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姫を見つめる黒い瞳

「こちらへ」

イーライが頭を下げ、三姉妹を西棟へと導いた。


西棟の二階。

手前にはユウの部屋、その奥にレイとウイの部屋が並んでいる。

さらに隣の扉の前で、イーライの足は止まった。


「こちらが姫君方のお部屋です。

お食事や語らいも、ここでなさいます。

皆様が自然と集まる――そういう場所にございます」


「個別の部屋もあるのに?」

思わずユウが問い返す。


「はっ」

イーライは深々と頭を下げた。


「二階は・・・姫様方以外は誰もおりません。

この階はすべて、姫様方のためのものにございます」


涼やかな黒い瞳がユウをまっすぐに見た。


「今まで・・・ここは誰が暮らしていたの?」


「いいえ。この八年間、誰ひとりここを使ってはおりませんでした」

イーライは淡々と答える。


「・・・そう」

ユウは小さく返した。


ーー妙だ。


この広々とした豪奢な階を、なぜ八年もの間、誰も使わなかったのか。

胸の奥に、ひやりとした違和感が広がっていく。


部屋に入ると、イーライはソファーに座るように案内をした。


「お茶を淹れます」

イーライは淡々と告げると、手早くカップに湯を注ぎ、温め始めた。


「イーライ様、お茶なら私どもが――」

ウイの乳母モニカが慌てて駆け寄る。


「私が淹れるように、ミミ様から指示を受けております」

イーライは視線も上げず、匙で茶葉をすくい、慎重にポットへと落とした。


その一連の所作は淀みなく、美しく、見慣れぬ手並みに一同は思わず息をのむ。


「しかし・・・」

モニカは落ち着かぬようにエプロンを握りしめる。


「私の淹れたお茶は、美味しいと領主ご夫妻から褒めていただいております」

イーライは静かに話す。


布でポットを包み込み、じんわりと蒸らしの時間を待った。


――沈黙。

ただ茶葉の香りが、ゆるやかに室内へ広がっていった。


「私は騎士ではなく、城下町で仕えていた折にキヨ様に拾われました。

・・・茶を淹れることには、少し自信がございます」


静かに告げるイーライの横顔を、ユウは思わず見つめた。

磨かれた所作に、ただの従者とは思えぬ気品が漂う。


能面のように整った顔に、どこか孤高さと、かすかな影を漂わせる男。


――ただの従者ではない。


ユウは胸の奥で、そう感じずにはいられなかった。


「・・・あなたは、領民の出なの?」

ユウが小さくつぶやくと、イーライは静かに首を振った。


「私の家は――もともとセン家に仕えておりました。

父はグユウ様とシリ様に仕えた家臣のひとりです」


「えっ・・・!」

三姉妹が一斉に顔を上げた。


「父上と母上に・・・仕えていたの?」

ユウの瞳が驚きで大きく揺れる。


「はい。私はまだ子供で、領主ご夫妻との面識はございませんが・・・」


「家臣の家柄なら・・・」

レイが控えめに問いかけた。


「なぜ、城下町に?」


イーライは一瞬言葉を探し、目を伏せた。


「・・・私は三男ゆえに」


短い答えに、レイは小さく頷く。


この時代、長男や次男は跡を継ぐが、三男以下は軽んじられる。


その現実を、三姉妹もよく知っていた。


静かな空気の中、イーライは淀みなく茶を注ぐ。


香り立つ湯気が立ち上り、白いカップの中に黄金色の液体が満ちていく。


「・・・どうぞ」

差し出されたカップに、姫たちは思わず息をのんだ。


差し出された琥珀色の紅茶を、ユウは両手で受け取った。


湯気の向こう、イーライの黒い瞳が静かにこちらを見つめている。


口に含むと、ほのかな甘みと渋みが舌に広がった。


「・・・美味しい」

思わず漏れた声は、かすかに震えていた。


――母を亡くしたばかりなのに。

どうして、こんなふうに「美味しい」と思ってしまうのだろう。


イーライに茶を淹れてもらうのは、これで二度目だ。

一度目は、戦場で母と別れたあの日。

そして今は、妃と面会して心を乱された直後。


その二つの記憶が重なり、胸がきゅっと締めつけられる。


あのキヨと、その妃ミミが、イーライに「茶を淹れよ」と命じたのだろう。


それは気遣いであり、慰めであると――わかってしまうからこそ。


ありがたくて。

そして、少しだけ・・・悔しい。


カップを両手に持ち上げるユウの横顔を、イーライは無表情のまま見つめていた。


能面のように整った顔が――ほんの一瞬、やわらかく緩む。


その変化を、部屋の隅に立つシュリは見逃さなかった。


胸の奥がざわめき、視線が自然と鋭くなる。


――あの人も・・・ユウ様に惹かれているのだろう。


否応なく芽生える独占の思い。


けれど同時に、あの人がそう思うのも当然だ、と納得してしまう自分がいる。


それほどまでに、ユウは人を惹きつける強い力と美しさがある。


複雑な感情に絡め取られたまま、シュリはじっとイーライを見つめた。


気づいたイーライがはっとして視線を逸らし、侍女に声をかける。


「・・・菓子を」


すぐに銀の盆が運ばれ、並んだ菓子にウイとレイが「わぁ」と小さな歓声をあげる。


その笑顔に触れて、ユウの瞳がふっと潤んだ。


だが、シュリの胸の奥では、まだ言葉にならないざらつきが消えなかった。


昼食を終えると、疲れと緊張のせいか、

ウイとレイは並んでソファに身を沈め、ほどなく静かな寝息を立て始めた。


ユウは立ち上がる。

部屋にとどまるには、胸の内がざわめきすぎていた。


部屋を出て、廊下をまっすぐ進み、突き当たりにある古びた扉の前に立つ。


軋む音を立てて開けば、湖面に突き出すように築かれた小さなバルコニーが広がっていた。


風が頬を撫で、金色の髪を揺らす。


その冷たさが張り詰めた心をわずかに鎮める。


ユウは振り返り、控えていた青年を見つめた。


「・・・シュリ。ここへ」


その声は硬い命令にも、どこか縋る響きにも聞こえた。


二人は手すりにもたれ、広がる湖面を黙って見つめていた。


「無事に・・・ミミ様と面会を終えられて、よかったですね」

シュリが控えめに口を開く。


ユウは視線を逸らさず、ただ湖を見据えたまま呟いた。


「・・・ミミ様が、良い人すぎて・・・辛いの」


それは心を許した相手にしか語れない声色だった。


「はい・・・」


「・・・あの男の妻なのに。もっと嫌な人だったら、憎めるのに」

掠れた声に、シュリは小さく「わかります」と応じる。


次の瞬間、ユウはそっと彼の肩にもたれかかった。


「・・・!」


銅像のように固まるシュリ。


ユウの吐息がかかる距離で、彼は視線を必死に逸らした。


「・・・不思議な場所ね、ここは」


「何が、ですか」


「この城は、あの男が建てたのに・・・ここもなぜか落ち着く」


長いまつ毛を伏せ、ユウは囁く。


風に揺れる湖面を見ながら、ふと胸の奥が疼いた。


ーー子どもの頃、両親と過ごした記憶の断片が、なぜかこの場所に重なる。


嫌いなのに、城のあちこちに懐かしさを感じてしまう。


なぜだろう。シュリが隣にいるからだろうか。


ユウはシュリの肩に頭を預け、小さなため息をついた。



――ユウ様、私は少しも落ち着けません。


胸の奥でそう叫びながら、シュリはただ紅潮した顔で立ち尽くすしかなかった。


湖風に揺れる二人の姿。

その後ろ姿を、廊下の影からじっと見つめる黒い瞳があった。


その視線は冷ややかなほど静かだった。


次回ーー明日の9時20分


キヨの帰還が迫る。

それぞれの胸に宿る“守りたい想い”が、

静かな夜を裂く予感へと変わっていく。


◇登場人物メモ(第6話時点)◇

※物語の進行に合わせて更新していきます。


・ユウ → 長女。城での暮らしが始まり、心の奥に小さな変化が生まれる。

・ウイ → 次女。無邪気に振る舞いながらも、姉を気づかう優しさを見せる。

・レイ → 末の妹。幼くも鋭い観察眼で、周囲の空気を感じ取っている。


・シュリ → 乳母子の青年。ユウを守る立場でありながら、抑えきれぬ想いに揺れる。

・イーライ → 三姉妹の世話役を務める青年。落ち着いた所作と、どこか影を帯びた人物。

・ヨシノ → 乳母。三姉妹を支える母のような存在。


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