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その選択が、誰かを犠牲にする

◇ 翌日 サカイ城 西棟 ユウの部屋


「・・・姉上、体調が悪いの?」

朝食の席で、レイが首を傾げた。


「どうして?」

ユウは穏やかに微笑み返す。


「さっきから、全然食べてないわ」

レイは、ユウの前に置かれた皿を見つめた。


確かに、食事にはほとんど手をつけた様子がない。


「考え事をしていて・・・忘れていただけよ」

ユウは取り繕うように笑う。


その笑顔は、いつもより少しだけ硬かった。


「おはようございます」


控えめな声とともに、部屋の扉が静かに開く。


入ってきたのは、シュリだった。


その表情を見た瞬間、レイは思わず目を見開く。


「・・・シュリ?」

驚いたように声を上げる。


「今日は稽古に参加しなかったの?」


いつもなら、朝の稽古を終え、

額に汗をにじませ、頬を上気させたまま現れるはずだった。


だが、今日のシュリは違った。


顔色は紙のように白く、その立ち姿には、張りつめたものがある。


背後に控えるヨシノもまた、

同じように、血の気を失った顔をしていた。


――何かあった。


レイは直感的にそう思った。


勘の鋭い彼女なら、「何かが起きた」ことまでは察せられる。


けれど――


それが、自分の人生を揺るがす出来事だとは、まだ知らない。




お茶の時間になり、イーライが部屋を訪れた。


その目の下には、はっきりとした影が落ちている。


一晩では消えない疲労の色だった。


「・・・お茶の前に、お伝えしたいことがあります」

そう切り出したイーライの黒い瞳は、わずかに揺らいでいた。


「どうしたの?」

ユウは、自然と背筋を伸ばす。


「ジュン様の婚礼の件ですが――」


イーライは言葉を選ぶように、ほんの一瞬声を落とした。


ユウは何も言わず、ただ真っ直ぐに彼を見つめる。


「レイ様との婚姻を、引き下げる動きをしております」


その言葉を聞いた瞬間、ユウは思わず、小さく息を吐いた。


――よかった。


胸の奥に張りついていた重石が、わずかに緩む。


最悪の事態は、避けられた。


だが。


イーライの表情は、少しも明るくならなかった。


むしろ、告げる覚悟を固めるように唇を結んでいる。


「・・・それで」

ユウは、嫌な予感を振り払うように問いかける。


「ジュン様の件は、どう治めるの?」


イーライは、ゆっくりと顔を上げた。


逃げ場のない答えを、真正面から差し出すように。


「レイ様の代わりに嫁ぐのは――」


一拍。


「キヨ様の妹君と、そして・・・お母上です」


「・・・え?」

ユウの目が、大きく見開かれた。


言葉の意味が、すぐには理解できなかった。


――妹。

――母。


一度に差し出されるには、あまりにも重すぎる名だった。


「キヨ様の妹君には・・・ご主人が、いらっしゃったはず」

掠れた声で、ユウが問う。


宴の席で、楽しそうに笑っていた中年夫婦の姿が思い浮かべた。


「おります」

イーライは、視線を逸らさずに答えた。


「離縁させた上で、嫁がせるとのことです」


「そんな!」

ユウは、思わず立ち上がった。


「すべては――キヨ様のご判断です」


その一言で、守ってきたはずのものが、音を立てて崩れた。


――私のせいだ。


胸の奥に、冷たい刃が突き刺さる。


私が妾になると決めたから。

私が、レイを守ろうとしたから。


無関係な人たちが、引き裂かれ、望まぬ形で嫁がされる。


ユウは、力を失ったように床へ崩れ落ちた。


呼吸が、急に浅くなる。

胸が、締めつけられる。


「医師を――!」

イーライが、慌てて立ち上がる。


「大丈夫・・・」

ユウは、目を閉じたまま、小さく首を振る。


「ですが・・・」

イーライは、言葉を飲み込む。


「妹君や、母君のお気持ちを思えば・・・」


その先は、言えなかった。


ユウは、唇を強く噛み締める。


――これが、国王。


はっきりと、理解した。


たった一人の男の判断で、

どれほど多くの人生が、簡単に塗り替えられるのか。


守ったつもりで、また別の誰かを、犠牲にしている。


そのとき。


背後から、そっと手が伸びてきた。


シュリの手だった。


震える背中を、静かに撫でる。


何も言わず、ただそこにいるという温もり。


その感触に、乱れていた呼吸が、少しずつ整っていく。


ユウは、目を閉じた。


――もし。


もし、自分の本当の気持ちが、あの男に知られたら。


シュリは、生きてはいない。


それは――自分が死ぬことよりも、ずっと恐ろしいことだった。


この日、イーライは紅茶ではなく、カモミールを差し出した。


それだけで、彼がどれほど気を遣っているのかが伝わる。


「・・・ありがとう」

ユウは蒼白な顔のまま、カップを受け取る。


けれど、すぐには口をつけなかった。


イーライは、しばらく黙っていたが、

やがて、決意したように静かに口を開く。


「・・・妹君が、ジュン様へ嫁がれましたら」


言葉を選ぶように、一拍置く。


「ユウ様は、寝所へ向かわれることになります」


そのまま、顔を伏せた。


視線を上げることができなかった。


ユウは、手にしたカップをそっとテーブルに置く。


陶器が触れ合う、かすかな音だけが響いた。


「すぐに・・・抱かれると思っていたわ」


直接的な言葉だった。


だが、その声には、ほんのわずか――安堵が混じっていた。


ーー思っていたよりも、猶予がある。


その事実に、胸の奥が、かすかに緩む。


「それまでの期間は・・・」

ユウが、言い淀む。


イーライもまた、すぐには答えなかった。


「・・・ジュン様の返事次第ですが」


ためらいが、声音に滲む。


「およそ、三週間ほどかと」


伏せたままの瞳が、切なげに揺れた。


ユウは、静かに頷いた。


「・・・わかりました」


それ以上、何も言わなかった。


――三週間。


それだけあれば、

覚悟も、絶望も、別れも受け入れられるはずだ。


そして――恐怖に、慣れることもできる。


ユウは、まだ冷めないカモミールを見つめながら、

そう自分に言い聞かせた。


次回ーー明日の20時20分


守ってくれるはずの姉が、

自ら地獄へ進もうとしている。


レイは、それを受け入れられなかった。

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