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秘密を抱えた政略結婚 ―血に刻まれた静かな復讐と、許されぬ恋の行方―  作者: 雨日
第3章 潮騒の婚礼 ――そして戦が始まる
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好いている人なら・・・

「寒くなったわね」

ユウが上着を羽織りながら、暖炉のそばへ歩み寄った。


レイが嫁いで、もう半月が経つ。

季節は秋から冬へと、急ぎ足で移り変わっていく。


――元気にしているだろうか。

お相手は、どんな人なのだろう。


ユウの視線は、自然と部屋の片隅に向かう。


そこは、いつもレイが座っていた場所。


小さな体でソファに埋もれ、足をぶらぶらと揺らしていた姿が、

今も焼き付いて離れない。


「・・・レイ」

小さく呟いたその瞬間――


「ユウ様! レイ様からお手紙です!」


ヨシノが息を弾ませながら、白い封筒を掲げて駆け込んできた。


「・・・レイから?」


ユウは立ち上がり、震える手で手紙を受け取った。


封に押された印は、見慣れぬ紋章。


――セーヴ城のものだ。


暖炉の火がゆらりと揺れ、封蝋に淡い影を落とす。


ユウは深く息を吸い込み、指先で慎重に封を切った。


中から現れたのは、整った筆跡で書かれた短い手紙。


一文字一文字に、幼い頃から見慣れたレイの癖がにじんでいる。


姉上・姉様へ

セーヴ城は潮の香りがします。

城の中にいても海の音がします。

最初は怖かったけれど、今は好きになりました。

セージ様は、とても穏やかな方です。

サキも元気です。

どうか、姉上も姉様もお体を大切にしてください。


手紙を読み終えたユウの指先が、小さく震えた。


「優しそうな人で良かったわ・・・」

隣で手紙を覗き込んでいたウイが、ほっとしたように微笑む。


「・・・本当に」

ユウはゆっくりと頷いた。


けれど、心の奥では――


遠い潮の香りの向こうに、もう一つの不安が芽吹いていた。


それは、ウイには決して言えないことだった。



昼下がり。


ユウは廊下の突き当たりにあるバルコニーへ出ていた。


湖に突き出したように造られたその場所は、

風がよく通り、陽の光が白く反射している。


手すりに指をかけたまま、ユウは湖面をじっと見つめていた。


「・・・シュリ」

背後に控えていた青年の名を呼ぶ。


「こちらへ」


シュリは頷き、控えめにユウの隣へ立った。


二人の間に、風がそっと流れる。


「レイ様が、ご無事でよかったですね」

しばしの沈黙のあと、シュリが静かに口を開く。


ユウは答えなかった。


ただ、湖を見つめ続ける。


「・・・私が知りたいことは、何も書いてなかったの」

ようやく口を開いたユウの声は、かすかに震えていた。


「・・・知りたいこと?」

シュリが首を傾げる。


「その・・・夜のことよ」


その一言に、シュリの喉がごくりと鳴った。


「・・・あ、はい」

言葉を失い、俯く。


「そういうことは・・・手紙には、書かないと思います」

落ち着こうとするように、低く静かに言った。


「もちろん、そうね・・・わかってる」

ユウは小さく息を吐いた。


手紙は私的なものではない。


けれど――だからこそ、何も書かれていない部分が気になる。


「シュリ、教えてほしいの」

ユウが真っ直ぐに顔を上げる。


「何を・・・ですか?」

シュリの声がわずかに上ずる。


「セージ様は十九と聞いたわ。そのくらいの年の男の人は・・・その・・・」


言葉が喉で詰まり、ユウは手すりを強く握った。


「・・・そういうことを、したいと思うの?」


しばらくの沈黙。


遠くで風が波を撫でる音だけが響く。


「・・・思うと思います」

シュリは俯いたまま、正直に答えた。


「そう・・・なのね」

ユウは息を呑み、思わずシュリの顔を覗き込む。


「・・・はい」


視線が交わる。


その瞬間、二人の間に何かが触れたように、空気が揺れた。


「・・・それは、十一の子にも?」

ユウの声が、不安に震える。


「・・・それは・・・お相手の方によります」

シュリは少し考え込み、それから真っ直ぐに答えた。


「少なくとも、私は・・・そういう気持ちは、芽生えないと思います」


ユウは小さく頷き、安堵の息を漏らす。


けれど、心の奥ではまだ渦のような不安が残っていた。


そして、不意に口をついて出た。


「・・・シュリも、そういうことを・・・したいと思うの?」


それは、無邪気な問いだった。


けれど、声にはどこか熱がこもっていた。


シュリは一瞬、言葉を失う。


「・・・それは・・・お相手の方によります」


「好いている人なら?」


ユウの青い瞳が、まっすぐに彼を射抜く。


逃げ場のない視線。


胸の奥が熱を帯びる。


「・・・好いている人ならば、もちろん・・・したいと思います」

答えた瞬間、空気が止まった。


風が強く吹き抜け、二人の髪を揺らす。


その風で、シュリはようやく我に返った。


――危ない。


このままでは、心の奥を全部見透かされてしまう。


「あ・・・」

思わず口を押さえる。


横目でユウを見ると、彼女もまた頬を紅潮させていた。


互いに、言葉を失ったまま。


風だけが、湖の上を渡っていく。


胸の奥が、痛いほど熱い。


ユウに対する気持ちは明白だった。


それでも。


ーーこの想いだけは、誰にも知られてはいけない。


シュリは頬を赤くしたまま、目を伏せた。



ユウも、またシュリの熱い眼差しに心が震えていた。


『好いている人なら・・・もちろん・・・したいと思います』


まるで自分に言われたかのようで、胸が高鳴った。


火照る顔に湖風心地よい。


けれど、それと同時に不安は未だに胸に残る。


湖面を渡る風が、少し冷たくなった気がした。


ーーあのシュリですら、そう思うのなら・・・男の人は女性に対して、

欲があるのだろう。


遠い海の向こう。


レイが笑っているのなら、それだけでいい。


けれど、胸の奥の波は、まだ静まってくれなかった。


「レイが幸せなら・・・それで良いのだけど」

思わず口に出た言葉に、シュリは黙って頷く。


セージ様と穏やかに。


平和な日々を過ごしてほしい。


ユウが抱いたささやかな願いはーー叶わなかった。


次回ーー明日の20時20分


潮風に馴染み始めたレイの暮らしに、ある日、不穏な声が届いた。

セージが選ぼうとしている道は――姉たちの領と刃を交える未来。

握りしめたシーグラスの冷たさが、胸騒ぎをいっそう強くした。

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