表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
203/206

姉上は、そんな人じゃない

◇ サカイ城 西棟 レイの部屋


三日後――。


三月の柔らかな日差しが、部屋を満たしていた。


穏やかな午後。


レイは少し眠たそうに、あくびをひとつ噛み殺す。


その空気に、ひどくそぐわない硬い声が響いた。


「・・・レイ様」


乳母のサキだった。


「どうしたの?」

レイはまだ窓の外を眺めたまま、気のない調子で返す。


「・・・城内で、妙な噂が流れております」


慎重に言葉を選ぶその声に、レイはようやく振り向いた。


「妙な噂?」


「はい。二つほど、話題になっていることがございます」

サキの表情は、いつになく真剣だった。


ウイの乳母・モニカとは違い、サキは噂話を好まない。


確かな裏が取れない限り、決してレイの耳に入れない人間だ。


そのサキが、こうして口を開いている。


「教えて」

レイは短く答えた。


「一つ目は――」

サキは一呼吸置いてから続ける。


「キヨ様の妹君が、ジュン様に嫁がれるとのことです」


「え・・・」

レイは思わず口を開けた。


脳裏に浮かんだのは、ヘンリーの顔だった。


彼はキヨの姉の子――つまり、無関係ではない。


叔母が嫁ぐのだ。


「ずいぶん・・・高齢の花嫁様ね」


どう言葉を選んでも、年齢のことは避けられなかった。


「はい。妹君は、すでに四十を越えておられます」

サキは淡々と告げる。


「そのため、人質として・・・キヨ様のお母上も差し出されると」


「お母上を?」

レイの目が大きく見開かれる。


「確か・・・七十を超えているはず・・・」


言葉が、喉で止まった。


そんな高齢の人を、人質として差し出す――想像するだけで、背筋が冷える。


「・・・情のある人間の判断とは思えないわ」

レイはぽつりと呟いた。


ーー酷い話だ。


だが――まだ、この噂は「他人事」だった。


少なくとも、自分に直接火の粉が降りかかっているわけではない。


「・・・噂は、もう一つございます」

サキの声が、先ほどより低くなる。


その声音だけで、レイの胸がざわついた。


「何?」


問い返す声が、わずかに強張る。


サキは、一瞬だけ視線を伏せ――ゆっくりと口を開いた。


「ユウ様が・・・」


一拍。


「キヨ様の、想い人になると・・・」


その瞬間、レイは息を詰めた。


「・・・そんな・・・」


言葉にならない。


「その噂で、城内は持ちきりでございます」


「うそよ!」

レイは、はっきりと首を振った。


「姉上が、キヨの妾になるはずがない!」


叫ぶような声だった。


冷静なレイには、珍しいほどの激しさ。


「・・・ですが」

サキは、苦しげに続ける。


「ユウ様の部屋には、妾用と思われる衣装が、次々と運び込まれております」


唇を噛みしめるような表情だった。


「ヨシノに聞けないの?」


「始終忙しく、私が近づける時間がございません」


その答えで、レイの顔から一気に血の気が引いた。


――思い返される。


虚ろな姉の表情。

朝稽古に参加しないシュリ。

そして、青ざめたヨシノの顔。


ここ数日感じていた違和感が、一本の線で繋がる。


「・・・うそ・・・」

レイは口元を押さえた。


「姉上が・・・そんな・・・まさか・・・」


否定の言葉を重ねるほど、胸が締めつけられる。


次の瞬間、レイは勢いよく立ち上がり扉へ向かった。


何も言わず、ただ――ユウの部屋へ。


レイは廊下を駆け抜けた。


背後から聞こえるサキの声は、次第に遠ざかっていく。


呼び止められているのは分かっていた。


それでも、足は止まらなかった。


――確かめなければならない。


小窓を確認する余裕もなく、

レイはそのまま、ユウの部屋の扉を押し開けた。


「・・・っ」


突然の来訪に、ユウが驚いたように顔を上げる。


部屋にいたのは、ユウ、シュリ、ヨシノ、そしてイーライ。


そして――


レイの視線は、無意識にテーブルの上へと吸い寄せられた。


透ける素材の布地が、何枚も並べられている。


ーーこれは。


一度、結婚を経験しているからこそ分かる。


それは、初夜のための衣装だった。


レイの喉がひくりと鳴る。


ユウは、テーブルから少し離れたソファに座っていた。


衣装には、まるで興味がない様子で。


その横で、淡々と布を確認しているイーライ。


――誰が、段取りをしているのか。


一目で分かった。


「・・・姉上」


思わず、責めるような声になってしまう。


「キヨの妾になるって・・・本当なの?」


声は低く、震えていた。


その瞬間、ユウは小さく息を吐いた。


――いつ、レイに伝えるべきか。


ずっと悩んでいた。


だが、こうして問い詰められたことで、自分から切り出す必要はなくなった。


ユウは背筋を伸ばし、静かに口を開く。


「その通りよ」


淡々とした声だった。


「姉上・・・!」

レイは悲痛な声を上げ、ユウのもとへ駆け寄る。


「どうして!?あの男は・・・父上だけじゃない、母上まで殺した男よ!」


縋るように、ユウの腕を掴む。


「知っているわ」

ユウは感情を乗せずに答えた。


その冷たさに、レイの胸が締めつけられる。


「それなのに、なんで・・・!

姉上、あの男を嫌っていたはずでしょう!」


声は、ほとんど泣き声だった。


――信じられない。


誇らしくて、美しくて、誰よりも大切な姉が。


あんな、萎びた年寄りの男の妾になるなんて。


嘘だと言ってほしかった。

噂話だと笑い飛ばしてほしかった。

頭を撫でて、「心配しすぎよ」と言ってほしかった。


――それなのに。


ユウは、事務的なほど淡々と答える。


「・・・」


その沈黙が、何よりの答えだった。


「姉上!!」


無言のユウに、レイは叫ぶように声を絞り出した。


ユウは、まるで銅像のように前を向いている。


イーライも、ヨシノも動けずに固まっていた。


そのとき。


「・・・レイ様、落ち着いてください」

シュリが、そっとレイの肩に手を添えた。


その瞬間――


「落ち着けるはずがないわ!!」

レイは勢いよく振り返り、叫んだ。


シュリの手が、わずかに強くなる。


「レイ」

ユウが、静かに口を開いた。


「この件は、私が決めたことよ」


レイは、信じられないという顔でユウを見る。


「あの男は、領民から国王になったの」

ユウは淡々と続けた。


「そのそばにいれば、きっと、違う世界が見えるわ。私はそれを見たいの」


あまりにも、感情のない説明だった。


――嘘だ。


レイには、すぐに分かった。


――姉上は、そんな理由で誰かのそばに立つ人ではない。


「あの男のそばにいたいと願ったのは、私なの」

ユウの言葉は、何度も練習したような硬い声音だった。


レイは、無言で首を振る。


ーー違う。


そんなはずがない。


「レイ・・・許して」

ユウは、そっとレイの手を握る。


「嫌よ」

レイは、必死に首を振った。


「姉上が・・・そんな・・・」


「これは、もう決めたことなの」

ユウの声は、揺れなかった。


「レイ・・・ごめんね」


――嫌だ。


胸が裂けそうだった。


レイは息を荒くし、そのまま踵を返す。


そして、何も言わず、ユウの部屋を飛び出した。


――もう、信じていた姉ではなかった。



次回ーー明日の20時20分


崩れたのは、レイの心だった。


そして――

誰にも言えない想いが、静かに交差する。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ