炎のような姫に、惹かれる者たち
◇ 翌朝 サカイ城 馬場
早朝だったが、外套を羽織らずとも心地よい空気だった。
シュリは軽く背伸びをし、
木剣を手に取ると、ゆっくりと腕を振る。
「シュリ、おはよう」
のんびりとした声が、背後からかけられた。
振り向くと、リチャードが立っていた。
「おはようございます」
シュリがそう言うと、
リチャードは柵にもたれ、気だるそうにあくびを噛み殺した。
「朝は、頭が回らなくてね」
それから、何でもないことのように言った。
「あの姫様は、一筋縄じゃいかない」
「・・・どういうことです?」
シュリの問いに、リチャードは口の端を上げる。
「顔は綺麗だ。
でも、心は騎士だ。騎士よりも・・・領主の風格だ」
シュリは頷いた。
「そりゃあ、人を惹きつける」
わずかに表情を曇らせたシュリを見て、リチャードはにやりと口角を上げた。
「安心しろ」
軽い調子で言う。
「俺はな。胸がでかくて、中身のない話をする女が好きなんだ」
あまりに率直な言い方に、
シュリは返す言葉を失い、眉を下げた。
その様子を見て、リチャードは小さく笑う。
「・・・でもな」
声の調子が、少しだけ落ち着く。
「俺の好みじゃないが――」
一拍置いて、
「皆が惹かれる理由は、分かるよ」
シュリは顔を上げた。
「強くて、勇ましい女だ。崇めるように想う人もいるだろう」
リチャードは、独り言のように呟く。
その視線は、馬場の片隅にいるイーライを見た。
「あの男も夢中だ」
シュリは、イーライが黙々と木剣を振るう後ろ姿を見つめた。
ーー前より、剣の腕が上達している。
「ああいう女と、ずっと一緒にいると疲れないのか?」
リチャードは、シュリに質問をした。
「・・・ずっと、側におりましたから」
シュリは足元に視線を落とし、静かに答える。
「ユウ様は、昔からああです」
「あの姫様には、妹がいただろう?」
「はい。二人おります」.
「姉妹そろって、あんな性格なのか?」
「・・・似てはおりません」
そう答えた瞬間、シュリの脳裏にレイの顔が浮かんだ。
「気の強さは、あるかもしれませんが」
一拍置いて、静かに続ける。
「・・・あれほど前に出ることはありません」
シュリは、ほんのわずかに視線を落とした。
「ユウ様は、妹君たちをとても大切にされていますから」
「・・・なるほどな」
リチャードは、妙に納得したように呟いた。
「あの姫様は・・・自分から、火に飛び込むような危うさがある」
一拍、置いてから――
リチャードは低く、独り言のように続けた。
「強くて、脆い。
それでいて、気づけば周りを巻き込む」
雲の流れる空を見上げ、口の端をわずかに歪める。
「・・・惹かれる奴が出る。
それも、命を賭けるほどにな」
リチャードは、それ以上は言わなかった。
シュリは、何も言い返すことができなかった。
その言葉の先を想像してしまう。
ーー周りの人間の運命が、少しずつ狂っていく未来を。
木剣を握る指に、わずかに力がこもる。
ーーユウ様を守ること。
それが自分の任務であると固く信じていた。
けれどーーユウ様が自ら、その道を歩み出したら。
彼女を止めることなどできない。
そんな未来ーー想像もしたくなかった。
◇ 南領 キヨの本陣
陣所の灯りの下で、キヨは黙々とペンを走らせていた。
「この書状は、城の後方に控えている隊へ送れ」
「はっ」
使者が書状を受け取る。
「待て」
キヨは呼び止めた。
「兵の移動は、明後日では遅い。今夜のうちに準備を始めさせろ」
使者は短く頷き、駆けていく。
キヨはすぐに別の地図を引き寄せた。
「ここだ」
指先が、城の北側を叩く。
「南領は、まだ粘る。だから、押し潰すな」
弟のエルが、息を呑む。
「包め。逃げ道を、一つだけ残せ」
「・・・一つ、ですか?」
「そうだ。人は、逃げ道があるうちは、無理をしない」
キヨは顔を上げる。
「だが、その道も――わしが塞ぐ」
その言葉に、誰も口を挟まなかった。
「次」
「降った家臣が、不穏との報せです」
「名は?」
「三人。いずれも、様子見かと」
「使者を出せ。今日中にだ」
「条件は?」
「領地安堵。ただし、次に刃向かえば――」
一拍、言葉を切る。
「・・・次はない、と書け」
「は」
書状が、一通、また一通と積み重なっていく。
「兄者・・・そろそろ、休まれた方が・・・」
エルが、ためらいがちに声をかけた。
キヨは顔を上げる。
「これからが、一番大事な仕事なのじゃ」
「・・・大事な、仕事?」
「そうじゃ」
「それなら、私も――」
エルは慌ててペンを取り、インクに浸す。
だが、キヨは静かに首を振った。
「こればかりは、エルにもできぬ」
「それは・・・?」
「ユウ様への文じゃ」
エルは思わず、机に体重を預けそうになった。
「女に宛てる手紙が、大事な任務ですか」
呆れたように言いながら、
先ほどまで兄の身を案じていた自分が、少し情けなくなる。
「あぁ」
キヨは真剣な顔でペンを走らせた。
「早う、この戦を終えて、ユウ様と子を作りたいのじゃ」
「兄者・・・まだ、その話を・・・」
「本気じゃ」
ペン先は止まらない。
「跡取りを作り、このトミ家を安泰にする。それが、わしの役目じゃ」
――兄者は、もう五十。
今から子を授かるなど、厳しい。
エルは、そう言いかけて、飲み込んだ。
キヨの横顔が、あまりにも真剣だったからだ。
「――戦を終わらせるぞ」
低く、しかし確かな声。
「勝つだけではない。ここで、終わらせる」
灯りの下で、キヨの声は途切れなかった。
「戦が終われば、あの女はわしのものじゃ」
軽薄な笑顔の奥で、
この男は、一度も手を止めず、
争いの糸を、確実に手繰り寄せている。
愛嬌と知恵と行動力で、すべてを掴んできた兄。
それでも、どうしても手に入らなかったものがある。
それが、子だった。
――ユウ様を妾にすれば、それも叶う。
兄は、そう信じている。
エルは、必死にペンを走らせる兄の背中を、
哀れみにも似た眼差しで、静かに見つめていた。
次回ーー明日の20時20分
穏やかな日常の裏で、
ユウを「妾」として欲する男の本音が、言葉となって突きつけられる。
守るだけでは、もう足りない。
想いと欲望が交差する中、
ユウの未来は、確実に狭められていく――。




