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蕾のままで

◇サカイ城 城の中庭


温暖なこの地では、早くも小さな薔薇の蕾が、あちこちに膨らみ始めていた。


レイは無言で、その花々を見つめている。


「レイ、遅くなった」

足早に、ヘンリーが中庭へ姿を現した。


「どうしたの?」

振り返ったレイは、彼の顔をじっと見つめる。


「え?」


「・・・顔色が悪いわ」


淡々とした声だった。


責めるでもなく、ただ事実を拾い上げるように。


ヘンリーは一瞬、言葉を失い――すぐに口元を持ち上げた。


「何でもないよ」


けれど、その笑みは、どこか硬かった。


――しまった。


ヘンリーは、ほんの一瞬だけ視線を逸らした。


レイは、そういう仕草を見逃さない。


取り繕おうとしても、無駄だと分かっている。


ヘンリーは、ふっと肩の力を抜いた。


「・・・会議で、叔父上に意見を言った」


肝心な部分は伏せ、事実だけを並べる。


レイは何も言わず、ただ静かに頷いた。


「でも、駄目だった。通らなかった」

ヘンリーは、小さく息を吐く。


「俺の発言権は軽い。それも・・・仕方のないことだけど」


肩をすくめるその仕草に、強がりはあっても、嘘はなかった。


レイの前では、仮面をつけた『僕』ではいられない。


いつの間にか、自然と『俺』と名乗るようになっていた。


「私も。姉上も、あの人が嫌い」

レイは、ぽつりと呟いた。


「レイの場合は、そうだろうね」

ヘンリーは、気の毒そうに彼女を見る。


「両親を殺めたのは、叔父上だ・・・」


「違うわ」

レイは、静かに首を振る。


「あの人は、私たちから、全部を奪う」


黒い瞳の奥に、静かな怒りが灯る。


「・・・え?」


「両親だけじゃない」

言葉を選ぶように、レイは続けた。


「姉上までも、奪おうとしている」


悔しさを噛みしめるように、視線を落とす。


ヘンリーは、言葉を失った。


「あの人はね」

レイは小さく息を吐く。


「私を見る時、いつも、少しだけ目を逸らすの」


「・・・」


「最初は、気のせいだと思ってた。でも――」


レイは、顔を上げる。


「私は、父に似ているらしいの。それだけで、理由は十分なんだと思う」


ヘンリーは言葉を失った。


だが、その“父”が誰で、

どんな人物だったのかまでは、想像もできない。


叔父・キヨの価値観で考えれば、レイは“好み”に入ってもおかしくない。


高貴で、美しく、気も強い。


それでも、彼女は選ばれなかった。


「姉上を自分のものにしたいから」

レイは、淡々と言った。


「だから、私を、早く嫁に出したいのよ」


なんと、口にしていいか分からず、ヘンリーは俯いた。


「私が、最初に結婚したのは・・・」


レイがそう切り出した瞬間、ヘンリーは思わず顔を上げた。


「え・・・レイ、結婚したことがあるの?」


目を丸くする。


目の前の少女が、すでに一度、誰かの妻だったなど――とても想像できなかった。


「あるわ」

レイは、淡々と頷く。


「十一の時に」


その数字に、ヘンリーの言葉が止まる。


「そして、十二の時に」

レイは一度、視線を落とした。


「あの人に命じられて、離婚したの」


息を呑む音すら、出なかった。


「・・・お相手は・・・?」


掠れた声で、ようやく問いかける。


「セーヴ領の、セージ様」


名を口にした瞬間、レイの瞳が、ほんのわずかに潤んだ。


「別れの挨拶も、できなかった」


小さく、言葉を継ぐ。


「今は・・・ジュン様の臣下みたいよ」


ヘンリーは、何も言えず、ただレイを見つめていた。


自分は、幼い頃から両親がそばにいて、落城を知らない。


叔父の名と血筋だけで、上に立つことができた。


それに比べて――

目の前の少女が歩いてきた道は、あまりにも、過酷だった。


そして、まただ。


彼女は、三十近く年上の男の元へ送り出される。


その未来が、すでに決まっている。


ヘンリーは、視線を伏せた。


目の前の少女が、再び、政治の都合で切り捨てられようとしている。


拳を、ぎゅっと握る。


ーー守れない。


こんなにも悔しい思いをしたのは、初めてだった。


「見て。あのバラ、もうすぐ咲きそうよ」

レイが、アーチの上を見上げて言う。


半開きの白い花弁が、春の光を受けている。


小柄なレイの位置からは、見えない高さだ。


ヘンリーは何も言わず、手を伸ばした。


そっと、その白いばらを摘む。


「ありがとう」


微かに微笑むレイを、ヘンリーは、切なげに見つめていた。



◇ 二週間後


サカイ城に、一通の手紙が届いた。


差出人は、西領の領主――ジュン。


キヨは無造作に封を切り、目を走らせる。


「レイとの婚姻を、受け入れたか」


満足そうに、ひとつ頷いた。


その瞬間。


広い執務室に、重い沈黙が落ちた。


誰も、口を開かない。


ヘンリーは、唇を強く噛み締める。


「エル。婚礼の準備を進めよ」


「承知」

エルは短く頷いた。


「・・・ミミ様には、報告されたのですか」

控えめに、ノアが尋ねた。


キヨは、ほんの一瞬だけ言葉に詰まり、困ったように肩をすくめる。


「いや・・・まだじゃ」


苦笑にも似た表情だった。


「きっと、怒るじゃろう・・・」


その声は、これまでになく弱々しい。


キヨは、ひとつ息を吐き、視線を上げた。


「エル。すべての準備が整ってから、ミミに報告するのじゃ」


「・・・私が、ですか?」

思わず、エルの口から声がこぼれる。


「ああ。お前しかおらん」


即答だった。


「よいか。衣装も、式の段取りも、すべて手筈を整えてからじゃ」


ーー逃げ道を残さぬように。


エルは、何かを言いかけて口を開いた。


だが、そのまま、ゆっくりと閉じる。


「・・・わかりました」


短く答えた声は、静かだった。


ーーこれは、揉める。


それも、取り返しのつかない形で。


そして、自分がその火種を投げる役目になる。


エルは、誰にも聞こえぬよう、小さく息を吐いた。


この場にいる誰もが知っている。


ーー誰かが、必ず“汚れ役”になる。


「この婚姻を知らせるのは――」


キヨは言葉を切り、黙ってイーライを見る。


サムは、数日前から体調を崩し、任を離れていた。


「イーライ。お前が、ユウ様とレイに伝えろ」


一瞬の間。


それから、イーライは静かに頭を下げる。


「・・・承知いたしました」


声は抑えられていた。


だが、そのわずかな揺れが、

この任務の重さを、何よりも雄弁に物語っていた。



次回ーー明日の20時20分


穏やかな姉妹の時間。


だが――


その静けさは、もうすぐ終わる。

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