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ーー言わなくてはいけない

◇ サカイ城 西棟 ユウの部屋


ユウの部屋の前で、イーライは足を止めた。


扉の向こうにいる二人へ、どうしても告げなければならないことがあった


――言わなければならない。


レイ様に、起きようとしていることを。


その事実を伝えたとき、ユウ様がどんな顔をするのか。


想像しただけで、足先が冷え、身体が動かなくなる。


「イーライ様・・・どうされましたか?」

背後に控えていた、茶色の髪の侍女が、遠慮がちに声をかける。


「何でもありません」


イーライは即座に感情を引き剥がし、能面のような表情を作った。


そして、意を決したようにドアノブに手をかける。


扉を開けると――

そこには、肩を寄せ合うように本を覗き込む、ユウとレイの姿があった。


二人が手にしているのは、薬草の本。


それは、ユウの誕生日にキヨが贈った本だった。


かつて、母が愛読していたものでもある。


「この草、血止めにも効くのね」

レイが、指先で頁をなぞる。


「そうね。あまりに身近すぎて、薬になるなんて思わなかったわ」

ユウは楽しそうに微笑む。


「刺繍の腕が上達する薬草があればいいのに」

ユウは、思わずため息をついた。


「そんな草があったら、母上がとっくに試しているはずよ」

レイがそう返すと、二人は顔を見合わせて、小さく笑い合った。


穏やかで、静かな時間。


――これを壊すのは、自分だ。


「イーライ、今日のデザートは何?」

ユウが振り返り、柔らかく微笑む。


あまりにも無防備で、あまりにも眩しいその笑顔に、

イーライは一瞬、言葉を失った。


「どうしたの?」


問いかけに、はっと我に返る。


「・・・本日は、野苺でございます」


ようやく、声が出た。


「クリームはついているの?」

今度はレイが、当然のように尋ねる。


「もちろんです」

イーライはぎこちなく頷き、皿を取り出した。


クリームが好きなレイの分は、ほんの少し多めに盛ってある。


微笑み合う姉妹の姿を前に、イーライは立ち尽くした。


――言えない。


こんなにも、守られている時間に。

こんなにも、穏やかな二人に。


婚姻の話など、自分の口から告げることは、どうしてもできなかった。



◇ サカイ城 執務室 ――三日後


「まだ、言っていないのか」

喉に布を巻いたサムが、声を低くして尋ねた。


「はい」

イーライは、視線を落としたまま答える。


サムは手にしていたペンを机に置き、椅子ごとイーライに向き直った。


「言わなくてはならない」


短く、だが重い言葉だった。


「・・・」


イーライは、何も言えず拳を握りしめる。


「伝えたくない気持ちは、分かる」

サムはそう前置きしてから、静かに続けた。


「だが、状況は四年前とは違う。レイ様は十四だ。結婚適齢期と見なされる年齢だ」

言いながら、サム自身も切なさを隠しきれず、息をつく。


「年齢差はともかく・・・身分は、釣り合っている」


イーライは、さらに俯いた。


「・・・私の方から話そうか」

サムが腰をわずかに浮かせた、その瞬間。


「いえ」

イーライは、腕を伸ばして制した。


「私の任務です」


唇を噛みしめる。


逃げたい気持ちを、言葉ごと押し込めるように。


「ただ・・・」

サムは白髪交じりの頭を撫で、落ち着かぬ様子で言った。


「レイ様に話す前に、まずユウ様だけに伝えた方がよい」


イーライは顔を上げる。


「ユウ様は、レイ様にとって保護者のような立場だ。

事前に話し、そこからレイ様へ伝える方が、混乱が少ない」


二人の関係をよく知るサムの判断は、極めて現実的だった。


「・・・そうですね」

イーライは、静かに頷く。


「この時間帯、レイ様は語学の授業中です」


「ああ。今しかないな」

サムは即座に応じる。


「噂話で耳に入れば、事態はさらに悪くなる」


イーライは、微かなため息を漏らした。


「・・・できれば、シュリも同席させた方がいい」

サムの表情が、わずかに強張る。


それは――

ユウの感情が、穏やかでは済まないことを予感している顔だった。


「承知しました」

イーライは感情を押し殺し、能面のような表情を作る。


静かに椅子を立ち、執務室を後にした。


一人残されたサムは、大きく息を吐き、頭を抱える。


「・・・もし、シリ様が生きておられたら」


誰に向けるでもなく、呟いた。


「この婚礼を、喜ばれただろうか・・・」


その問いに答える者は、もういなかった。




◇ 西棟 ユウの部屋


イーライは、再びユウの部屋の前に立ち尽くしていた。


――言わなければならない。


静かに息を整える。


数秒後、覚悟を固めて顔を上げ、扉の小窓を開ける。


ヨシノが応じ、扉が開く。


部屋に入ると、ソファの上でユウが針を持ち、刺繍と格闘していた。


その眉間には、はっきりとした皺。


――まずい。


機嫌の悪い時だと、すぐに分かった。


「イーライ? この時間にどうしたの」

ユウが顔を上げる。


「・・・お話がございます」


「何?」

ユウは、何気ない仕草で座るよう促した。


その視界の端に、シュリの姿が入る。


「・・・シュリも、近くに」


その言葉に、ユウは手にしていた布をテーブルへ放り投げた。


途中で止まり、形を成しきれなかった刺繍。


いつもなら、思わず笑ってしまう出来だった。


だが――イーライには、そんなことを気に留める余裕はなかった。


「レイ様に婚礼のお話がございます」


淡々と告げる。


「レイに?」

ユウの声が、わずかに硬くなる。


イーライは顔を上げた。


「お相手は、西領の領主――ジュン様です」


一気に言い切った。


次の瞬間、部屋の空気が、音を立てて沈んだ。


背後で、ヨシノが小さく息を呑む。


「それを決めたのは」


ユウの声は、低かった。


「――あの男?」


「左様でございます」

イーライは続けようとする。


「今後の国のために――」


だが、その言葉は、途中で途切れた。


ユウの青い瞳が、ゆっくりとイーライを射抜いたからだ。


怒りのせいか、いつもよりも濃く、冷たい青。


言葉よりも先に、感情が伝わる。


ユウは、無言で立ち上がった。


そして、静かに言う。


「イーライ」


呼ばれただけで、背筋が伸びる。


「あの男の部屋へ、案内して」


有無を言わせぬ声だった。



次回ーー明日の20時20分


レイの婚礼を止めるため、

ユウはキヨのもとへ向かう。


そこで突きつけられたのは――

ひとつの条件だった。


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