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祈りは届かぬまま


「なぜだ。なぜ一度も顔を見せぬ」


ユウが部屋に籠もってから、すでに七日が経っていた。


病と聞かされてはいる。


だが、一向に姿を見せぬユウの不在が、キヨの胸を苛立たせた。


見舞いと称して西棟の二階へ行けば、廊下にはあの黒い瞳の末の姫が立っている。


まるで自分の心の底を見透かすように、動かぬ瞳で。


その後ろで怯えたように、真ん中の姫が「姉上は・・・体調が悪くて・・・」と曖昧に微笑んでいた。


真ん中の姫はまだ良い。


だが、末の姫を見るたびに思い出す。


――死んだ、あの暗い男の顔を。


グユウ。


さっさといなくなればいいのだ!


「イーライ! ロス家から返事はまだか!」

苛立ちを隠そうともせず、怒声を上げる。


「まだでございます」

イーライは目を伏せて答える。


先ほども二階へ足を運んだが、そこでは乳母子の青年が黙々と木剣を振るっていた。


唖然とする主の前で、シュリは深々と頭を下げた。


「なぜ、そのような場所で・・・稽古を」

キヨが問いかけると、青年は淡々と答えた。


「ユウ様の体調が優れぬゆえ、こちらで早朝稽古をしております」


その言葉、その姿は――まるでユウをキヨの目に触れさせまいとする盾のようであった。


あまりにも迫力ある剣筋に、思わず「励め」と声をかけてしまった己が情けない。


キヨは落ち着かず、窓の下を行ったり来たりと彷徨う。


「せめて・・・一目、お顔を・・・」

欲と焦りが入り混じり、声はひび割れていた。


見かねたイーライが、声を低く落とした。


「・・・一つ、案がございます」


「なんじゃ」

キヨは勢いよく振り返る。


「ミミ様と共に面会を求められては、いかがでしょう」


「ミミ・・・と?」

怪訝そうに眉をひそめる。


「はっ。姫様方はミミ様を慕っておられるようです。この前も秋服を注文するために部屋で集い、親しく語らっておりました。ミミ様を伴えば、必ずや門は開きましょう」


キヨの目に一瞬、光が宿った。


だがすぐに陰りが差す。


「・・・わしは、二人きりで・・・ユウ様と、二人きりになりたいのだ」

未練がましい呟き。


執着と焦燥が混じり合い、声は震えていた。


イーライは瞼を伏せ、深く一礼した。


「いずれ、その時は参りましょう。まずは扉を開けることが肝要にございます」




部屋の扉が、控えめに叩かれた。


――この音色、誰かはわかる。


「入って」


ヨシノが扉を開く前に、ユウは本のページを指でめくりながら声をかけた。


「ユウ様、おはようございます」

イーライが静かに入室し、深く頭を下げる。


「イーライ・・・おはよう」

ユウは静かに答えた。


今日も暑い日になりそうで、強い日差しが部屋を包む。


その光に照らされて、ユウの金の髪はまるで炎のように輝いていた。


「お身体の調子はいかがですか」


「今日も調子が悪いの。寝台から起き上がれないわ」

ユウはソファに腰を下ろしたまま、見え透いた嘘を口にする。


「そうでございますか」

イーライは表情を変えずに頷いた。


「本日は・・・ミミ様が面会を求めておられます」

静かに告げられた言葉に、ユウは顔を上げる。


「ミミ様が?」


「はい。謁見の間でお待ちです」

涼やかな黒い瞳がユウを見据える。


――今日も、美しい。


イーライは心中でそう呟きながら、その揺れる思いを決して顔には出さなかった。


「・・・あの男もいるの?」

ユウの声音が鋭く変わる。


「おります」

眉ひとつ動かさず、イーライは答えた。


沈黙が落ちる。


ユウは長くイーライを見つめ、それから小さく呟いた。


「・・・あなたは賢いのね」

悔しげに吐き出された言葉。


「お褒めにあずかり、光栄にございます」

イーライはわずかに頭を垂れる。


ユウはゆるやかに立ち上がり、窓辺へ歩み寄った。


湖面に光を返すロク湖が、まぶしく広がっている。


――自分の振る舞いが妹たちに負担をかけている。


籠もり続けるのは、もう限界だ。


逃げるのではなく、あの男に立ち向かわなければならない。


ユウは目を閉じ、深く息を吐いた。


「・・・いつ伺えばいいの?」


「一時間後に、お待ち申し上げております」


「わかったわ。伺います」



こうして三姉妹は、久々に西の棟を出て、城の本館へと足を運んだ。


娘たちの後に、シュリと乳母たちも付き添う。


「姉上・・・本当に良いのですか?」

ウイが不安そうにユウの横顔をうかがう。


「一生、あの部屋に閉じこもるのは無理なのよ。・・・ウイ、レイ、ありがとう」

ユウは柔らかく微笑んだ。


「私は別に・・・」

レイはそれだけ言って口をつぐむ。


――姉上を助けるためなら、いくらでも籠もっていられるのに。


そう思っても、それ以上は言葉にしなかった。


もとより寡黙な娘だった。


本館の奥へ進んだとき、ふいに廊下に震える声が響いた。


「・・・シリ様・・・!」


叫ぶようなその声に、ユウは思わず足を止める。


視線の先、廊下の端に一人の青年がいた。口を押さえ、蒼白な顔でこちらを見つめている。


「あなたは・・・?」

ユウが小さく問いかけたとき、背後から落ち着いた声が重なった。


「オリバー様。お久しゅうございます」


振り返れば、微笑んだシュリの姿があった。


幼かった三姉妹と家臣は直接的な接点は、ほとんどなかった。


けれど、乳母の子として育ったシュリは、幼い頃にオリバーに遊んでもらった記憶がある。


その懐かしさが胸に込み上げ、思わず声が弾んだ。


姫と乳母子――同じ場に並び立ちながらも、その育ちと距離感の違いが鮮やかに浮かび上がる。


青年の表情が和らぐ。


「シュリ・・・! 俺よりも大きくなったのか!」


後ろの乳母たちも懐かしさにどよめいた。


ユウは察する。


ーーこの若い家臣は、かつてレーク城にいた者だと。


「お目にかかるのは十年ぶりです・・・」

オリバーは深々と一礼した。


その瞳は潤み、顔を上げるとユウをまっすぐに見つめる。


「ユウ様・・・お噂はかねがね。本当に・・・シリ様に似ておられる・・・」


その声には、亡き領主を思い出す切なさが滲んでいた。


そして隣に佇む末の姫へと視線を移す。


「レイ様・・・あなたは赤子でいらした。・・・本当に、グユウ様に似ておられる」


声は次第に震えていった。


初対面の若い兵が自分たちの顔を見て、泣きそうな顔をしている。


ユウも、レイも戸惑いを隠せずにいた。


その背後から、サムが静かに口を開く。

「レーク城を出る時・・・オリバーがウイ様を抱いて救ったのだ」


「えっ・・・そうなの?」

ウイが驚いたように顔を上げ、恥ずかしそうに頬を赤らめた。


「はい・・・大きくなられました」

オリバーは懐かしそうに、群青色の瞳を優しく見つめた。


「ミミ様がお待ちです」

イーライの低い声に、空気が張り詰めた。


涙に濡れるオリバーの眼差しを背に受けながら、ユウは深く頭を下げる。

そして、静かな決意とともに謁見の間の扉を越えた。




ユウたちの背が角を曲がり、姿が消えた。


その直後、オリバーは震える声でつぶやいた。


「・・・似ている。シリ様にも・・・グユウ様にも」

胸を押さえ、かすれた声を絞り出す。


「あぁ・・・お二人に逢えたような・・・そんな気持ちになるな」

サムは、その肩に手を置いた。


オリバーは小さく息を吐き、問いかける。


「あの・・・レイ様が・・・嫁ぐのですか?」


「・・・その方向で話が進んでいる」

サムの声は低く重かった。


「まだ・・・幼いのに」


オリバーの脳裏に、先日の重臣会議が蘇る。


あの場に自分もいた。


だが最年少ゆえ、発言権はなかった。


一方、仕えのイーライは・・・自分より若いというのに、迷いなく鋭い意見を放っていた。


否が応でも、己の力不足を思い知らされる。


「・・・そうだ」

サムの言葉は鋼のように重い。


「この件・・・姫様方はご存じなのでしょうか」


「まだだ。決まっていないことを、伝えるわけにはいかぬ」

苦しげな声音が、廊下に響く。


「・・・そうですか」

オリバーは俯き、唇を噛んだ。


サムは目を閉じ、低く祈るように言葉を落とす。


「・・・祈ろう。縁談が断たれることを」


その声は暗い廊下に沈み込み、誰も返すことができなかった。


だが、その祈りが届くことはなかった。

次回ーー明日の9時20分

※木曜日と日曜日は2回更新


笑う男、沈黙の女。

謁見の間でユウは、運命の糸が静かに絡むのを感じていた。

祈り届かぬまま、姉妹の未来は決められていく――。




前作『秘密を抱えた政略結婚』から続く物語です。

ユウ、ウイ、レイ、シュリはもちろん、サム、オリバーも登場しています。

それぞれの想いが交錯し、運命の歯車が動き出します。


▼シリーズ本編


*『秘密を抱えた政略結婚 〜兄に逆らえず嫁いだ私と、無愛想な夫の城で始まる物語〜』**

https://ncode.syosetu.com/n2799jo/

<完結>


*『秘密を抱えた政略結婚2 〜娘を守るために、仕方なく妾持ちの領主に嫁ぎました〜』**

https://ncode.syosetu.com/n0514kj/

<完結>



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