攻めろ
◇ サカイ城 馬場
その日は、朝から暑かった。
数回、木剣をふっただけでシュリは、額を流れる汗を手の甲で拭う。
「暑いのに、頑張るな」
いつもの低い声とともに、目の前で木剣を肩に当て、ぽん、と軽く叩くリチャードがいた。
「おはようございます」
シュリが一礼すると、リチャードは自然な動作で構えを取る。
「相手を頼む」
二人は、静かに見合った。
次の瞬間、木剣がぶつかり合う。
重く、乾いた音。
リチャードの踏み込みを、シュリは半歩下がって受け流す。
逆に振り返した一撃を、リチャードは肘で弾いた。
間合いは互角。
打ち込みの速さも、反応も、ほとんど差がない。
だが――
シュリが一瞬、相手の動きを読もうと視線を走らせた、その時。
リチャードの木剣が、迷いなく踏み込んできた。
「――っ」
肩口に、乾いた衝撃。
シュリは、思わず一歩引いた。
「今日は、俺の勝ちだ」
リチャードは、どこか嬉しそうに笑う。
「次は、負けません」
シュリは小さく呟いた。
「決め手がない」
リチャードは、表情を引き締めて言う。
「決め手、ですか・・・?」
「倒そう、という気迫がない」
静かな声だった。
「実力は拮抗している。だが、そこで一歩、踏み込めない。だから、最後に負ける」
「・・・そうかもしれません」
――自分は、騎士ではない。
乳母子だ。
「その代わり」
リチャードは続ける。
「相手に合わせて動くのは上手い。動きをよく読んでいる」
「ありがとうございます」
「だがな」
リチャードは、真剣な眼差しでシュリを見つめた。
「もっと、自分を出せ」
「・・・自分を、ですか?」
「相手の表情や動きばかり見るな」
木剣を肩に抱えたまま、言い切る。
「自分の“我”を出せ」
シュリは、思わず視線を落とした。
――剣の話のはずなのに。
なぜか、恋愛の話をされているように聞こえてしまう。
シュリは、握った木剣をゆっくりと下ろした。
踏み込めなかった。
それは、事実だ。
「・・・私は、乳母子ですから」
控えめに口にした言葉は、
自分でも、言い訳のように感じた。
「影は、我を出してはいけないのです」
リチャードは、すべてを見透かしたような目でシュリを見る。
「陰でも、日に当たっていいだろ」
「・・・」
それは、シュリの任務には存在しない考えだった。
「逃げるな」
リチャードは、低く言う。
「少しは、自分から攻めに行け」
「・・・いえ・・・それは・・・」
「男だろ」
一喝。
「攻めろ」
シュリは、思わず視線を逸らした。
剣の話だと分かっている。
それなのに――
胸の奥に、誰にも触れられたことのない場所があるのを知られてしまった気がした。
返す言葉は、見つからない。
その沈黙こそが、
今の自分が、まだ“踏み込めない”証なのだと、シュリは理解していた。
シュリは、ふと胸元を押さえた。
そこに浮かんだのは、
剣でも、言葉でもなく――ユウの顔だった。
ーー攻めろと言われても。
シュリは下をむいた。
それをすることが許される立場ではないことを、嫌というほど知っている。
だが――
このまま踏み込まなければ、
選ぶことすらできないまま、失うのではないか。
その考えが、胸の奥で離れなかった。
このまま黙って、
ユウ様がキヨの妾になるのを見守るのも耐えられなかった。
そして――
選ばれる可能性のある相手が、他にもいることも。
昨日のイーライの眼差しを思い出す。
側から見ると、二人はお似合いでもあった。
ユウの幸せを願う立場ではなく、
隣に立ちたいという想いが強くなっていることに気づいてしまう。
稽古の時間が終わり、兵たちはそれぞれの配置に戻る。
シュリは小さく頭を下げて、任務にむかった。
「お疲れさん」
リチャードは、その背を見送るように、視線を向ける。
「・・・まだだな」
リチャードは、ぽつりと呟いた。
――だが、あいつは。いずれ、自分から前に出る。
次回ーー明日の20時20分
勝者の夜に囁かれるのは、甘い声と、血の話。
拒みながらも、心を揺さぶられる名がある。
欲望と野心が絡み合う中、
まだ誰も知らないところで――
ユウの運命が、静かに狙われていく。




