許されぬ想い、揺れる心
馬場に佇むユウの視線が、ふとこちらに向いた。
リオウは背中に痛みを覚えながらも、その場から弾けるように立ち上がった。
視界に入るのは、美しく、誰よりも愛おしい女性。
ーー逢いたかった。
出陣し、怪我で生死の境を彷徨っていた時も、彼女のことを忘れた日はなかった。
堪えきれずリオウは、ユウのへと駆け寄る。
「ユウ様!」
その声に、ユウの瞳が大きく見開かれた。
「・・・リオウ!」
「お元気でしたか」
黒い瞳が愛おしげにユウを映す。
陽の光の中に佇むユウは、飾り気のない乗馬服姿でありながら圧倒的な美しさを放っていた。
リオウは目が眩むような心地になった。
その熱い視線を、ユウの背後に佇むシュリは静かに受け止める。
一方で、イーライは訝しげにリオウを見つめていた。
「・・・お前は」
サムの低い声に、リオウははっと我に返る。
「サム様!」
ユウばかりを見て、隣にいた初老の男に気づかなかったのだ。
慌てて頭を下げる。
「命を助けていただき・・・ありがとうございます」
「元気になったか?」
「お陰様で・・・今、姉に挨拶をしていたところです」
リオウは伏し目がちに答える。
「・・・そうか。良かったな」
サムが優しく微笑んだ。
そのやり取りのあと、リオウは再びユウを見つめ、真剣な声を落とす。
「ユウ様・・・少し、よろしいですか」
居心地悪そうに肩をすくめ、ユウは小さく頷く。
「・・・少しなら」
その視線が隣のシュリへ向けられる。
シュリは静かに頷き返した。
湖のきらめきが広がる岸辺。
背の高い黒髪の青年と、すらりとした乗馬服姿のユウが並び立つ。
――相変わらず、お似合いの二人。
シュリはそう思わずにいられなかった。
護衛として一歩下がり、砂利の上に膝をついた。
◇
「あの男は・・・」
イーライがサムに声を潜めた。
その場には末の姫レイも控えており、静かに二人のやり取りを聞いていた。
「リオウ・コク。その家は滅んでいるが・・・元・領主の息子だ」
「・・・あの者はシズル領の兵では?」
鋭い視線でリオウを見据える。
油断ならぬ敵意がにじんでいた。
「あぁ。シズル領の兵だった。だが、負傷しているところを私が助けた」
サムは平然と答える。
「なぜです?」
イーライが驚きに目を見張る。
「リオウの姉は・・・キヨ様の妾、メアリー様だ。その弟を殺せば、キヨ様は怒るだろう」
「・・・はい」
納得しかねる様子でイーライはうなずき、なおも岸辺を見つめる。
「それに、あのお二人は従兄弟同士だ」
サムの視線がユウとリオウを追う。
「リオウの母君は、グユウ様の姉だ」
「ただの従兄弟にしては・・・」
イーライの目が細まる。
ーー見逃さなかった。
リオウの瞳に宿る、熱。
ユウ様を見つめるあの表情。
「リオウ様は、ノルド城では姉上の婚約者候補だったの」
静かなレイの声が馬場に響いた。
「そ・・・そうなのですか」
イーライは慌てて言葉を返した。
ユウに見惚れるあまり、レイの存在を忘れていたのだ。
「なるほど・・・婚約者候補」
サムが低く呟く。
「リオウ様は、随分と熱心だった」
レイがポツリと声を漏らす。
「その・・・ようです」
イーライはなおも警戒の目を向け、岸辺の二人を見やった。
レイはちらりとイーライを見あげた。
その視線は、含みがあった。
心を見透かされたようで、イーライはどぎまぎする。
「姉上は、その気がないわ」
「そ・・・そうですか」
イーライの顔が少しだけ赤くなる。
ーーひょっとして、この末の姫は、ユウ様に対する自分の気持ちを知っているのだろうか。
不安が湧き上がる。
ーーいや。まさか。自分は気持ちを隠すのは・・・上手な方だと・・・思う。
次の瞬間、レイはイーライを見つめてこう告げたのだ。
「だから、安心して」
その言葉に、イーライの肩がびくりと震えた。
ーー気づいている。確実に。
レイの視線は跪くシュリの背へと移る。
――リオウ様より、むしろ、姉上が想っている人は・・・。
◇
湖風がユウとリオウの間を通り過ぎる。
「リオウ、争いで怪我をしたと聞いているわ・・・大丈夫?」
ユウの問いに、リオウは深く頷いた。
「お陰様で・・・少しずつ回復しております」
そこで言葉を切り、彼は真っ直ぐにユウを見つめた。
――この眼差し。
ユウの胸がざわめく。
リオウが向ける眼差しには、強い想いが滲んでいた。
誠実な青年であることは分かっている。
けれど、その気持ちに応えられず、ユウは視線を落とすしかなかった。
「ユウ様こそ・・・大丈夫ですか」
「私?」
「シリ様を失って・・・」
そこまで言って、リオウは口をつぐむ。
これ以上の言葉が見つからなかった。
「辛いです」
ユウは湖へと目を向ける。
「けれど・・・母上が望んでいたように、私たちは生きなくては。ウイとレイのためにも」
「私は・・・姉のお陰で生き延びることができました」
リオウの声が震える。
拳を握りしめ、黒い瞳に決意の色を宿した。
「キヨは・・・殺された義兄上の敵。ですが、コク家の再興のために、姉は妾となった。
その姉のためにも、私は歯を食いしばって生きていきます」
その悔しさと決意に、ユウの胸も揺さぶられる。
「・・・私もです」
ユウはリオウを見つめ返した。
「キヨは、私の大事なものをすべて奪った。その男に縋りながらでも・・・生きていくしかない」
「私はきっと建て直す。落ちぶれたコク家を再興する」
リオウの声には揺るぎがなかった。
ユウは静かに頷いた。
だが次の言葉は予想もしなかった。
「・・・その時に、ユウ様をお迎えしたい」
「・・・!」
驚きでユウの瞳が大きく見開かれる。
「リオウ・・・ここはノルド城ではないの。私たち姉妹の結婚は、キヨが決めることなの」
動揺を抑え、努めて静かに言葉を紡ぐ。
「それでも・・・です」
リオウの黒い瞳が真っすぐにユウを射抜いた。
「ユウ様をお迎えできるように。私は励みます」
そう言って、リオウはユウの手を取った。
その手は熱く、力強い。
「・・・!」
ユウは慌てて振りほどこうとする。
けれど、その手は離れない。
リオウに手を取られた瞬間、母を失った悲しみと重なり、どうしようもなく胸が締めつけられた。
胸の奥に、抗えない重さが生まれていた。
リオウの手が、ユウの手を強く包んだ。
その黒い瞳は真っすぐで、熱を帯びていた。
「リオウ・・・」
ユウは困ったように視線が彷徨う。
背後に控えるシュリの顔が目に入る。
困惑に揺れる瞳。
忠実な乳母子である彼でさえ、どう反応すべきか迷っている。
ユウの指先が一瞬止まる。
その時。
馬のいななきと蹄の音に混じって、視界の端に黒い影が入った。
イーライが、勢いよく馬場を横切ってこちらへ歩いてくる。
切れ長の瞳が、二人の繋がれた手に鋭く注がれた。
ユウの胸がざわめき、心臓が跳ねる。
「・・・キヨの家臣が見ているわ」
リオウに告げ、慌てて手を引き、背筋を正した。
「・・・コク家の再興を願っています」
努めて落ち着いた声色でユウはつぶやいた。
内心の動揺を隠すように、取り繕うように。
リオウの拳は震え、遠くで見つめるイーライは喉を詰まらせる。
そして、傍らのシュリはただ唇を噛み、視線を落とした。
砂煙が風に揺れ、馬場のざわめきが三人の沈黙をさらに重くした。
◇
その様子を、ウイとメアリーは静かに座ったまま見つめていた。
ウイは唇を噛み、視線を落とす。
ーーリオウ様のことは、ずっと好きだった。
優しい声も、真っ直ぐな瞳も、すべてが初恋の輝きだった。
けれど。
彼の視線が向かう先は、いつだって私ではなく、姉上だった。
その顔つきを見るだけで、残酷なまでに彼の気持ちに気づいてしまう。
胸が焼けるほど苦しいのに、それでも姉上を憎めない。
姉上が誰よりも美しく、強く、私の憧れでもあるから。
姉上には、敵わない。
わかっているのに、それでも心は諦めきれない。
末の妹、レイは静かに姉達を見つめていた。
その眼差しは淡く、けれど確かに何かを思い量っていた。
それぞれの胸に、言葉にできぬ想いが渦巻いていた。
リオウの熱、イーライの警戒、シュリの困惑、そしてウイの切ない痛み。
その中心に立つユウは、ただ静かに目を伏せる。
――私の心が向かうのは、別の人なのに。
けれど、その想いは決して許されるものではなかった。
物語を読んでくださり、ありがとうございました。
執筆の裏側を綴ったエッセイ「連載中に心が折れた。でも完結後に15万PV」を公開しています。
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次回ーー明日の9時20分
※木曜日と日曜日は2回更新します。
湖の夜風が、静かに嵐の訪れを告げていた。
揺れる想いを抱えたまま、ユウは決意する。
「――私は負けない」
イーライは胸のざわめきを押し隠し、
シュリは沈黙の中で祈り、
リオウは姉の言葉に絶望する。
そして翌朝、
ついに――“あの男”が、帰ってくる。
登場人物
ユウ
セン家の長女。母シリ譲りの知略と強さを持つ。
愛を知りながら、それを選べない姫。
シュリ
ユウの護衛で乳母子。誰よりも彼女を想いながら、ただ傍で守ることを選ぶ。
イーライ
キヨの家臣。誠実で不器用。
ユウを想いながらも、それを悟られぬよう抑える。
リオウ
コク家の嫡男。かつての婚約者候補。
今もユウを慕い、再会の場で想いを告げる。
(ウイ → リオウ → ユウ)
ウイ
セン家の次女。純粋で繊細。姉を好いているリオウに惹かれてしまう。
レイ
末の妹。姉たちの想いを静かに見守る観察者。
サム
レーク城の重臣。シリの遺志を継ぎ、三姉妹を支える。
メアリー
リオウの姉でキヨの妾。冷静な観察者として、若き恋の行方を見守る。




