剣は、素直だ
翌朝、薄暗い馬場で、シュリは黙々と木剣を振っていた。
白い息が、規則正しく空に溶ける。
稽古に没頭すれば、頭の中の雑念は追い払われる。
シュリは、そのことをよく知っていた。
それでも――
昨日見た、ユウとイーライの光景は、
拭っても、拭っても、何度も蘇る。
木剣を振る速度が、次第に上がっていく。
そのとき。
「・・・甘いな」
シュリは動きを止め、振り返った。
振り返る前から、声の主は分かっていた。
リチャードだった。
相変わらず、見透かすような目でこちらを見ている。
「甘い、とは?」
息を弾ませたまま、シュリが問う。
「感情の乱れが出ている」
リチャードは、ふっと笑った。
「剣に気持ちを乗せるな。戦場では、命取りになる」
そう言ってから、リチャードは一瞬だけ言葉を切った。
シュリは黙って、木剣を下ろす。
リチャードの指摘は、的確だった。
だからこそ、何も言い返せない。
「・・・シュリは、いつも苦しそうだ」
小さく、独り言のようにリチャードは呟く。
――そうなのだろうか。
「もっと楽な道があるだろう。他の女に目を向けるとか」
木剣で地面を軽く叩きながら、リチャードは続ける。
「バレないように、上手く、要領良く・・・まあ、そんなのは、シュリには無理か」
その目は、いつもより少しだけ、気の毒そうだった。
一瞬、絆されそうになる。
だが、シュリは唇を引き締める。
――ここで、暴露してはいけない。
自分の気持ちは、決して漏らしてはいけない。
それと同時に、疑問が浮かぶ。
この男は、決して咎めない。
揶揄するようでいて、否定もしない。
本来なら、口にすらされない感情だ。
姫に私情を抱くなど、禁忌でしかない。
それなのに。
シュリは、思わず口を開いた。
「・・・リチャードは、なぜ、咎めない」
主語はなかった。
けれど、それでも――この男には、きっと伝わる。
そんな確信があった。
「・・・俺はな、子供がいるんだ」
リチャードは、城の高い壁を見上げたまま、ぽつりと呟いた。
「・・・子供が・・・いるのですか?」
思わず漏れた声に、シュリ自身が驚いた。
リチャードは、自分とそう年の変わらない男だ。
それでも――その口から出た言葉は、あまりに重い。
「あぁ。もうすぐ三歳になる。女の子だ」
「それって・・・」
言葉の続きを、シュリは飲み込んだ。
「あぁ。十四のときにできた子だ」
淡々とした口調だった。
まるで、事実を並べているだけのように。
「・・・お相手は・・・」
シュリは、思わず聞かずにいられなかった。
「女中だ。子を産んだ時、彼女は十八だった」
その言葉に、シュリは思わず目を見開く。
「次男とはいえ、俺は領主の息子だ。父や家臣には、散々呆れられたよ。
――女中と恋仲になるのか、ってな」
「・・・」
シュリは、ただ静かに頷いた。
「父は言った。せめて侍女に手を出せば良かったのに、とな」
まるで、女中は人ではない――そんな言い方だった。
女中が領主の息子を身籠る。
それは、あまりに身分差が大きすぎる出来事だ。
「しかも、彼女の方が年上だったからな。
誘惑したんだろう、と・・・好き放題に言われた」
リチャードは、わずかに口元を歪めた。
「・・・それで、どうされたのですか」
許されるはずのない身分差だった。
「結婚した」
短く、はっきりとした言葉だった。
シュリは、驚いたように顔を上げる。
次男とはいえ、領主の息子が女中と結婚する。
妾ならともかく――そんな話は、聞いたことがない。
「彼女と結婚しなければ、家を出る。そう、息巻いたんだ」
リチャードの言葉は、途切れることなく続いた。
「領民になってもいい。
あいつと暮らせるなら、それでいい。
あいつの顔を見て、子を一緒に育てられれば・・・他には、何もいらないと思っていた」
「・・・奥様は・・・今・・・」
その問いに、リチャードは目を閉じた。
「死んだ」
「え・・・」
シュリの声は、かすれた。
「城に西領の兵が攻め込んできた。
戦には勝ったが・・・窓際にいたあいつは、矢を受けてな。
――死んだ」
淡々とした声だった。
「戦場では、よくある話だ」
「お子様は・・・」
「ナノ領にいる。父の元だ」
リチャードは、木剣を手のひらで軽く叩く。
「会いたいが・・・俺は今、人質だからな。
人質の役目が終われば、そのうち釣り合う縁談が来て、
また結婚することになるだろう」
そう言いながら、リチャードの手は、ほんの一瞬だけ木剣を強く握っていた。
――だからだ。
だから、この男は、シュリの想いを否定しない。
シュリは、ようやく理解した。
黙り込んだシュリの表情を見て、
リチャードは、ふっと口元を緩めた。
「おい。あいつを見ろ」
顎で示した先――馬場の端で、木剣を振るうイーライの姿があった。
いつもより、明らかに力のこもった太刀筋。
「・・・あいつ、何かいいことがあったな」
リチャードは、ニヤリと笑う。
「剣は、素直だ」
シュリは何も言わず、その背を見つめた。
イーライの表情は変わらない。
けれど――以前とは、何かが決定的に違う。
「・・・リチャード」
静かに、名を呼ぶ。
「ん?」
わずかに首を傾げたリチャードに、シュリは向き直った。
「・・・あの本を、貸してくれ」
あの本。
以前、リチャードが半ば冗談のように勧めてきた、恋愛の指南書だ。
リチャードは、一瞬だけ目を瞬かせ――
すぐに、楽しそうに口角を上げた。
「ああ。いいぞ」
ブックマークや感想をありがとうございます。
長文で非テンプレ、群像劇という形の物語を、
新しく読んでくださった方、そしてこれまで読んでくださっている方、
皆さまの存在が雨日の活力になっています。
物語はまだ続きますので、引き続きお付き合いいただけたら嬉しいです。
次回ーー本日の20時20分
祝われる日に、
彼女は自分の未来を切り分けた。
守るために、
選ばないという選択をする。
その覚悟を、
理解してしまった者がいる。
それは、
誰にも言えない想いの始まりだった。




