一つずつ終わらせる
窓からの光が、ゆっくりと夕方の色へ変わっていく。
ユウの部屋の小窓が、控えめにカチッと鳴った。
振り向くと、レイの乳母サキが、どこか落ち着かない様子で立っていた。
「レイ様は……今夜は食欲がないようです。夕食には来られないと」
少し肩をすくめたサキを見れば、嘘が苦手な人だとすぐに分かる。
「わかったわ」
ユウは、ほんの少し顔を上げた。
「レイには、ゆっくり休むように伝えて」
その笑顔は、不自然なほど柔らかかった。
サキが帰ると、部屋は恐ろしいほど静まり返った。
シュリは、何か言おうとして、結局言葉を飲み込む。
いつものユウなら、怒りも悲しみも、すべて自分にぶつけてくる。
だが――
今は違った。
一度決めたことは、もう揺らがない。
ユウは妾になるという事実を受け入れ、必要なことだけを事務的に進めていた。
そのことについて、誰とも話そうとはしない。
春の光があまりに明るい日々を、ユウは静かに、冷ややかに過ごしていた。
シュリが何か言おうと口を開いた時、
ユウは真っ直ぐにシュリを見つめた。
「シュリ、明日から早朝稽古に参加して」
ユウの声は、ひどく落ち着いていた。
シュリは一瞬、言葉を失う。
この数日――
ユウの様子が心配で、稽古には顔を出さず、そばで見守っていたのだ。
それなのに。
「……ですが」
言葉を探すように口を開く。
「心配いらないわ」
ユウは微笑んで、窓の外を眺める。
ーーユウ様は、本当に大丈夫ですか?
そう言いかけて、シュリは言葉を飲み込んだ。
それ以上踏み込めば、壊れてしまう気がした。
ユウの横顔は、あまりにも毅然としていた。
「シュリ、この荷物を運んでもらえる?」
背後でヨシノが声をかける。
シュリが静かに去った後、ユウは窓辺に立ち呟いた。
「一つずつ終わらせなくては」
窓ガラスに映った自分は、夕焼けで赤く染まっていた。
「ヨシノ」
ユウは振り返らず、ヨシノに声をかけた。
「明日の早朝に、ミミ様と面会をしたいの。話を通してくれる?」
夕飯のフォークを並べていたヨシノの手が止まる。
「ミミ様ですか」
ーー早朝になぜ。
ユウは微笑みながら答えた。
「その時間が良いの。シュリには内密に」
同じ頃ーー
◇城の本館 控えの間
「この素材はいかがでしょうか。上質なものでございます」
商人ソウが、透ける素材の布をイーライの前に差し出した。
イーライは確かに、その布を見ていた。
だが――頭には入ってこない。
「イーライ様……?」
控えめにソウが声をかける。
イーライははっと我に返り、慌ててテーブルの上の布地を見つめた。
しかし、すぐに手が止まる。
ユウの衣類を選ぶのは、いつもイーライの役目だった。
ユウがより輝くように。
布の手触り、質感、色を吟味し、時にはデザインにまで口を出す。
それは、イーライの得意な仕事だった。
けれど――
ユウが主と夜を過ごすための衣類だけは、どうしても選ぶことができなかった。
素材を手に取るたび、胸が詰まり、視線を落としてしまう。
女性の衣類選びも、そつなくこなせる。
それが、自分の強みだった。
そんな自分を、イーライは嫌いではなかった。
それなのに――
この任務だけは、どうしてもできなかった。
イーライは目を伏せたまま、生地を見つめ続けていた。
見かねたように、ソウが静かに口を開く。
「ここは私にお任せください」
その声音は、驚くほど柔らかかった。
「必ず、キヨ様がお気に召すものをご用意いたします」
イーライが顔を上げると、ソウはどこか切なげに微笑んでいた。
「……頼む」
イーライの声は低かった。
その時、控えの間の扉がノックされた。
振り向くと、サムが立っていた。
「イーライ、ミミ様がお呼びだ」
「私にですか?」
「ああ。執務室まで来てくれ」
イーライは一瞬だけソウを振り返る。
ソウは静かに頭を下げた。
「急ぎで仕上げます」
「……頼む」
先ほどより落ち着いた声だった。
執務室へ向かう途中、サムがちらりとイーライを見る。
「少し痩せたようだ。体調は?」
「問題ございません」
イーライは淡々と答えた。
「それより、なぜミミ様が私に?」
「わからぬ」
サムは首をひねる。
「ずいぶん急ぎのようだ。キヨ様もおられる」
その言葉に、イーライの歩みがわずかに早くなった。
執務室の扉を開く。
部屋には、キヨと、その妻ミミが座っていた。
「お待たせいたしました」
イーライは深く頭を下げる。
「イーライ、座って」
ミミが穏やかに微笑んだ。
イーライは戸惑いながら、国王夫婦の前に腰を下ろす。
サムは後ろに控えた。
しばらく、誰も口を開かなかった。
執務室には、静かな空気が流れている。
やがてミミが、イーライをまっすぐ見つめた。
「今日はね」
ほんの一瞬、ミミの視線が揺れた。
「イーライに縁談の話があります」
次回ーー明日の20時20分
想ってはいけない人がいる。
それでも――彼は、別の女を選ばなければならなかった。




