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母の策――妾になるのではなく、嫁ぐために

手紙を受け取ったミミは、丁寧に封を切り、静かに開いた。

しんと静まり返った室内に、紙の擦れる音だけが響く。


――母上は、この人に何を書いたのだろう。


やがて、ミミは最後まで読むと、静かに手紙を折りたたんだ。


長い沈黙ののち、ふいにシュリへ視線を移す。


「この手紙の内容を・・・知っているの?」


「いえ、存じません」

シュリははっきりと答えた。


「ミミ様にお渡しするように――と、シリ様から頼まれただけです」


「・・・そう」

ミミは目を伏せ、指先に力を込めた。


「・・・母上は・・・何を」

こらえ切れず、ユウは問いかけてしまう。


ミミはユウをじっと見つめ、それからウイとレイへも視線を移した。


その時、ユウは初めて妹たちを紹介し忘れていたことに気づき、顔を赤らめる。


「・・・名前を伝えるのを、忘れてしまいました」

語尾がどんどん小さくなる。


ミミはふっと微笑んだ。


「ご紹介はなくとも大丈夫。イーライから伺っています」


部屋の隅のイーライが黙って頷く。


「ユウ様――シリ様の生き写し」

視線が移る。


「そして、ウイ様。場の空気を柔らかくする力をお持ちだと」

群青の瞳が驚きに揺れた。


「・・・亡きグユウ様に似ておられる、レイ様」

夜の湖のような黒い瞳のレイを見る。


ミミはひと呼吸おいて、手紙を胸もとに押し当てた。


「この手紙には・・・シリ様が、あなた方三姉妹の縁談を、私に委ねたいと書かれていました」


「・・・縁談・・・」

三人の瞳が一斉に大きく見開かれる。


ミミは一度目を伏せ、言葉を選ぶようにゆっくりと口を開いた。


「『娘達は、まず妃の御座所にてお育てくださり、

 やがては妃の御手により、しかるべき縁談を整えていただきたく存じます。

 娘たちを領主の元へ嫁がせるよう、どうかご配慮を賜りたく』・・・と」


言葉は穏やかで、丁寧だった。


けれどユウには、母の真意が痛いほど伝わった。


――妾として扱わせはしない。


母はそう婉曲に書き残したのだ。


ユウの胸が熱く、そして冷たくなる。


母が最期に願ったのは、娘たちを「守る」ための縁談だった。


その願いの重さに押し潰されそうで、それでも背筋を伸ばさずにはいられなかった。


そのとき、部屋の隅で控えていたイーライは、密かに息をのんだ。


――なるほど。


これは、キヨ様が娘たちに毒牙を伸ばさぬよう、妻であるミミ様に先手を打たせたのだ。


キヨ様本人に直接書かず、妃に委ねることで、逆らいにくい形を作った。


なんと・・・賢い妃様だ。


イーライの胸に、亡きシリへの畏敬の念が静かに広がっていった。


イーライはさらに思いを巡らせる。


この時代、娘の縁談を決めるのは領主の務めだった。


縁談とは女の幸せそのもの。


力ある領主には名家からの縁談が舞い込み、娘は豊かで安泰な未来を得る。


だが、力を失った家には、誰も良縁を持っては来ない。


そうなれば、姫君は妾の道しか残されない。


――シリ様はそれを知っていた。


だからこそ、縁談を「政のこと」として妃に託したのだ。


そのとき、ミミの視線は娘たちから、ゆっくりとシュリへと動いた。


戸惑うシュリの顔をしばらく見つめ、静かに告げる。


「・・・そして、もう一つ。『亡き夫グユウの遺志に従い、シュリを長女ユウのもとに置き、行く末を助けていただきたく存じます』」


部屋の空気が一瞬で張り詰めた。


ユウの瞳が揺れ、シュリは言葉を失ってその場に立ち尽くす。


――母上は、最期にまで・・・。


ユウの胸に熱いものが込み上げ、指先がかすかに震えた。


シュリは思わず息を呑み、胸に熱が広がる。


ミミは続けた。


「あなたは・・・グユウ様とシリ様に、深く信頼されていたようですね」


「・・・勿体ないお言葉です」

動揺を隠せず、シュリは深く頭を垂れた。


「さらに――『シュリの剣術の腕は確かゆえ、これを活かしてほしい』とも。

ただの乳母子ではなく、娘たちを守る力として・・・そう記されていました」


ユウははっと息を飲み、シュリの横顔を見た。


胸の奥がかすかに震える。


母が遺した願いは、縁談だけではなく――「守る力」としてのシュリをも託していたのだ。


動揺で言葉を失うシュリ。


そして、安堵にわずかに微笑むユウ。


その表情を見て、イーライの胸中はざわついた。


理由もなく落ち着かなくなる。


同時に、冷静な思考が働く。


――年頃の姫に、あえて男の乳母子をつけるよう願い出た。


それは奇異にも思えるが、シリ様の意図は明白だ。


文面を読むかぎり、あのシュリという使用人は腕が立つ。


もし姫に危害が及んだとき、力の弱い乳母や侍女では何もできない。


だが、剣を握れる男の乳母子ならば、身を挺して守ることができる。


これは・・・キヨ様の毒牙から娘たちを守るための、シリ様なりの周到な策。


イーライは胸の奥に、亡き妃への畏敬と重みを深く刻んだ。


「・・・シリ様のご意志を、確かに受け取りました」

ミミは手紙をそっと胸に抱きしめた。


「ユウ様の乳母は・・・」

振り返り、後方に控える乳母たちを見渡す。


「私でございます」

ヨシノが一歩進み出て、深く頭を下げた。


「そう。――少し、この部屋に残ってくださる?」

「承知いたしました」

ヨシノは静かに頷いた。


ミミの目線が、次にイーライへと移る。


「イーライ、姫様方にお茶を」


「はっ」

イーライは胸に手を当て、恭しく頭を下げた。



姫君たちの衣擦れの音が遠ざかり、扉が閉じられる。


先ほどまで張り詰めていた空気が嘘のように消え、今度は大人たちだけの沈黙が広がった。


部屋にはミミ、メアリー、そしてヨシノだけが残った。


「ユウ様の乳母、ヨシノと申します」

ヨシノは深々と頭を下げる。


「ヨシノ。・・・あの青年、シュリはあなたの子なの?」

ミミは静かに問いかけた。


「はい」

ヨシノの瞳は澄んだ茶色。――あのシュリと同じ色をしていた。


「教えてほしいの。どうして男のシュリが、ユウ様の乳母子になったのか」


ヨシノの喉が小さく震えた。


そして、堪えるように言葉を絞り出す。


「あの子は・・・ユウ様より一つ年上の兄君、シン様の乳母子でした」


「・・・あの子ね・・・」

ミミは目を伏せる。


脳裏に浮かぶのは、あの戦の光景。


争いに敗れ、わずか五歳で串刺しにされたセン家の長男。


その幼い命を奪ったのは――夫キヨ。


胸の奥に、冷たい痛みが走った。


「シン様が亡き後、領主グユウ様がシュリに命じました。

これからはユウ様の乳母子となり、常に傍らに仕えるように・・・と。

それから、あの子はずっとユウ様のそばにおります」


ヨシノの声は、深い年月をなぞるように静かだった。


「・・・そうなの」

ミミは頷き、しばし考えるように目を伏せた。


「シュリは・・・剣の腕が立つと聞きました。けれど、それ以外に・・・?」


問いかける声は、どこか不思議そうで、探るようでもあった。


ヨシノは深く頭を下げ、静かに言葉を紡ぐ。


「ユウ様は・・・とても繊細で、感情の波が激しいことがございます。

時に激しい怒りに呑まれてしまうことも・・・。

それを抑え、落ち着かせられるのは・・・シュリだけなのです」


言葉を重ねるヨシノの瞳には、深い確信が宿っていた。


「・・・シリ様は、それも見抜いておられたのだと思います。

ユウ様を支えられるのはシュリだと・・・。

だからこそ、最後の手紙に託されたのでしょう」


「ヨシノ、ありがとう。状況はよくわかりました」

ミミの言葉に、ヨシノは深々と頭を下げ、静かに退室した。


足音が遠ざかり、室内に静けさが戻る。

ミミは小さく吐息をこぼし、ぽつりとつぶやいた。


「・・・なんとも、お美しい姫君たち」


「ええ」

メアリーが静かに頷く。



「特に――ユウ様。美しく、そして・・・苛烈」


ミミは黙り込み、窓辺に視線を移した。


外には広大な湖が陽光を映して揺れている。


ーー託されたとはいえ・・・。


胸の奥で言葉が続く。


夫キヨは、かつてからシリ様に執着していた。


その生き写しのような姫を――果たして、自分は守り切れるのか。


不安が胸を冷たく締めつける。


ミミが沈黙に沈むその背を、メアリーはじっと見つめていた。


ほんのわずかに唇が震え、言葉の形だけが浮かんでは消えた。


誰にも届かぬほど小さな声で、彼女は呟いた。


「・・・どれほど策を巡らせても・・・結局は、守りきれるはずがない」


その声は湖の波に呑まれ、静かに消えていった。


次回ーー本日の20時20分

その黒い瞳の主は、誰よりも冷静で――誰よりも姫を知りたい者だった。


ロク城の静寂の中で、彼の胸に芽生えたのは、忠義か、それとも――。


◇登場人物メモ(第5話時点)◇

※物語の進行に合わせて更新していきます。


・ユウ

長女。城での暮らしが始まり、少しずつ心を解かしていく。


・ウイ

次女。明るく無邪気で、姉を支えようと懸命に振る舞う。


・レイ

末の妹。幼さの中に、静かな洞察力を見せ始める。


・シュリ

乳母子の青年。ユウを守る立場でありながら、抑えきれぬ想いに揺れる。


・イーライ

茶を淹れる姿に、忠義と孤独がにじむ。


・ミミ

キヨの正妻。シリの手紙を受け取り、姫たちを見守る決意を固める。


・メアリー

妾のひとり。柔らかな笑みの奥に、静かな覚悟を隠している。


・ヨシノ

乳母。三姉妹を支え続ける母のような存在。


・キヨ

ユウの両親を滅ぼした領主。姿を見せずとも、なお影を落とす存在。


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