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強すぎる絆は、救いか滅びか

青いドレスを身体にあてがうユウの姿に、イーライは無言で見つめた。


――どの色も似合うに違いないが、この色はとりわけ映える。


わずかに熱を帯びたその眼差しに、シュリの茶色の瞳がすっと重なる。


じっと見据えられたことに気づき、イーライは慌てて任務の言葉へと逃げ込んだ。


「・・・キヨ様は、このドレスをお召しになり、明日の出陣のお見送りを、と」


ユウの表情がぴたりと固まる。


次の瞬間、ドレスを静かにテーブルへと置いた。


「・・・シュリ、ハンカチを」


奥に控えていたシュリが訝しげに差し出すと、ユウは受け取り、自らの指先を丹念に拭った。


まるで汚れたものに触れたかのように。


美しいはずのドレスを、ユウは一瞥すら与えず、テーブルの上に遠ざけた。


その仕草に、イーライの胸がざわめく。


「イーライ」

ユウの声は淡々と、しかし氷のように冷たかった。


「キヨに伝えてちょうだい。『私は、明日、具合が悪くなります』と」


「・・・それは・・・!」

イーライは思わず口を開いた。


反論の言葉を探すように唇が動く。


だが、射抜くようなユウの眼差しを受けた瞬間、その言葉は喉奥で凍りついた。


――この人の前では・・・言葉が出ない。


苦しげに視線を伏せる。


普段なら、目上の者を前にしても滑らかに言葉を操れる。


武力も家柄も持たぬ自分がここまで出世できたのは、頭の回転と交渉の技ゆえだ。


なのに・・・。


「イーライ」

ユウの静かな声が落ちる。


「明日、あの男がどこを攻めるか、ご存知かしら」


「・・・ミンスタ領、シュドリー城です」

すでに彼女の伝えたいことは理解していた。


それでも、答えを返さねばならない。


「そう」

ユウはわずかに顎を上げ、青い瞳に怒りの光を宿す。


「あの城は叔父上が築いたもの。そして母の生家。その主は、私の従兄弟」


「・・・おっしゃる通りです」

イーライは深く頭を垂れた。


「モザ家の血が絶えようとしているのに・・・」

ユウの声が震える。


「ドレスを着て出陣を見送れですって? 馬鹿にしているわ!」

最後の叫びには、燃え上がる憤怒と屈辱がこもっていた。


「そうよ!」

ウイが援護するように声を張り上げた。


「出陣を見送れだなんて!」

叫んだ直後、群青の瞳が涙で揺れ、今にも零れそうになる。


イーライは言葉を失い、ただ俯いたままだった。


「・・・あの男は、セン家ではなく、モザ家の血を絶やそうとしている」

ユウの青い瞳は怒りに燃え、いっそう鮮烈に輝いていた。


その様子を見て、シュリは即座に判断する。


――このままでは怒りが爆ぜる。


そっとユウの背後に立ち、震える背中に手を添えた。


「ユウ様」

耳元で低く囁く。


「イーライも、命じられたに過ぎません。・・・お怒りになる相手は、別にございます」


イーライは顔を上げ、揺れる眼差しでその光景を見つめていた。


ユウは長く瞳を閉じる。


――私たちはキヨの庇護の下にある。


ウイとレイのためにも・・・感情に呑まれてはいけない。


「・・・息を吸って。・・・そして、吐いて」

シュリが静かに誘う。


やがてユウはゆるやかに瞳を開いた。


怒りは消えぬものの、その気配は幾分か鎮まっていた。


だが、その青い眼差しの奥底には、なお強烈な炎が揺らめいている。


その視線に、イーライの胸が不意にざわめいた。


「・・・とにかく、明日は出陣を見送ることはしません」

ユウは抑えた声で告げる。


「・・・はっ」


「けれど、約束しましょう」

ユウの声音には苦渋が滲んでいた。


「次の出陣には、このドレスを着ます」


――それが、せめてもの抵抗。


「・・・承知しました」

イーライは言葉少なに頷き、少し間を置いてから口を開いた。


「ユウ様、一つ提案してもよろしいでしょうか」


「・・・何かしら」

ユウは顎を上げる。


「明日、キヨ様にはこうお伝えします。

『体調が優れない。次の出陣の折には必ずドレスを纏う』と」


その言葉に、ユウは小さくため息を洩らした。


――確かに、それが最も角を立てぬ収め方。


「・・・イーライ。あなたは・・・賢いのね」

ユウは静かに呟いた。


「もったいないお言葉です」

イーライは少しだけ頬を染め、深く頭を下げた。


ユウはため息を吐き、力なくドレスに視線を落とす。


怒りは抑え込んだ。けれど瞳の奥には、まだ鋭い炎が残っていた。


その一部始終を、レイは黙って見ていた。


黒い瞳は、姉とシュリのやり取りにじっと注がれている。


冬の湖面のような黒い瞳が、一瞬だけ姉とシュリを測るかのように揺らめいた。


イーライは静かに扉を閉め、音を立てぬよう廊下へ歩み出た。


細く息を吐く。


胸の奥に溜め込んでいたものが、ため息となって漏れ出た。


――気の進まぬ役目だ。


ユウ様の前に立つたび、その顔が怯みに翳る。


まるで自分が災いを運ぶ使者であるかのように。


「・・・本当は怯えられるよりも・・・」


心の奥で何かが言葉になりかけた瞬間、イーライはかぶりを振った。


ーーそんな感情を抱くこと自体、許されぬ。


任務に徹しろ――己にそう言い聞かせる。


今日は、あの使用人のおかげで助かった。


歩を進めながら、イーライの脳裏には先ほどのやり取りがよみがえる。


ユウ様の背を支え、耳元で静かに諭した青年。


使用人――いや、乳母子にすぎぬはずだ。


それなのに、あの二人のあいだに流れる絆は、主従のそれを超えている。


強く、固く、揺らぎのないものに見えた。


「・・・このことも、キヨ様に報告せねば」


小さく呟き、イーライは再び感情を押し殺すように目を伏せた。



部屋の扉が閉まった後、ユウは静かに口を開いた。


「ウイ、レイ、今日はありがとう。・・・まだやることがあるから、先に休んで」


ーー姉上は、私たち姉妹には言えない何かを抱えている。


ウイは寂しげにその横顔を見つめた。


寄り添っているのは、自分たちではない。


シュリなのだ。


二人は託すようにシュリへ視線を送ると、言葉もなく深く頭を下げ、静かに部屋を後にした。


部屋に残ったのは、ユウとシュリ、そしてヨシノだけだった。


ユウは唇を噛み締め、瞳の奥で怒りを燻らせている。


――このままでは危うい。


シュリは直感した。


「母さん、寝室に行ってもらえますか」

静かな声に、ヨシノは一瞬躊躇ったが、黙って隣室へと身を引いた。


静まり返った空気の中、シュリはそっとユウの背に手を添える。


「・・・今日は、よく堪えておられました」


ユウは瞳を閉じ、深い吐息を洩らした。


「・・・堪えたのではなく、抑え込んだだけよ」


「・・・それでもです」


「母上の言った通りだわ。モザ家も・・・潰される。あの男に」

ユウはシュリをきっと見据え、その直後に涙が零れ落ちた。


「・・・あの男が奪っていく。それなのに、私はその男のもとにいる」


「モザ家はなくなりません」

シュリはユウの手を取って、しっかりと握った。


「ウイ様も、レイ様も。そして――ユウ様、あなたこそがモザ家の希望です」


母、そして本当の父ゼンシはモザ家の血を引く。


その二人を親に持つユウこそ、生粋のモザ家の人間だ。


「・・・シリ様もおっしゃっていました。『モザ家の血も繋いでほしい』と」

その言葉に、ユウは堪えきれず、シュリの胸に飛び込む。


声をあげて泣く。


誰にも見せない幼い姿。


姉としての顔も、領主の娘としての仮面も捨てて――シュリの前だけは、本当の自分でいられるのだった。


やがてーーユウは散々泣いた後に、シュリの腕の中で眠りに落ちた。


シュリはしばし、その寝顔を見つめていた。


涙の跡を残しながら眠る横顔は、あまりに幼く、あまりに儚い。


――この方を、必ず守る


心の奥で誓いが芽吹く。


それは誰に聞かせるものでもなく、ただ彼自身の中に刻まれる誓約だった。


そっと抱き上げ、寝台へと連れていく。


寝室にはすでにヨシノが佇んでいた。


「・・・寝ました」

シュリはユウを寝台に静かに横たえる。


その姿を、ヨシノは複雑な眼差しで見つめていた。


ーーユウ様とシュリの絆が、主従を越えてあまりに強すぎる。


その強さが、彼女らを救うのか、あるいは滅ぼすのか。


その不安は、明日の出陣の気配と共に、じわりと部屋を覆っていった。


次回ーー本日の20時20分 <本日二話更新>


出陣の朝。

「ユウ様は体調不良により、お見送りできぬとのことです」

イーライの報告に、キヨの顔が歪む。


一方その頃、ユウは静かに窓辺から軍勢を見つめていた。

「――殺したい。あの男を」

抑えきれぬ怒りと、届かぬ無力の狭間で。


外では軍が動き出し、城には不穏な影――

キヨの妾、メアリーの冷たい視線が忍び寄っていた。


◯この話はシリーズものです◯


イーライ以外の登場人物は、シリーズ1から登場しています。前作を読むと、世界観が深まると思います^ ^


▼シリーズ本編

*『秘密を抱えた政略結婚 〜兄に逆らえず嫁いだ私と、無愛想な夫の城で始まる物語〜』**

https://ncode.syosetu.com/n2799jo/

<完結>


イーライ登場

*『秘密を抱えた政略結婚2 〜娘を守るために、仕方なく妾持ちの領主に嫁ぎました〜』**

https://ncode.syosetu.com/n0514kj/

<完結>


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