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それは、秘密です

夜更け。


ロク城の外は、音を呑み込むように雪が降っていた。


――それでも、あなたの幸せを願えると思っていた。


ついさっきまでは。


風の音も遠く、ただ雪片が灯の明かりの中をゆっくりと落ちていく。


ユウはただ、寝台に横たわっていた。


息をするたび、胸が痛む。


目を閉じると、シュリとあの女中の笑い顔が浮かぶ。


――どうして、あんな気持ちになるのだろう。


あの女中の笑い声。

シュリの少し照れた横顔。

たったそれだけの光景なのに、何かが胸の奥をひっかいた。


胸の奥に、ひどく醜いものが芽生えた。


ユウは唇を噛んだ。


「……くだらない」


声にして否定すると、少しだけ息が楽になる。


けれど、心の奥の熱は、消えない。


姫であれば、本来、使用人の恋を応援し、取り持つのが理想だ。


もし、自分が男であったなら――きっとシュリとあの女中の仲を取り持っていただろう。


「仲良くな」と、笑って背中を押していたはずだ。


実際、あの二人は側から見てもお似合いだった。

明るくて、優しくて、屈託のない笑顔の彼女。


私のように復讐心を抱かず、癇癪を起こさない、一緒にいて安らげる。


身分も釣り合っている。


――似合いなのだ。


自分は、いずれ領主の元に嫁がねばならない身。


胸の奥に、言葉にならない苦いものが広がった。


理性では正しいとわかっているのに、心が従わない。


「……こんな気持ちを抱くなんて、姫として失格ね」


呟いた声はかすかに震え、静かな夜気の中に溶けていった。



翌朝、ユウは静かに身支度を整えると、

自室のある西の棟を出て、そばにある稽古場へ向かった。


稽古場は、女中たちの通り道のすぐ脇にある。


朝は、水汲みや洗濯の往来で人の気配が絶えない。


けれど、ユウが足を止めたときには、まだ誰もいなかった。


――今日も、シュリが剣を振っているはず。


厚い石壁の向こうから、木剣の乾いた音が響く。

その音だけで、誰が稽古しているのか分かった。


ユウはそっと通路の影に身を寄せ、窓の隙間から中を覗き込んだ。


窓の外、淡い光の中でシュリは構えていた。

真っ直ぐな背筋、無駄のない動き。

まるで戦場で鍛えられた兵のように見える。


「……上達したわね」

思わず、声が漏れた。


風が頬を撫で、ユウの髪を揺らす。

そのとき、明るい声が響いた。


「お疲れさまです、シュリさん!」


ユウが視線を向けると、女中のマリアが駆け寄っていた。


彼女の笑顔が、まるで春の花のように咲いている。


「汗、拭かないと、風邪をひきますよ」

マリアが布を手に近づいた。


「えっ、いや……」

シュリは木剣を置き、戸惑ったように手を振る。


「遠慮しないでください。この後、洗濯をしますから」

マリアは柔らかく微笑んだ。


「ありがとうございます」

シュリはわずかに頭を下げ、布を受け取った。


その瞬間、ユウの呼吸が止まった。


稽古場の冷たい空気に、二人の笑顔だけがあたたかく浮かんで見える。


その笑い声が、やけに耳に残った。


ユウはその音を背に、ゆっくりと視線を逸らした。


――どうして、見に来たのかしら。


見なければよかったのに。


胸の奥でそう思いながらも、足がその場から動かなかった。


「ねえ……もう少し、お話しできませんか?最近、寒くて外に出れないでしょう」

マリアの少し恥じらいがある声に、ユウは目を見開き、思わず覗きこむ。


シュリは一瞬、戸惑ったように目を瞬かせる。


「お話は嬉しいですが、私は任務がありますので」

穏やかに答える声は、いつも通り礼儀正しい。


「それなら、いつ時間が空くの?」

マリアは期待に満ちた瞳で身を寄せた。


シュリは少し困ったように微笑む。


ユウの付き人として、彼に“自由な時間”などほとんどない。


しいて言えば、ユウが着替えるときに部屋を外すわずかな時間だけ。


「ええと……」

言葉を濁す彼の様子に、マリアはさらに一歩近づいた。


「私は、もっとシュリさんとお話ししたいの」


思わず目を白黒させるシュリ。


その顔がまた可笑しくて、マリアは声を立てて笑った。


ユウは目を伏せた。


いつも自分の隣にいたシュリ。


気づけば――背が伸び、肩幅が広がり、もうすっかり青年の姿になっていた。


十五歳。


結婚してもおかしくない年頃だ。


窓の外には、夜明け前の淡い光が滲んでいる。


この時間、城の中庭や渡り廊下では、若い男女が隠れるように言葉を交わし、

ときに手を取り合う姿を見かけるようになった。


真冬の恋の花々が城のあちこちで咲いている。


――私たちは、いつの間にか大人になってしまった。


胸の奥がきゅっと縮む。


シュリもいつか、誰かの手を取るのだろうか。


その“誰か”が、自分ではないということを、痛いほど理解しているのに。


吐く息が、冷たく白い。

けれど、胸の内側だけが熱い。


「……嫌」

小さく漏れた声は、冷えた空気にすぐ溶けた。


シュリの幸せを願うなら――この恋を、応援してあげるのが主としての務め。


それは頭では分かっている。


けれど、その瞬間、自分の心だけが取り残されてしまう。


シュリの笑顔が、他の誰かに向けられるたびに、

胸の奥の何かがひどくきしむ。


それでも、願わずにはいられなかった。


ずっと、自分のそばで仕え、支えてくれたシュリには、

どうか幸せになってほしい、と。


――それが、本当の“主の愛”なのだと信じたかった。



午前のお茶の時間になり、ヨシノが支度のために席を外した。


室内は、暖炉の薪が爆ぜる音が響く。


――言うなら、今しかない。


ユウは唇をかすかに噛み、そして静かに口を開いた。


「シュリ。今は……あの男がこの城にいないわ」


「はい」

部屋の奥にいたシュリが、不思議そうに顔を上げた。


ユウは息を吸い、胸の奥の震えを押し殺す。


「あの男がいない間は、あなたに“自由の時間”を与えたいと思うの」


「自由の……時間ですか?」

シュリの瞳が、わずかに揺れる。


言葉の意味を測りかねているようだった。


「……あの女中と……お話をしたら」

そう告げると、ユウは視線を落とした。


言葉にした瞬間、胸の奥が軋む。


指先がかすかに震える。


――この胸のうちを、知られたくない。


なので、俯いた。


静かな沈黙が流れる。


窓の外では強い風がビュウと吹く。


「あの女中とは、マリアのことですか」

シュリの声が、慎重に落ちた。


「ええ……そう」

ユウは呟くように答えた。


「私は別に話そうとも思いません」

シュリの声は静かだったが、その中に確かな戸惑いがあった。


ユウは顔を上げ、彼の表情を見つめる。


けれど、言葉は続かなかった。


胸の奥が痛い。


“自由を与える”と言いながら――本当は、手放したくなかった。


「でも……私は、あなたに幸せになってほしいの」

ユウの声は、思った以上にかすれていた。


「幸せですか?」

シュリが静かに問い返す。


「そう。素敵な女性と知り合って……結婚をして、子を成す。

冬の間だけでもいいの。任務を忘れて、そういう時間を増やしてほしいの」


言いながら、ユウは自分の手を強く握りしめた。

指先が白くなる。


――言葉にすればするほど、胸が締めつけられる。


シュリは少しだけ目を細め、穏やかに微笑んだ。


「私は……任務をしている時が、一番幸せです」


「……なぜ?」

ユウの声が震えた。


問うというより、縋るように。


シュリはほんの少し、顔を伏せて言った。


「それは……秘密です」


柔らかな笑みとともに告げられたその一言が、

ユウの胸の奥に静かに沈んでいく。


二人の間に、甘く、痛い沈黙が落ちた。


外では雪が静かに音もなく降り始めた。


「お茶が入りましたよ」

ヨシノの穏やかな声が、扉の向こうから響く。


その瞬間、二人はわずかに距離を取った。


ユウは、湯気の立つカップを見つめながら思った。


ーーこの沈黙のまま、時が止まればいいのに。


けれど、互いの心は――もう、離せなかった。


次回ーー明日の20時20分 

夜明け前の稽古場で、イーライは“彼女のために剣を振るう”シュリの想いを知ってしまう。

そして、自分と同じ名を胸に抱いていることも。

雪降る朝、二人の間に生まれた静かな均衡は――もうすぐ崩れはじめる。


「誰にも言えない恋」


⭐︎ブックマークを頂きました。

非テンプレの長文作品に足を運んでいただけること、心から感謝しています。

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