縁談という名の鎖
モザ家を討ち、ロク城に凱旋したキヨの顔には、珍しく晴れやかな笑みが浮かんでいた。
「モザ家を倒し、国王まであと一歩だ!」
勝ち誇った声に、家臣たちは一斉に頭を垂れ、城門は歓声で揺れた。
奥へ進むと、ミミが柔らかな笑みで迎え出た。
「おかえりなさいませ」
声音は穏やかだが、その目は冷ややかに光る。
その背後には妾たちが並び立ち、続いてメアリーも静かに一礼する。
「ご無事で、何よりにございます」
灰色の瞳は揺れず、ただ受け止めていた。
だが――そこに、ユウの姿はない。
キヨは足を止め、左右を見渡した。
勝利の余韻に酔っていた顔が、急に不安げに揺らぐ。
廊下を進みながら、まるで迷子の子のように視線を走らせた。
近くに控えていたイーライを呼ぼうとしたその時。
「どなたをお探しですか?」
ミミが静かに問いかけた。
微笑んでいたが、目は笑っていなかった。
「いや・・・久しぶりにミミの顔を見たら、疲れが吹き飛んだ!」
慌てて体裁を整えるキヨ。
だがその声はどこか裏返り、勝者の威厳よりも、子供の言い訳のように響いた。
ミミは小さくため息を漏らし、メアリーは黙って微笑んだ。
二人の目に映るのは、権勢に酔う勝者の姿ではなく――滑稽な男の横顔だった。
◇廊下
喧騒の中、キヨはイーライを手招きする。
「イーライ!」
呼ばれたイーライは、すぐに深く頭を垂れた。
「無事のご帰還、誠に――」
挨拶を述べようとしたが、キヨは待ちきれぬように手を振った。
「ユウ様はどこじゃ?」
「ユウ様は・・・体調が優れず」
イーライは眉ひとつ動かさず答えた。
「なんと!」
キヨは声を張り上げ、両手でイーライの肩を掴む。
「すぐにお見舞いに行かねば!」
「それは・・・」
イーライはわずかに視線を落とす。
――見舞いになど来られては困る。
ユウ様の機嫌が、ますます悪くなる。
だが真実は言えぬ。どう切り抜けるべきか。
頭脳が必死に回る、その時。
「兄者!」
鋭い声が場を裂いた。現れたのは弟エルだった。
「これから重臣会議を始めます!」
「・・・会議?」
キヨが間の抜けた声を出す。
「久々に全軍が揃ったのです!」
エルは腰に手を当て、鋭く言い放つ。
「今後を定める策を練らねばなりません!」
「それは・・・わしのいないところでやれ」
キヨは手を振り、なおも西棟の方角に未練げな視線を送る。
「兄者が不在でどうするのです!」
エルの叱責が広間を震わせた。
「・・・わかった」
しぶしぶキヨは頷いた。
その声にイーライは胸を撫で下ろす。
「イーライ、お前も来い」
エルの言葉に、イーライは息を呑んだ。
――私が・・・重臣会議に?
ただの仕えであるのに。
信じられぬ思いに胸が熱を帯びる。
自分の働きが、主たちに認められた証なのだ。
たとえ端に控えるだけでも、この場を逃すわけにはいかない。
「承知しました」
抑えきれぬ高鳴りを胸に、イーライは深く頭を垂れた。
◇三姉妹の部屋
その日、三姉妹はひっそりと部屋に籠っていた。
遠い本館からは、キヨの凱旋に沸く歓声が途切れることなく響いてくる。
だが、この部屋には一片の熱狂も届かない。
静寂の中で、ユウは深く息を吐いた。
「カモミールティーをお入れしましょうか」
ヨシノが控えめに声をかける。
「そのお茶ではなく・・・」
ユウは低く呟いた。
欲しているのは、穏やかさではなく――鎮める力。
「ペパーミントを」
「承知しました」
やがて室内に、清涼な香りが漂った。
ユウは窓外に視線を向け、少しだけ肩の力を抜いた。
「ユウ様にお手紙が届いております」
乳母のサキが封をした手紙を差し出す。
「私に・・・?」
差出人を見たユウの目が大きく揺れた。
西領の領主、ジュン。
「ジュン様から・・・!」
驚きと戸惑いが混じる声が、震えた。
「私は・・・昔、ジュン殿に刃を向けてしまいました」
居心地悪そうにシュリが呟く。
「そんなこともあったわね」
ユウは小さく笑い、封を開いた。
初対面で敵と勘違いし、首に刃を突きつけたシュリ。
本来なら許されぬ失態を、ジュンは「立派な乳母子だ」と笑い飛ばし、寛容に受け入れた。
その懐の広さに感動した記憶が、ユウの胸に蘇る。
読み終えた手紙を胸に抱きしめ、ユウは瞳を閉じた。
「母上の・・・死を悲しんでくださっている」
震える声。
「残された私たちにも、労りを・・・」
ジュンの気遣いに胸の奥が、じんわりと温かくなった。
ヨシノが顔を顰める。
「ですが、そのジュン様は・・・キヨ様に唯一、頭を下げぬ領主とか」
サキも頷く。
「ええ。キヨ様を国王と認めぬと、はっきり仰っているそうです」
ユウは目を開け、静かに言った。
「・・・私も、ジュン殿と同じ気持ち」
声は澄んでいた。
「けれど、私はキヨの庇護を受ける身。悔しいの」
背中がわずかに震えた。
ソファに座るウイは、黙って姉を見つめ続ける。
――なぜ悔しがるのか。
女であれば庇護を受けるのは当然のこと。
そう割り切れば楽なのに。
沈黙の中、レイが小さく呟いた。
「・・・母上も、そうだった」
女性でありながら、領主のように振る舞った母。
ユウの姿が、その影と重なって見えた。
◇ロク城・大広間
花々で飾られた大広間。
中央に座すキヨは盃を卓へ叩きつけ、声を張り上げた。
「マサシは討った! ゴロクも滅びた! これでモザ家の旗は潰えた!」
重臣たちが一斉に頭を垂れる。
「おめでとうございます」
だがキヨは、手を乱暴に振り払った。
「残るはただ一人――西領のジュン。
あやつさえ屈させれば、この国はわしのものよ!」
昂ぶる声の底に、苛立ちの濁りが滲む。
――あのタヌキめ。笑みの裏で抜け目なく立ち回る。
「ジュン様から手紙が届いております」
サムが羊皮紙を差し出す。
キヨは一瞥すると、手紙を丸めて放り出した。
「シリ様の死を責めておる。なぜ救わなかったと!」
「ジュン様は・・・シリ様と仲が良かったですから」
サムの言葉に、キヨは吐き捨てるように応じた。
「わしだって、生かしたかったわ!」
空気が凍る。
やがてエルが低く言った。
「兄者、ジュン様は手強い。無闇に兵を動かせば、こちらが疲弊する。焦るべきではない」
ノアも静かに続ける。
「あぁ。ジュン殿は賢く、武勇に優れる。勝つことだけが策ではない。
和を結び、懐柔すれば・・・やがて頭を垂れるやもしれぬ」
「丸腰にしろと?」
キヨは椅子を蹴るように前のめりになり、怒声を響かせた。
「わしは力で叩き伏せたいのだ!」
広間は静まり返る。
「イーライ」
エルが声を放つ。
「お前はどう見る」
「・・・私でございますか」
イーライは驚きに声を掠らせた。
「そうだ。申してみよ」
キヨの茶色の瞳が射抜く。
イーライは一歩進み、深く頭を垂れた。
「ジュン様は手強い。力で屈させれば怨みを残し、後の火種となりましょう。
まずは婚姻や贈物をもって心を和らげ、時を待つべきかと」
イーライの発言は的確だった。
「婚姻・・・か」
キヨはゆっくりと目を閉じる。
花の香りすら、息を潜めるようだった。
「ジュンと婚姻」
ゆっくりと目を開き、唇を歪める。
「縁談――姫たちを使えばよいのか」
キヨの一言に、広間の空気が重く沈む。
サムは眉をひそめ、盃の縁を静かに撫でた。
ノアは目を伏せ、短く息を吐く。
イーライは拳を握りしめるが、声を上げることはできない。
それでも三人の胸に去来したのは、同じ思い――姫は人であり、駒ではない。
次回ーー明日の20時20分
「姫たちを使えばよい」
キヨの盃が高く掲げられた。
縁談の名を借りた策謀。
その裏に潜むのは、理ではなく――執着。
「ユウ様は渡さぬ!」
絶叫に満ちた声が、広間を震わせる。
姫を駒とする者と、守ろうとする者。
権力と欲望の狭間で、運命の歯車が狂い出す。
ブックマークありがとうございます。
本当に励みになります。頑張ります。
登場人物
キヨ
ワスト領の領主。権力と野心に取り憑かれた男。勝利の果てに、なおシリの面影を追う。
ミミ
キヨの正妻。表向きは柔和だが、冷静な観察者。キヨを誰よりも理解している。
メアリー
キヨの妾。かつて夫をキヨに殺された過去を持つ。
ユウ
シリの長女。母の知恵と父の激情を継ぐ姫。キヨへの反発を胸に秘める。
ウイ・レイ
ユウの妹たち。沈黙の中で姉の決意を見つめる。
ジュン
西領の領主。シリとは友人だった。キヨに唯一頭を下げぬ男。
イーライ
忠実な家臣。冷静な進言をするが、ユウへの想いを胸に隠す。
ノア・エル・サム
それぞれキヨを支える家臣たち。忠誠と疑念の狭間で揺れている。




