた使い込まれた本。


「・・・そうですか。母は、戦の書を好む人でした」


「シリ様を思い出されよう。それをユウ様に渡したいのじゃ」


ユウは本を抱きしめ、静かに頭を下げた。


「ありがとうございます」


その横顔は、先ほどよりも穏やかだった。


――ここが引き際。


キヨはそう判断し、椅子を立つ。


「それでは、失礼をする」


去り際にもう一度振り返ると、

ユウは本を両腕で抱きしめ、まるで母の温もりを探すように目を閉じていた。


その姿を見て、キヨの唇がゆっくりと歪む。


「イーライ。お前の進言どおりだったな」

廊下を歩きながら、低く呟く。


「ユウ様は装飾品には興味がないが――書物は好きそうだ」


「はっ」

イーライは頭を下げる。


「本はまだ数冊ある。折を見て、渡す」


キヨは立ち止まり、背後の扉を一瞥した。


分厚い扉の向こう――ユウは、まだ本を抱いたまま動かないだろう。


その姿を想像すると、胸の奥が妙に熱を帯びた。


「・・・あの姫は、手強い」

キヨは低く笑う。


「まぁよい。奪うのではない。――理解してもらえばいい」


その声は柔らかく響いたが、

そこに宿っていたのは、慈しみではなく支配の熱だった。


「・・・本で心を開くなら、それでよい。

 いずれ、わしの言葉も――あの本のように抱きしめるだろう」


イーライはその言葉に一瞬だけ目を伏せた。


だが何も言わず、主の後ろを静かに歩き続ける。


廊下の奥、遠くで鉄格子が鳴った。

その音が、まるで“鎖”の音のように響いた。


奪うことをやめた男が、より深く心を奪っていく。


理解を装うその声が、最も残酷な鎖だった。


「理解してもらう」――それは、支配の新しい名だった。


次回ーー明日の20時20分


夜明け前の馬場で、シュリの木剣が鋭く空気を裂く。

その一太刀に、見知らぬ青年が笑った。


「――やっと面白い相手を見つけた」


赤い髪の青年・リチャード。

初手合わせで互いに汗を散らし、最後に彼は妙な一言を残す。


「シュリ・メドウ。姫の一番近くにいるのは・・・お前か?」


その問いに、シュリの指が止まる。


朝靄の中で響く木剣の音は、

これから始まる“出会い”と“火種”の合図だった。


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