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秘密を抱えた政略結婚 ―血に刻まれた静かな復讐と、許されぬ恋の行方―  作者: 雨日
第6章 妹の婚姻 姫でいられた最後の一年
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守るだけでは済まない

◇ 春 サカイ領 港町 宿場の食堂


食後、卓に素朴な皿が運ばれてきた。


皮つきのまま焼かれた林檎がひとつ。

蜜を含んだ甘い香りが、湯気とともに立ちのぼる。


皮は熱で裂け、そこから柔らかな果肉がのぞいていた。


ユウは一瞬、その林檎を見つめる。


次の瞬間、シュリは何も言わずナイフを取った。


皮に沿って、静かに刃を入れる。

食べやすい大きさに切り分け、種を避ける。


その動きに、迷いはない。


考えるより先に、身体が動いているだけだ。


「ありがとう」


ユウがそう言って受け取ると、

シュリはすでに次の皿へ視線を移していた。


城では、料理は最初から取り分けられている。

骨も、皮も、すべて除かれた状態で。


だからこそーー

この手つきは、城の外でなければ見えないものだった。


シュリの慣れ切った所作を見て、

イーライは、静かに視線を落とした。


ーー重臣が、使用人を羨ましがる。


本来、あってはならない感情だ。


けれど。


城を一歩出た途端、

ユウとシュリの関係が、どれほど特別なものかを思い知らされる。


ユウは、運ばれてきた紅茶を一口含み、わずかに顔を顰めた。


「・・・お茶は、イーライが淹れた方が、はるかに美味しいわ」


何気ない一言。


「・・・負けるつもりはありません」

イーライが静かに口を開いた。


何に対してかは、言わない。


茶の味か。


それともーー


その横顔を、リチャードは黙って眺めていた。


ほんの一瞬だけ、口元が緩む。


気づいた上で、何も言わない。


それが、この男の立ち位置だった。



ユウは、自分の前に座るイーライを見つめた。


そこにあったのは、先ほどまでの無邪気な眼差しではない。


何かを決意したような、強く揺るがぬ瞳だった。


「イーライ。南領の争いは、随分と時間がかかっているのね」

ユウの声には淀みがなかった。


そこにあったのは、キヨの身を案じる情ではない。


ただ純粋な疑問だった。


「すでに半年。

兵も金も尽きていないわ。それでも、なぜ、ここまで長引くの?」


イーライは一拍置き、言葉を選ぶ。


「・・・戦そのものは、長くはございません」


「では、なぜ」


「“戦に至るまで”と、“戦の後”に、時間が必要なのです」


ユウの視線が鋭くなる。


それに気づき、リチャードはわずかに表情を引き締めた。


「詳しく」


「南領を完全に滅ぼすこと自体は、キヨ様のお力で容易いでしょう。

しかし――滅ぼせば、地は荒れます」


「荒れた地は、治めにくい。・・・それが理由?」


「はい」

イーライは静かに頷く。


「南領には、敵に従った者、従わざるを得なかった者、

そして、機を見て動く者が混在しております」


ユウの指先が、わずかにテーブルを叩いた。


「・・・選別、ね」


声は低いが、感情を隠しているのが分かる。


その表情は、姫というより、領主のものだった。


リチャードは、その横顔から目を離せなかった。


姫を見ているはずなのに、目の前にいるのは“政を担う者”だった。


奇妙だ、と思う。


リチャードは軽く頭を振った。


――この場に違和感を覚えているのは、自分だけなのか。


姫が問い、

重臣が答え、

乳母子がその場にいることを、

誰も不自然だと感じていない。


――この三人は、それが“普通”なのか。


これまで、身分の隔てなく多くの女性と接してきた。


だが、政の話をする女など、見たことがない。


女は、そうあるべきだと教えられてきた。

姫なら、なおさらだ。



それなのに――

目の前のユウは、重臣と対等に政を語っている。


口出しではない。

判断し、次を見ている。


ーー姫、だよな。


視線をユウから外し、今度はシュリを見る。


それは、剣を持つ男の顔だった。


だが、ユウの言葉一つで、呼吸の深さが変わる。


守っているのではない。

従っているのでもない。


ーー支えてる、か。


リチャードは、もう一口、林檎を齧った。



「逆らえば滅び、従えば生きる。

その線を曖昧にせぬために、キヨ様は苦心されているのです」


イーライの言葉に、ユウは目を伏せる。


「・・・銃や剣ではなく、人の心を戦わせている。あの男らしいわ」


冷たい声だったが、わずかに震えていた。


「はい」


「剣で斬れば、一瞬。

けれど、それでは次の争いを残す――そういうことね」


一瞬、沈黙が落ちる。


ユウは、ゆっくりと息を吐いた。


「つまり」


イーライをまっすぐに見据え、告げる。


「この争いは、

“終わらせるために、時間をかけている”ということ?」


「その通りでございます」

イーライは深く頭を下げた。


「キヨ様は、南領を“勝ち取る”のではなく、“組み込む”おつもりなのです」


その言葉に、ユウの胸がわずかにざわめく。


「・・・だから、急がないのね」


「急げば、血は増えます」


ユウは悔しそうに唇を噛み締めた。


尊敬する両親、叔父、義父――彼らとは違うやり方で争いを進める男。


憎い。


けれど――


「悔しいわ」

低く、吐き出す。


「あの男の実力を、認めるなんて」


その一言に、リチャードは林檎を噛むのをやめた。


ーーこれは、負け惜しみじゃない。


理解した者だけが口にできる声だ。


厄介な姫だな。


理解してしまう。

認めてしまう。

そして、感情を飲み込む。


守るだけでは済まない存在だと、

この港町で、リチャードは思い知らされた。


次回ーー明日の20時20分


守ることは、任務だった。


けれど――

彼女が自ら歩み出したとき、

その手を掴む資格は、誰にあるのか。


そして、南領では“終わらせるための戦”が動き出す。


それぞれの距離が、少しだけ近づき、

同時に――取り返しのつかない未来も、近づいていた。

「炎のような姫に、惹かれる者たち」

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