その婚姻は、私が引き受けます
◇ サカイ城 執務室
三月の柔らかな日差しが、執務室に降り注いでいた。
机に向かうキヨは、大きく欠伸をひとつ漏らす。
それを見なかったことにして、サムは黙って書状の束を差し出した。
「また書状か!」
キヨは、心底うんざりしたように顔を歪める。
その時だった。
廊下から、足音が響いてくる。
ひとつ、ふたつ――
いや、それだけではない。
明らかに、複数人の足音が、まっすぐ執務室へ向かっている。
サムは思わず振り返った。
次の瞬間、ノックもなく、執務室の扉が勢いよく開かれた。
扉の向こうに立っていたのは、ユウだった。
言葉はなくとも、その表情だけで分かる。
怒りで、全身が震えている。
空気が、一気に張り詰めた。
サムは、思わず息を詰める。
だが、キヨはその空気を意に介した様子もなく、朗らかに口を開いた。
「ユウ様、ご機嫌はいかがかな」
その声を待つこともなく、ユウは一足でキヨの前に立った。
次の瞬間――ユウの背中に、シュリの腕が回る。
必死に、抱き留めるように。
そうしなければ、今にも国王であるキヨに掴みかかると判断したのだ。
その背後には、顔色を失ったイーライ。
さらに、息を弾ませながら駆け込んできたヨシノの姿もあった。
誰一人、声を発しない。
ただ、ここに至るまでの経緯だけが、重く、場の空気に沈んでいる。
ユウの瞳には、怒りが宿っていた。
それは、青い炎が燃えているかのような色だった。
その眼差しを真正面から受け止め、サムは思わず息を詰める。
――ゼンシ様だ。
冷酷で、感情のままに剣と人を操った領主。
“カリスマ”と恐れられた、ゼンシ。
理性よりも先に感情が走り、
一度向けられた怒りは、誰にも止められなかった男。
その眼差しが――今、確かに、ユウに宿っている。
血は、争えない。
サムは、背筋を冷たいものが走るのを感じた。
「相変わらず、良い瞳だ」
キヨは、深く息を吐いた。
その表情は――恍惚としていた。
「レイを、ジュン様に嫁がせると決めたのは、お前か」
ユウが口を開く。
声は高い。
だが、その言葉も、響きも、表情も――確かにゼンシだった。
怒りが理性を押し流し、
仮面が剥がれ落ち、父から受け継いだ気質だけが、露わになる。
ただ一つ違っていたのは――ユウの背に回された、シュリの腕だった。
「ユウ様、落ち着いて」
必死に、宥める。
その存在だけが、ユウの理性をかろうじて繋ぎ止めていた。
「・・・落ち着けるはずもないわ」
ユウの声は震える。
だが、シュリの声に触れ、ほんのわずか、理性が戻る。
「ジュン様との婚礼は――レイではなく、私にしてください」
震える声で、だがはっきりと告げる。
「私が嫁ぎます。レイには、年齢の釣り合う相手と、婚姻を」
言葉は柔らかい。
だが、瞳には憎しみが滲んでいた。
「あぁ。それは――無理じゃ」
キヨは、滑らかな声で否定する。
「なぜですか」
ユウは顎を上げる。
「すでに、ジュンと書状で婚礼の約束を交わした。向こうも準備を進めておる。
今さら取り消すわけにはいかん」
ユウの拳が、机に叩きつけられる。
「私の方が――」
震える声。
今にも飛びかかりそうなユウを、シュリが必死に押さえる。
「ジュン様の妃に相応しいのは、私です。私は十八。子を授かることもできます」
その低い声に、イーライは思わず背筋を伸ばした。
「それは、ならん」
キヨの声は、憎らしいほど穏やかだった。
「ユウ様には、わしの子を産んでもらわねばならぬ。ジュンのもとに、嫁がせるものか」
その瞬間――シュリの腕が、怒りで、わずかに緩む。
ユウは一歩、キヨに詰め寄った。
「レイの婚礼を、取り消してください」
間近に迫る青い瞳。
その光を受けて、キヨは口元の歪みを抑えきれなかった。
「・・・そうじゃな」
その声の変化に、イーライがはっと顔を上げる。
「レイの婚礼を破棄するなら――見返りに、何を差し出す?」
そこにあったのは、国王の顔ではない。
欲と支配だけを宿した、ただの男の顔だった。
「見返り・・・?」
ユウの目が細くなる。
「左様。レイを引き取り、四年。
いずれ戦略の駒とするため、多くの金も手間もかけた。
さらに、一度取り付けたジュンとの婚礼を反故にする。――相応の代価が要る」
シュリの顔から、血の気が引く。
説明など、不要だった。
「その見返りを、教えてください」
ユウの拳が、強く握り締められる。
シュリは、無言で腕に力を込める。
――それは反対だった。
キヨは、ゆっくりと微笑んだ。
「ミミに話すがいい。“国王の想い人になる”とな」
静かな沈黙が、部屋を覆う。
次の瞬間――
「なりません!!」
震える叫び。
声を上げたのは、シュリでも、イーライでも、サムでもなかった。
「ユウ様、駄目です!」
乳母・ヨシノだった。
身体を震わせ、涙を滲ませている。
「そんな取引に、応じてはなりません!」
「ヨシノ・・・」
ユウが、かすかに名を呼ぶ。
ヨシノは、ユウに縋りつく。
「駄目です。そんなこと、してはなりません」
その茶色の瞳は――シュリによく似ていた。
「ヨシノ・・・ごめんね」
ユウは、柔らかく微笑む。
その決意の表情に、ヨシノの喉が塞がれる。
――かつて。
自らの死を決め、
娘に未来を託したシリの横顔が、鮮やかによみがえった。
「駄目です・・・」
涙が、溢れる。
ーー分かっている。
止められないことも。
それでも、受け入れられなかった。
「私は、決めているの」
ユウは、優しくヨシノの腕を外す。
「ミミ様に伝えれば、レイの婚礼は取り消してもらえるのですね?」
視線を、キヨに向ける。
「あぁ。約束しよう」
キヨは、頷いた。
「それでは」
ユウは、顎を上げる。
「これから、ミミ様のお部屋へ参ります」
次回ーー明日の20時20分
レイを守るため、ユウはある決断を下す。
そして――
ミミのもとへ向かった。




