姫は、誰と踊るのか
本館に入る直前、イーライはふと足を止めた。
「今回の夜会では、舞踏がございます」
「・・・え?」
ユウは思わず目を見開く。
イーライはゆっくりと振り向いた。
「踊れるのは、十七から二十五まで。お相手は二人までと定められております」
「・・・それなら、ウイとレイは?」
「ご参加いただけません」
ユウは眉を寄せる。
「どうして、そんな取り決めを・・・」
「婚礼の縁を結ぶため、あるいは――想い人と巡り合うためです」
その言葉に、ユウは小さく息を呑んだ。
ーーそれなら。
ふと浮かんだのは、シュリの顔だった。
だが、その思考を読んだかのように、イーライが続ける。
「お相手は、領主、もしくは重臣に限られております」
「イーライは?」
「私は、宴席全体の段取りがございますので」
視線を伏せ、きっぱりと告げる。
「・・・わかったわ」
ユウは小さく息を吐いた。
「早めに役目を終わらせる。義務だもの」
それは投げやりにも聞こえたが、
逃げるつもりのない者の声音でもあった。
「少なくとも、刺繍よりはましね」
イーライは少しだけ微笑み、小さく一礼し、再び歩き出す。
そして――
ユウが会場に足を踏み入れた、その瞬間。
皆が、ユウを見つめていた。
男たちの眼差しには、欲と、そして抗いがたい憧れが滲む。
女たちの視線には、露骨な妬みと、測るような冷ややかさ。
キヨの妾たちは、各地から集められた美女ばかりだった。
美の象徴とされる、豊かな胸元と腰の曲線。
それを誇示するような装い。
だが――
ユウは、そのどちらも持たない。
それでも。
会場に足を踏み入れた、その瞬間、空気は、確かに彼女に奪われた。
背筋をまっすぐに伸ばした立ち姿。
艶やかな金色の髪。
そして、意志の強さを隠そうともしない、深い青の瞳。
媚びることも、誇ることもなく、
ただそこに立つだけで、人の視線を集めてしまう。
――静かな、圧倒。
遠くの座席から、ユウを一目見たキヨは、思わず息を吐いた。
「・・・よぅ、似合う」
その声は、賞賛というより、
所有欲を隠しきれなかった男の、溜息だった。
シュリは、その背後でユウの背中を見つめていた。
強張っている。
けれど、顎をわずかに上げ、堂々と立つ姿。
――平気なふりをしているだけだ。
ユウ様は、人に注目されることを好まない。
それでも、逃げず、折れず、何事もないように振る舞う。
その姿に、シュリは思う。
強さだ。
母から、そして実の父から受け継いだ血。
――この人は、きっと平凡な道を歩まない。
幼い頃から何度も感じてきた予感を、
成長した今、確信として突きつけられる。
「こちらへ」
イーライが静かに声をかけた。
示されたのは、キヨの家族席。
「すでに、ウイ様とレイ様がお待ちです」
視線の先で、二人の妹がこちらを見ている。
ユウは、無言で頷いた。
「到着されましたら、キヨ様へご挨拶を」
「・・・わかったわ」
家族席の最奥。
そこに座るキヨから、熱を帯びた視線を感じる。
会場に入った瞬間から、
ずっと――肌に突き刺さるように。
家族席に近づくと、ウイとレイがこちらに気づいた。
ユウは歩みを緩めることなく、二人の間にすっと身を滑り込ませる。
「・・・さっさと挨拶を終わらせましょう」
小さく、けれどはっきりと囁いた。
その声に、ウイとレイは一瞬、返事を忘れた。
――姉上。
目の前に立つユウの姿に、二人はただ、息を呑む。
昼の式典とはまるで違う。
身体の線に沿う細身のドレスは、派手ではないのに目を逸らせない。
光を受けるたび、白とも銀ともつかぬ色が静かに揺れ、
月の光をそのまま纏ったようだった。
「・・・」
ウイは言葉を失い、レイは無意識に背筋を正す。
――きれい。
そんな単純な言葉では足りない。
いつも知っている姉なのに、
今はどこか、遠い存在のようにも感じられた。
イーライに促され、三人はキヨのもとへと歩みを進めた。
豪奢な王座に腰掛け、王冠を戴いたキヨは――
イーライでもなく、レイでもなく、ウイでもなく。
ただ一人、ユウだけを見つめていた。
完全に、見惚れている。
その様子に、隣に座るミミが小さく咳払いをする。
キヨははっとして、ようやく視線を正した。
「この度は、王就任おめでとうございます。過分な装いも感謝しております」
ユウは淡々と告げ、深く一礼する。
ーー自分も、そして妹の装いも、目の前の男が用意したもの。
ウイとレイもそれに倣い、静かに頭を下げた。
それでも――
キヨの視線は、いつまでもユウの白い背に留まっている。
「・・・顔を上げてください」
夫の代わりに、ミミが、少しだけ声を強めた。
三人が顔を上げる。
ミミは一人ずつ、その顔を見つめていき――
結局、どうしてもユウに目が留まってしまう。
ーーやはり、そうなるのね。
心の中で、小さくため息をついた。
ただ、そこに立っているだけで視線を集める存在感。
そして、奥に秘めた強い意思を感じさせる眼差し。
――この姫に、夫は夢中だ。
「三人とも、とても綺麗ね」
ミミは、穏やかに微笑んでそう言った。
「では、キヨの家族を紹介します」
その言葉とともに、ミミはイーライへ視線を向ける。
心得たように、イーライが小さく頷いた。
「弟君のエル様は、ご承知の通りです」
キヨの背後に控えるエルのさらに後ろに、二人の中年の女性が立っていた。
「こちらが、キヨ様の姉君と、妹君でございます」
キヨによく似た二人の女性が、軽く頭を下げる。
「兄ちゃんが好きそうな方だね」
キヨが慌てて咳払いをする。
「さっきから、その姫様に夢中じゃない」
会場の空気が、わずかに歪んだ。
居心地の悪さを誤魔化すように、イーライが小さく空咳をする。
そして、声にわずかに力を込めた。
「こちらが、キヨ様の甥君。
エドワード様と、ヘンリー様でございます」
ユウは、後ろに控えていた二人の若者へ視線を向けた。
――エドワード様。
この方が、次期トミ家の跡取り。
紹介されたエドワードは、
キヨを若返らせ、背丈を少し伸ばしたような容姿をしていた。
茶色の瞳。
その瞳が、叔父と同じように――迷いなく、ユウだけを捉えている。
気づかないふりをして、ユウは微笑んだ。
「ユウ・センです」
だが、胸の内は冷え切っていた。
――あの男に、そっくり。
好色な視線まで、よく似ている。
エドワードは、頭を下げるその瞬間まで、視線を外さなかった。
ぞくり、と。
ユウの背に、寒気が走る。
――この男とは、絶対に踊らない。
そう、心の中で決める。
その隣で、もう一人の若者が静かに頭を下げた。
「ヘンリー・トミです」
年若いながら、落ち着いた物腰。
その態度に、ユウはわずかにだけ視線を留めた。
「まもなく夜会が始まります。お席へ」
イーライの静かな声に促され、ユウたちは指定された席へと案内された。
ユウを中央に、左右にウイとレイが並ぶ。
腰を下ろした途端、レイが小さく囁く。
「・・・すごい家族だったね」
「ええ」
ユウは視線を前に向けたまま、低く答える。
「特に、あのエドワードという男」
声に、隠しきれない嫌悪が滲んだ。
「キヨそっくりだわ」
「・・・姉上」
今度は、ウイが不安げに声を潜める。
「まだ、あの人・・・見ている」
ユウは、ゆっくりと顔を上げた。
エドワードが、熱を帯びた表情で、こちらを見つめている。
まるで、獲物を定めたかのように。
「・・・気持ち悪い」
思わず、声が尖る。
「あの人、妻も妾もいるはずでしょう」
吐き捨てるように言った。
「姉上」
レイが、淡々と続ける。
「あの人・・・席を立ったよ」
胸が、ひやりとする。
その瞬間、会場の空気が変わった。
楽団が音を整え、ダンスの始まりを告げるざわめきが広がる。
視線を戻すと――
エドワードが、迷いなく、まっすぐにユウへ向かって歩いてくる。
――来る!!
胸の奥に、冷たいものが走る。
あの視線の先に、立つ気はなかった。
「・・・私も、踊るわ」
ユウは、声を強張らせて言った。
逃げるためではない。
選ぶために、立ち上がる。
――エドワードと、踊るわけにはいかない。
席を離れ、視線を交わさぬまま、会場の隅へ向かう。
そこには、壁際に控えていたシュリの姿があった。
シュリの元に行き、キヨの家族のこと、エドワードのことを愚痴りたい。
そう思った、その時。
「ユウ様」
呼び止める声。
振り向くと、そこにいたのは妾のメアリーだった。
まるで、最初から“この瞬間”を待っていたように。
「ダンスでしたら・・・」
メアリーは、にこやかに微笑む。
「弟のリオウと、いかが?」
その背後。
一歩下がった位置に、リオウが立っていた。
視線は控えめで、押しつけがましさはない。
だが、確かに――ユウを、待っている。
次回ーー明日の20時20分
夜会の中央で、ユウはリオウの手を取った。
だが、王キヨとエドワードの視線は逃がさない。
「あなたを妃に迎えたい」
甘い誘いと、迫る思惑。
白いドレスが翻るたび、
運命は静かに絡み合う。




