私のために、着てほしい
◇ サカイ城 西棟 ユウの部屋
「――絶対に、着ません!」
硬く冷えたユウの声が、部屋に響いた。
「ユウ様・・・」
イーライの整った眉が、困惑したように下がる。
「あの男が仕立てたドレスなんて・・・嫌!」
拒絶は、迷いなく、激しかった。
イーライは数日後に迫るキヨの就任式のため、衣装を届けに来ただけだった。
包みを抱えたまま、言葉を失う。
思わず、宥めるようにヨシノが割って入った。
「ユウ様、式典には相応しい装いが必要です」
「この服で参列するわ。清潔だし、問題ないでしょう」
ユウは顎を上げ、淡々と告げる。
「普段であれば十分です」
ヨシノは困ったように眉を下げた。
「ですが、式典は別なのです」
シュリは、ただ立ち尽くしていた。
女性の――それも、ドレスのことなど、何を言えばいいのか見当もつかない。
そのとき。
イーライは無言で包みを開いた。
白く、静かに光を返す布地。
それを両手で恭しく持ち、ユウの前に跪く。
「このドレスは・・・」
イーライは、まっすぐにユウを見つめた。
「代金を支払ったのはキヨ様です。
ですが、布選びから仕立て、宝飾の配置まで――すべて、私が担いました」
頬が、わずかに熱を帯びる。
なぜ緊張しているのか、自分でも分からない。
「どうか」
息を吸い、一気に言い切る。
「私が選び抜いたドレスを・・・ユウ様に、着ていただきたい」
「・・・イーライ」
「キヨ様のためではありません」
最後の言葉は、かすれていた。
「私のために・・・着てもらえませんか」
その姿を、シュリは困惑したまま見つめる。
重臣が姫に頭を下げること自体は、不自然ではない。
だが、その姿勢、その言葉遣いは――
ーーまるで、求婚だ。
熱を帯びた眼差しに、ユウは根負けしたように肩をすくめた。
「・・・分かりました」
力の抜けた声だった。
「あなたのために・・・このドレスを着るわ」
白い布を、静かに受け取る。
「ありがとうございます」
イーライは、思わず笑った。
「――その顔を、多くの人に見せたらいいのに」
ユウは思わずつぶやく。
「その顔を見たら、意中の人は逃げられないでしょうね」
冗談めかして言いながら、ユウはドレスに視線を落とす。
――ユウ様。
シュリは、思わず額に手を当てたくなった。
イーライが想っている相手など、近くにいれば分かるはずなのに。
無自覚に男心を煽るその言葉に、ため息が漏れる。
「・・・すごいビーズの数ね」
「職人が一つ一つ、取り付けました」
イーライの説明は、次第に熱を帯びる。
「特に、この強く光るビーズを要所に配置しています」
「恋文だけじゃなく、ドレス選びの才能もあるのね」
ユウは感心したように頷いた。
イーライの動きは一瞬、止まった。
すぐに気を取りなおす。
「昼の式では、こちらのボレロを」
イーライは布を広げる。
「胸元を隠し、色味を抑えます。式典に相応しい装いです」
ヨシノが、深く頷いた。
「夜の祝宴では、ドレスのみでお願いします」
「・・・イーライ」
ユウは眉を寄せる。
「胸元、出しすぎじゃないかしら?」
「ユウ様は、まもなく十八になります」
イーライは理路整然と続ける。
「その年頃の娘には――胸元を出す装いが、相応しい」
「え・・・それは・・・」
ユウは視線を彷徨わせる。
豊かな胸元が美とされるこの時代。
自分は、それに足りないと理解していた。
「私は・・・そんなに・・・」
言い淀むユウに、イーライは咄嗟に口を添えた。
「大丈夫です。以前、触れたときに――確かにありましーー」
言い終える前に、はっと口をつぐむ。
沈黙。
シュリは息を呑み、
ユウの目が見開かれ、頬が一気に赤く染まる。
――事故だと、分かっている。
分かっているが。
「あ・・・いえ、その・・・違います」
イーライは珍しく動揺し、言葉を失った。
「と、ともかく・・・」
立て直すように言う。
「ユウ様のお姿が最も美しく映るよう、すべて計算しております」
「・・・分かりました」
ユウは、ほんの少し顎を上げて答えた。
一礼をして、ユウの部屋を出た。
扉が静かに閉まった、その直後――
イーライは廊下の角を曲がった途端、力が抜けたように壁にもたれかかった。
目を閉じる。
「・・・らしくないな」
喉の奥で、かすかな吐息が漏れる。
冷静であること。
正しい判断を下すこと。
感情を表に出さず、職務を遂行すること。
それが、これまでの自分だった。
失言などしない。
迷いなど見せない。
誰に対しても、一定の距離を保つ。
――それなのに。
あの人の前では、それらが、音を立てて崩れていく。
「・・・なぜ、あんなことを言った」
自嘲するように、心の中で呟く。
キヨ様のためではなく、私のために。
――あれは、完全に余計な一言だった。
側近としては、失格だ。
重臣としても、迂闊だった。
分かっている。
それでも。
胸の奥に残る感情は、後悔よりも、安堵に近かった。
――ユウ様が、あのドレスを着てくださる。
それは、任務としても、
そして――一人の男としても。
確かに、喜ばしい出来事だった。
イーライは、もう一度だけ深く息を吸い、ゆっくりと目を開く。
感情を胸の奥へ押し戻し、再び「側近の顔」を作る。
式典はまもなくだった。
◇ 数日後ーー
式典当日、城は異様な静けさに包まれていた。
貧相な男が、王になった。
かつては領民の一人に過ぎなかった男が、
戦と策と執念だけで、王座にまで上り詰めた。
人々は歓声を上げ、祝福の言葉を口にする。
だが、その目の奥には、戸惑いと警戒が混じっていた。
領民から王へ。
不可能を可能にしてきた男は、今もなお、歩みを止める気はない。
地位も、権力も、血も、そして――望む女さえも。
その手に入れたいものを、すべて、自分のものにするまで。
キヨは、王冠の重みを確かめるように、静かに微笑んでいた。
その様子を、
冷ややかに見つめていたユウは――
理由もなく、背筋が、ぞっと冷えた。
◇
夜のパーティーを前に、
ユウは西棟の私室で、静かに着付けを始めていた。
ヨシノの手が、淡々と動く。
髪を整え、背に布を当て、紐を締める。
余計な言葉を発しない。
昼の式典で見た光景が、何度も脳裏に浮かぶ。
――あの男が、国王になった。
王冠を戴き、
祝福の声に包まれながら、
まるで当然のように、すべてを手に入れた顔。
布が肩に掛けられる。
指先が背をなぞり、
ドレスが、少しずつ身体を覆っていく。
「・・・」
ユウは、無意識に背筋を伸ばす。
震えていると思われたくなかった。
あの男に、
“怯えている”と悟られることだけは、どうしても耐えられなかった。
――あの男が、国王になった。
その事実が、
今夜、この場に立つ理由そのものだ。
ユウは、そっと息を吸い、胸の奥で、静かに言い聞かせた。
逃げない。
折れない。
屈しない。
そうでなければ――今夜、何かが決定的に壊れる。
次回ーー明日の9時20分
白薔薇を挿した姫。
崇めるように見つめる側近。
そして、何も言わず隣に立つ影。
だが、祝宴の主役は――王。
ユウを巡る視線が交錯する夜が、始まる。




