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秘密を抱えた政略結婚 ―血に刻まれた静かな復讐と、許されぬ恋の行方―  作者: 雨日
第3章 潮騒の婚礼 ――そして戦が始まる
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幼き妃、十一歳 ― 血を継ぐ娘 ―

セーヴ領・レイの部屋。


この数日、城内は慌ただしかった。


多くの兵が行き交い、廊下の片隅には、運びきれない荷物があちこちに積まれている。


その光景を見つめながら、レイは小さくため息をついた。


――あぁ、戦が始まるのだ。


夫・セージの姿を見たのは、もう何日も前のこと。

会議と準備に追われているのだろう。


無理もない。

争いが近いのだから。


けれど――この緊迫した空気の中で、

何ひとつ説明がないことが、胸に重くのしかかっていた。



この状況になっても、セージからは何の説明もない。


本来、女は政に口を出すことを許されない。


妻が真実を知らされるのは、争いが“決定してから”だ。


その現実を、ようやく痛感していた。


――女だから。


そして、私が“幼い”から、知らされないのだ。


唇を噛み締めながら、レイは思い出す。


母が、重臣たちと並んで地図を広げていたあの日を。


義父や重臣と対等に語り合い、兵の配置まで決めていた姿を。


当時は、それが当たり前だと思っていた。


けれど、今になってわかる。


母がどれほど異端で、どれほど強かったかを。


そのとき、扉の外で足音が止まった。


「・・・レイ」

名を呼ぶ低い声。


レイは振り返る。


そこには、軍服を纏ったセージが立っていた。


鎧の下に隠しきれぬ疲労が滲み、目の下には深い影がある。


「お帰りなさいませ」

レイは静かに立ち上がる。


サキが紅茶を差し出した。


セージはそれを受け取り、一口飲む。


しばし沈黙の後、言いにくそうに口を開いた。


「・・・しばらく、不在になる」


その一言で、すべてを察した。


けれどレイは、あえて問いを口にする。


「出陣されるのですか」


セージの手が止まった。


黒い瞳が彼をまっすぐ見つめている。


彼女に争いの話を隠すよう、家臣たちには口止めをしていた。


“女には理解できぬこと”――その前提が、今、音を立てて崩れた。


「なぜ・・・それを」


レイはまっすぐに言葉を返す。


「私は、半年前に落城を経験しています。争い前の空気くらい、分かります」


淡々とした声。


だが、その奥に宿るのは恐れでも涙でもない。


静かな覚悟だった。


セージは何も言えず、ただ妻を見つめた。


「セーヴ領は・・・ジュン様にお味方するのですか?」


核心を突く問い。


「レイ・・・なぜ、そこまで」


「この争いは、ジュン様とキヨの戦。国王の座をめぐるもの――そう推測しています」


セージは目を伏せ、手にしていたティーカップをそっと机に置いた。


カチャン、と乾いた音が響く。


その小さな音に、レイは彼の心の乱れを悟った。


――幼いと思っていた妻が、ここまで見抜いている。


セージは静かに息を吐いた。


「・・・どうして、それを」


その声には、驚きと戸惑い、そしてわずかな恐れが滲んでいた。


レイはまっすぐに夫を見つめていた。


黒曜石のような瞳に、怯えはない。


「・・・私は、ジュン様を知っています」


レイの言葉に、セージの眉がわずかに動いた。


「ジュン様を・・・?」


「ええ。昨年の冬、ジュン様は母を訪ねて、訪問されたことがあります」


「・・・そうなのか」


セージの声には、驚きと警戒が入り混じっていた。


レイはゆっくりと頷く。


「ジュン様は、国王にふさわしいお方だと思います。

領地の統治にも優れ、戦にも長けておられる。そして――人柄も、素晴らしい方です」


そこまで語ると、レイは静かに夫を見つめた。


セージは言葉を失った。


目の前にいる妻は、まだ十一。


それなのに、語る言葉は老練な重臣のようだった。


軽々しく答えれば――試される。


その予感が、セージの胸に走る。


喉の奥が渇き、溜まった唾を無理に飲み込んだ。


レイの瞳がわずかに伏せられる。


「一方、キヨは・・・人柄が良いとは言えません。卑怯で、これといった武功もない」


セージが息を呑む。


「けれど――あの男は、人を操るのが巧みです。そして、それを支える弟がいる」


低く落とした声が、静かに部屋を満たす。


その言葉には、まだ幼い少女とは思えぬ確かな分析があった。


「勝敗は・・・五分五分、といったところでしょうか」


最後の言葉を告げると、レイはまっすぐに夫を見た。


その瞳の奥には、恐れも迷いもなかった。


セージはただ、息をすることさえ忘れて――その視線を受け止めるしかなかった。


――十一歳。


まだあどけなさの残る頬。


けれど、その瞳の奥には、確かな冷静さが宿っていた。


「・・・レイは、確かに叔母上の娘だね」

セージは静かに口を開いた。


彼とレイは従兄妹の関係でもある。


会ったことのない叔母――シリ。

彼女の名は一族の間で、賛美と非難の両方で語られていた。


『男だったら、立派な領主になっていた』という声。

『女のくせに政に口を出し、男を言葉ひとつで操る』という声。


セージにとってそれは、半ば伝説めいた噂として捉えていた。


だが、今――目の前で紅茶を口にする幼い妻の瞳を見た瞬間、

その“おとぎ話”が現実のものとして迫ってきた。


思考の奥に、じわりとした畏れが広がる。


ーーこのままでは、俺が試される。


セージは背筋を伸ばし、茶を一口飲んだ。


けれど、味がしなかった。


「・・・レイは、何を考えている」

掠れた声が、静かな室内に落ちる。


レイはわずかに微笑み、ただ一言返した。


「国を見ています」


短い言葉だった。


けれど、その響きが、セージの胸を鋭く貫いた。


その眼差しの奥には、幼い妻の愛情ではなく――

領主の妻として、一国の行く末を見据える光があった。


ーー恐ろしい娘だ。


セージは視線を逸らし、深く息を吐く。


その言葉を否定することも、受け入れることもできなかった。


「ジュン様側につくのは、領主として賢明な判断だと思います」

レイの声が、わずかに震えた。


「けれど・・・キヨを敵にするということは、姉と争うこと」


小さな手が、ドレスの裾をきゅっと握る。


「それが・・・辛いです」


泣きもせず、ただ静かな瞳でセージを見上げる。


セージは息を呑んだ。


ーーこの子は、すべてを理解している。


「・・・俺の決断が、レイを苦しませている。すまない」

その声は、彼が初めてレイに対して“大人の男”として言葉を向けた瞬間だった。


だからこそ、嘘はつけない。


誤魔化せない。


「だが、俺は領主として、この領と民、そして海を守らねばならない」


「はい」

レイの返事は小さいが、瞳はまっすぐに夫を見つめていた。


その表情は、幼さの奥に大人びた決意を宿していて、

セージの心を不意に乱した。


「・・・レイ、許してくれ」


セージは思わず、レイの小さな手を握りしめる。


「・・・はい」

レイの声は震えていた。


次の瞬間、セージはそのままレイの隣に腰を下ろし、

かすかに震える肩を抱き寄せた。


それは、妹を守る抱擁ではなかった。


妻に触れる仕草に近かった。


背後で控えていた乳母のサキが、小さく「あっ」と声を漏らす。


その音で、セージは我に返った。


慌てて距離を取り、息を整える。


ーー妻とはいえ、まだ幼い。俺は、何を。


セージは立ち上がり、乱れた心を隠すように声を出した。


「・・・明日、出陣する」


「ご武運を・・・」

レイは深く頭を下げた。


扉を閉めた後、セージは長く息を吐いた。


心の奥で、ただ一つの確信があった。


――レイは、ただの妃では終わらない。


いずれ、母のように“争いの渦”の中心に立つ女になる。




次回ーー本日の20時20分


出陣前夜。

ユウは見送りを命じられたドレスを拒み、

シュリとイーライは揺れる姫の心を必死に支えようとしていた。


城は静かに、戦の夜を迎えようとしている。


「戦の前の告白ーー私に見せてください」


ブックマークありがとうございました。

シリアス、展開が遅い、テンプレ外なのに、この作品を読んでくれる皆様に感謝しています。

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