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秘密を抱えた政略結婚 ―血に刻まれた静かな復讐と、許されぬ恋の行方―  作者: 雨日
第6章 妹の婚姻 姫でいられた最後の一年
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いつか、あなたをお連れしたい

◇ 同じ頃――サカイ城 ユウの部屋


カチッ――

扉の小窓が開く音がして、ユウは思わず息を呑んだ。


視線が、扉に釘づけになる。


ヨシノがそっと扉を開ける。


その向こうに立っていたのは――イーライだった。


「ひっ」

ユウの喉から、思わず声が漏れた。


「失礼いたします」

イーライが顔を上げた、その瞬間だった。


シュリが反射的に動き、庇うようにユウの前へ立つ。


「・・・どうされましたか?」

イーライは、怪訝そうに眉を寄せる。


「・・・あの男が、来るの?」

ユウは顎を上げ、必死に声を張った。


「いいえ」

イーライは、静かに首を振る。


「キヨ様は来られません。本日は、ミミ様からの預かり物をお届けに参っただけです」


その言葉を聞いた途端だった。


シュリの肩から、すっと力が抜ける。


ユウもまた、張り詰めていた糸が切れたように、ソファへと身を預けた。


「・・・どうされましたか?」

イーライの声には、なおも小さな疑問が残っている。


「・・・なんでもないわ」

ユウは、力の抜けた、柔らかな声で答えた。


「いつもと違う時間だったから・・・少し、驚いただけよ」


「左様ですか・・・」

イーライは、納得しきれない様子で、静かに頷いた。


「ミミ様から、でございますか」

ヨシノが、イーライに声をかける。


「はい。シュリの衣類だと、伺っております」


イーライがテーブルに包みを置く横で、

ヨシノは小声で事情を添えた。


「ユウ様は・・・キヨ様が訪ねて来られることを、とても恐れておられるのです」


――なるほど。


イーライは、ようやく腑に落ちた。


お茶の時間でもないこの訪問が、ユウ様を怯えさせたのだと。


イーライはそれ以上、何も言わなかった。


ただ静かに、

この城で何かが確実に変わり始めていることだけを、胸の奥で受け止めていた。


イーライは包みの中身を改めると、シュリへ視線を向けた。


「新しい衣類に、不備はないか?」


「いえ・・・まだ、確認しておりません」


シュリはそう答えながら、内心で首を傾げる。


――そもそも、衣類の“不備”とは、どういうことだろう。


「けれど、ミミ様が手配されたものでしたら、大丈夫でしょう」


付け足すように言うと、イーライは軽く首を振った。


「この中には、キヨ様の就任式に着用する礼服もある。

不備があれば、困る」


シュリは思わず、包みの中の衣類へと目を落とした。


「一度、試着を」

イーライは淡々と続ける。


「ユウ様付きの近侍としての装いだ。丈や仕立てに問題がない方が良い」


その言葉に、ヨシノが一歩前へ出た。


「そうですね」


穏やかだが、はっきりとした口調だった。


「侍従の身なりは、本人だけの問題ではありません。

立ち居振る舞いも含めて、私が確認します」


シュリは一瞬だけ、ユウを見てから頷いた。


「・・・承知しました」


ヨシノは包みを手に取り、自然な仕草で促す。


「ユウ様、すぐに戻ります」


「・・・イーライがいるから、大丈夫」

ユウは小さく呟いた。


――そのイーライがいるから、心配なのだ。


シュリは心の中でそう叫びながらも、表情には出さず、


「すぐに戻ります」


とだけ告げた。


二人は並んで、部屋の奥へと下がっていく。


扉が閉まり――


部屋には、イーライとユウ、二人きりの空間が残された。


一瞬の沈黙。


イーライは、わずかに居心地の悪さを覚えたのか、背筋を正す。


「・・・ご無礼をいたしました」


低く、丁寧な声で頭を下げた。


「突然の訪問で、驚かせてしまったようですね」


ユウはソファに身を預けたまま、ゆっくりと首を振る。


「・・・いいえ」


小さく息を吐いた。


「私が・・・少し、過敏になっていただけ」


イーライは、その言葉を否定も肯定もせず、静かに受け止めた。


しばし――沈黙。


「・・・私が、この前」

ユウが、ぽつりと口を開く。


「ミミ様に、変なことを言ったから・・・ミミ様は困ってなければ良いのだけど」


「・・・どうでしょうか」


イーライは、先ほど執務室で交わされた二人のやり取りを思い出し、

ほんのわずかに、苦笑いを浮かべた。


「イーライ、こちらへ」

ユウは向かいのソファを指し示す。


イーライは一瞬ためらい、視線を落としてから、静かに腰を下ろした。


「その件で・・・」

イーライは言葉を選びながら続ける。


「なぜ、あのような話をなさったのですか」


――あのような話。


それは、ユウがミミに伝えた言葉。


『自分だけを想ってくれる相手と、結ばれたい』


姫として、口にしてはならない願い。


子を多く残すため、領主には妾が必要とされる――

それが、この国の現実だった。


「・・・あの発言は」

ユウは、小さくため息をつく。


「未熟だったわ」


「未熟だとは、思っておりませんが」

イーライは慎重に言葉を継ぐ。


「それでも・・・なぜ」


ユウは、しばらく黙ってから、静かに語り始めた。


「私たちは、三姉妹なの」


「はい」


「本来なら、ウイが生まれた時点で・・・」

一瞬、言葉を区切る。


「父上は、妾を持つ必要があった。

男の子を産まなければ、ならなかったから」


「・・・そうですね」

イーライは否定しない。


「でも、父上は妾を持たなかった」

ユウの声は、穏やかだった。


「両親は・・・お互いを、深く想い合っていた」


少しだけ、目を伏せる。


「あのような夫婦に、なりたいの」


それは、姫としてではなく、一人の娘としての願いだった。


「今でも忘れないの」

ユウは、遠くを見るように目を伏せた。


「夕方になると、両親はいつも散歩に出ていたわ。

並んでロク湖の水面を眺めていたの」


静かな声だった。


「二人が交わす眼差しには・・・言葉にしなくても分かるほど、愛情が溢れていて・・・。

あのような夫婦になりたいと憧れていたの」


ユウは、ふっと小さなため息をこぼす。


――幸福な子供時代は、あまりにも短かった。


それでも、あの光景だけは、今も胸の奥に残っている。


ユウは、ぽつりと続けた。


「父上のように、妾を持たない領主なんて・・・本当はいないのに」

小さく肩をすくめる。


「それでも・・・夢を見てしまうの」


苦笑いは、自嘲に近かった。


イーライは何も言わず、ただユウの横顔を見つめていた。


その沈黙を破るように、軽く咳払いをする。


「ワスト領にある、私の城は」

言葉を選ぶように、ゆっくりと続ける。


「城の眼下に、ロク湖が見えます」


「え・・・?」


ユウが、はっと顔を上げた。


「レーク城と、雰囲気が似ているのです」


「そうなの?」


「はい」

イーライは、ほんの少しだけ微笑む。


「落ち着いたら・・・一度、見にいらしてください」


その声音は穏やかだった。


「イーライも、ろくに城に行ったことがないのでしょう?」

ユウが、悪戯っぽく問いかける。


「・・・実は、一度しか」

イーライは苦笑した。


任務に追われ、自分の城は父と兄に任せきりだった。


「それでも」

静かに言い切る。


「ロク湖が見えるのは、確かです」


そして、ほんの一瞬、言葉を飲み込んでから――


「いつか・・・お連れしたい」


その言葉の裏で、イーライは心の中だけで呟く。


――ユウ様を、妻として迎えたい。


それが本音だ。


だが、口にすることは、許されない。


「そうね」

ユウは、柔らかく微笑んだ。


「行ってみたいわ」


その言葉に、イーライも微笑み返す。


それは、滅多に人前では見せない、穏やかな笑みだった。


その瞬間、ユウは――

いつも感情を殺しているイーライが、笑うとひどく整った顔立ちをしていることに、遅れて気づいた。


――そのとき。


支度を終えたシュリが、静かに扉を開ける。


そして、その光景を目にした瞬間――


イーライの微笑みを見て、

シュリは、無意識に息を詰めた。


その笑みが誰かの胸を騒がせる理由を、シュリははっきりと悟ってしまった。


次回ーー明日の20時20分


「攻めろ」


その一言が、

剣ではなく、心に突き刺さった。


守るだけでは足りないと気づいたとき、

もう以前の自分には戻れない。


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