別れの夜に、月が昇る
◇ ロク城 バルコニー
今日はここの城で過ごす最後の夜。
「この土地を離れるのは・・・寂しいわ」
廊下の突き当たり、バルコニーでユウはため息をついた。
吐く息が白くなり、冬が少しずつ近づいている。
「そうですね」
シュリは、隣でそっと周囲を見渡す。
「確かに・・・懐かしい思い出が、いっぱいありますね」
この地は、ユウが幼いころ――
両親と過ごした思い出が染みついた土地だった。
馴染みのある地名、父と母が愛した景色、
かつて暮らしていた城跡も、この領の中にある。
「・・・嫌だわ」
拗ねたように呟くユウの声は、姫ではなく、一人の娘のものだった。
シュリは思わず、ふっと笑みをこぼした。
「何か、変なことを言った?」
ユウが横目で睨む。
「いえ・・・」
シュリは慌てて視線を逸らす。
「何? 思ったことがあるなら言って」
ユウの声が少し強くなる。
「・・・何でもございません」
顔をみることができず、シュリは目を伏せる。
「そんな風に黙っているなんて。言えないことでもあるの?」
ユウの声に不満が灯る。
仕方なくシュリは顔を上げると、
ユウの射抜くような瞳が、まっすぐに自分を見ていた。
――あぁ。やはり、この人には敵わない。
胸の奥でそう呟きながら、シュリはゆっくりと口を開いた。
「私は・・・姫らしく過ごすユウ様よりも、
ありのままのユウ様のときの方が、好きです」
風が、二人の髪を揺らした。
言葉を聞いたユウは、一瞬だけ驚いたように目を瞬かせ、
すぐに視線を外した。
「ありのままでは・・・ダメなの」
ユウの声は掠れていた。
シュリは黙って、ユウを見つめる。
「・・・私は、もう十五。こんなふうに子どもじみた振る舞いをしては、いけないわ」
ユウはそう言って、バルコニーの手すりをぎゅっと握った。
白い指が夕焼けに浮かび上がる。
シュリは、その横顔を静かに見つめた。
紫の夕焼けが、ゆっくりと湖面を染めていく。
その中に、まだ幼さを残したユウの姿があった。
思い出と、淡い魔法のような時間が、若い二人を包み込む。
「・・・私の前では、無理に大人にならなくてもいいですよ」
シュリの澄んだ茶の瞳が、夕暮れの色を受けて深く光った。
「そうなの?」
ユウは、驚いたようにシュリを見つめる。
「はい。拗ねてもいい、怒ってもいい。・・・まあ、癇癪だけは、少し困りますけど」
シュリが苦笑し、肩をすくめた。
その声音は、どこかあたたかかった。
少しの間があって、掠れた声が続く。
「ユウ様は――ユウ様のままで、大丈夫です」
ユウはその言葉を受け止めるように、しばらくシュリを見つめていた。
やがて、視線をゆっくりと空に戻す。
紫から群青へと変わる空の下、月が静かに昇り始めていた。
「新しいところに行っても、シュリがいるのなら・・・平気だわ」
ユウが口を開いた。
「ユウ様が望む限り・・・私はそばにおります」
シュリは静かに告げた。
それは乳母子ならではの発言であった。
道から外れない際どい言葉。
二人の間には、言葉にならない何かが漂っていた。
風が頬を撫で、時がゆっくりと進んでいく。
そして、遠く廊下の影で――
イーライがその光景を、息を殺して見つめていた。
風の音だけが、その沈黙を包み込んだ。
◇
翌朝、馬車の車輪が小石を弾く音が、静かな領を離れていった。
振り返れば、霜の降りた屋根の向こうに、ロク湖が光っていた。
――それが、ユウが見たワスト領の最後の景色だった。
その頃――
遠くサカイの地では、白い石の城に灯が入り始めていた。
イーライは馬上から、ゆっくり進む馬車を見守っていた。
窓から、ユウの淡い横顔が一瞬だけ見える。
その姿を追うように視線が吸い寄せられ、
思わず手綱を握る指に力がこもった。
ユウ様の旅路を守るのが務め――
そうわかっているのに、胸の奥でほどけない痛みがあった。
“新しい地でも、あの方は笑っていられるだろうか”
浮かんだ思いを、イーライはすぐに振り払う。
「・・・ユウ様のお側を離れません」
誰に聞かれることもない小さな声が、冷たい朝の風に溶けていった。
むかう城が、ユウの運命を大きく変えることを、
このとき、誰も知らなかった。
次回ーー明日の20時20分
サカイ城に到着したユウを迎えたのは、
「特別に造らせた」というキヨの微笑。
――それは“守りの部屋”ではなく、“閉じる部屋”。
城門が閉じる音を聞きながら、
ユウは静かに悟る。
ここから先、もう後戻りはできない。
ここで第三章は幕を閉じます。
明日からの第四章――
ユウが“少女”から、もがきながら女性へと変わっていく物語が始まります。
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