勝たずに生き残る方法
◇ サカイ城 最上階
「見事な景色ですな」
ジュンは目を丸くし、窓の外に広がる城下を見つめた。
「わしの自慢の景色じゃ」
キヨは誇らしげに胸を張る。
「キヨ様は、まことに素晴らしい。裸一貫で、ここまで国を大きくなされた」
ジュンは穏やかに微笑んだ。
しばらく黙って景色を眺めているジュンに、キヨが笑顔のまま声をかける。
「ジュン殿。これからは、共に国を治めようではないか」
――降れ、とも言わない。
――だが、逆らうな、と言っている。
ジュンは、すぐには答えなかった。
「ありがたいお言葉にございます」
深く、丁寧な礼。
だが、膝は折らない。
「ただ――」
顔を上げ、静かに続ける。
「私は昔から、家臣と共に戦ってきました」
キヨの笑みが、ほんの一瞬だけ止まる。
「我らは、“誰かの家来になるため”に、命を賭けてきたわけではございません」
背後に控えるマサとウィリアムが、無言で頷いた。
ジュンは、穏やかな表情のまま言葉を重ねる。
「キヨ様と剣を交えるつもりはない。されど、頭を地に伏せる理由も、今はございません」
挑発ではない。
拒絶でもない。
ただ、線を引いただけだった。
キヨは、しばし黙したままジュンを見つめる。
やがて、小さく笑い直した。
「・・・相変わらず、手強いのう」
ジュンは、もう一度だけ礼をする。
「生き残るためにございます」
◇ サカイ城 執務室
ジュンが客室で休息を取っている間、執務室では緊急の重臣会議が開かれていた。
イーライは拳を握りしめたまま、静かに口を開く。
「・・・なぜ、あそこまで譲られたのですか」
向かいに座るキヨは、面白がるように笑った。
「譲った覚えはないぞ。和を結んだだけじゃ」
イーライの眉が、わずかに動く。
「和、ではありませぬ。ジュン様は、キヨ様に膝を折っておられません」
キヨが黙っている間に、イーライは口を開いた。
「このままでは、“従わぬこと”が前例になります」
周囲の家臣が息を呑む。
「他の領主も申しましょう。ーージュン様が許されるなら、我らも、と」
キヨはしばし黙った。
やがて、笑みを崩さぬまま答える。
「・・・だからこそじゃ」
イーライは、すっと背を正す。
「ジュンは、降らぬ。降らせようとすれば、戦になる」
声は軽い。
だが、その中身は重かった。
「わしは、勝っても壊れる勝ちは取らん」
イーライの唇が、きつく結ばれる。
ーー違う。
「しかし、ジュン様を特別扱いするほど、政は歪みます」
キヨは、初めて笑みを消してイーライを見た。
「歪ませねば、保たぬものもある」
イーライは、それ以上言わなかった。
ここから先は、反論ではなく逆らいになる。
だが胸の奥では、静かな怒りが、確かに燃えていた。
ーーこの“例外”は、いつか必ず、トミ家の喉元に刃を突きつける。
そう、確信していた。
一方、キヨの弟エルは、何も言わず杯を置いた。
怒りは見せない。
ただ、その目だけが鋭い。
ーージュン様は、何を考えている。
心の中で、整理する。
ーー時間を、得ようとしているのではないか。
兄の判断は理解できる。
戦を避けた。
今は、それが最善だった。
だが、ーー問題は、その“今”が、いつまで続くかだ。
エルの違和感は、感情ではなく未来を向いている。
ーー例外は、必ず基準を壊す。
基準が壊れれば、政は人に依存する。
人がいなくなれば、残るのは空白だけ。
エルは知っている。
ジュンは、その空白を待てる男だと。
「兄者」
柔らかな声が、執務室に響く。
「いろいろ思うところはありますが・・・今夜は、丁重にジュン様をおもてなししましょう」
「そうじゃな」
キヨは小さく息をついた。
「酒宴の準備を。会議は、これで終了じゃ」
「ジュン様が帰られた後、改めて会議を重ねましょう」
エルの穏やかな言葉に、場の空気が整えられる。
重臣たちは、それぞれの任務へと戻っていった。
イーライは、昂った感情を鎮めるように息を整える。
「落ち着け」
サムが、イーライの肩に手を置いた。
「お前は賢すぎる。だから、先の先まで見えてしまうんだ」
その声に、イーライは息を詰める。
「・・・とはいえ・・・」
声が、わずかに震えた。
納得できない思いが、胸に込み上げる。
「ここは、争わずに共存できる道を考えろ。それが、お前の得意分野だ」
「・・・はい」
「お茶の時間だ」
サムが時刻を見て頷く。
イーライは、ため息をついた後に背を伸ばした。
「これから、茶を淹れてまいります」
◇ サカイ城 西棟 ユウの部屋
昼下がりの西棟には、城内の緊張が嘘のように、静かな時間が流れていた。
イーライは呼吸を整え、ユウの部屋の前に立った。
――落ち着け。
感情を、この部屋に運ぶな。
扉を開け、丁重に頭を下げる。
「イーライ、今日もありがとう」
ユウが微笑む。
その笑顔を見た瞬間、イーライは身体の力が抜けたことを、はっきりと自覚した。
「本日も、美味しい茶を淹れてみせます」
わずかに微笑み、茶の支度に入る。
慎重な手つきで茶葉を量り、湯を注ぐ。
定められた、手慣れた動作をなぞるたび、心が静まっていく。
――あぁ。
ユウ様のために茶を淹れているつもりだった。
だが本当は、自分の心を整えるためのものなのだ。
イーライは、そう悟った。
「ジュン様は、帰られたの?」
不意の問いに、イーライの手が止まる。
「今夜は酒宴を設けますので、明日お帰りになるかと」
「そう」
ユウは前を見たまま、静かに呟く。
「ジュン様は、厩を見て、キヨの実力を測りに来たのでしょうね」
イーライは思わず振り返った。
「・・・そう思われますか」
声が、わずかに硬くなる。
「ええ。厩を見れば、その領の財力が分かるわ。城を見るより、ずっと分かりやすい」
馬は高価だ。
多くを養えるということは、財と、いつでも争える兵力を持つ証でもある。
「ジュン様は、そういうところを見ているのよ」
イーライは答えず、静かに茶を注いだ。
「ジュン様は、キヨに頭を下げたの?」
ユウの問いに、イーライはすぐには答えなかった。
ポットを置き、間を置いてから、淡々と口を開く。
「礼は尽くしましたが、臣下の礼ではございません」
ユウは、わずかに眉を動かす。
「強気、ということ?」
「いいえ。計算です」
イーライの声は低い。
「キヨ様に逆らえば、戦になると分かっている。
同時に――今、屈すれば“家”が死ぬことも」
「だから、折れないのね?」
「はい。敵にならず、臣にもならず、時間だけを味方につける」
ユウは、ふっと息を吐いた。
「賢い人ね。勝たなくても、負けない道を選ぶなんて」
イーライは目を伏せ、茶を差し出す。
「・・・賢すぎるのです。キヨ様は“今”を治めるお方。ジュン様は“その後”を見ております」
ユウは茶を一口含み、そっと微笑んだ。
――美味しい。
そう言わんばかりの視線を、イーライに向ける。
イーライは、その視線を静かに受け止めた。
「イーライ、シュリ、座って」
ユウは淡々と続ける。
「それでも、戦は避けた。キヨは・・・間違ってはいないわ」
ーー憎い相手だ。
だが、その判断力だけは認めている。
「はい。ただ――その正しさは、期限付きでございます」
ユウは、小さく笑った。
「ジュン様は、まだ若い。そして、待てる。それが一番、厄介ね」
イーライは黙って、茶を口に運んだ。
自分で淹れたとはいえ――これまでで、一番美味い茶だった。
そして、その変化は――誰かの“身を差し出す選択”へと繋がっていく。
ここまで読んでくださり、ありがとうございます。
この物語は50万文字を超えました。
長い連載ですが、こうして新しくブックマークを付けてくださる方がいることに、とても励まされています。
ここまで読んでくださっている方にも、途中から見つけてくださった方にも、心から感謝しています。
まだ物語は続きます。
最後まで書ききるつもりでいますので、よろしければこれからもお付き合いください。
次回ーー明日の20時20分
「セン家の娘を嫁がせるぞ」
政の場で決まったのは、一人の少女の運命だった。




