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凍りついた視線の先でーー触れた唇

◇サカイ城 最上階


ユウは身を乗り出すように、外の景色を見つめていた。


「ここは下の大広間と違い、簡易的な造りです。あまり身を乗り出さないでください」

イーライが注意する。


「あら、大丈夫よ」

ユウは少し顎を上げた。


その瞬間、低い天井がユウの頭に触れ、鈍い音が響いた。


「大丈夫ですか?」

イーライは思わず手を伸ばし、ユウの頭に触れる。


「天井も低い・・・お気をつけください」

そう言ってから、ふと気づく。


ユウの顔が、驚くほど近い位置にあることに。


イーライは慌てて距離を取った。


「大丈夫よ」

ユウは少し涙目になりながらも頭をさすり、

そのまま子供のような無邪気さで外の景色へと視線を戻した。


城を取り囲む川を見つめ、小さく呟く。


「あの川は、ワスト領まで繋がっているのよね」


物思いに沈んだ声だった。


「はい。ロク湖へと続いております」


イーライは淡々と答えたが、

狭い天井裏でユウと二人きりだという状況に、緊張が抑えきれない。


「イーライは、城持ちの重臣よね」

ユウがちらりと視線を向ける。


「そうです。キヨ様より、ワスト領の一部を賜りました」


風が優しく吹き、イーライの黒い髪を揺らした。


「その城からは、ロク湖が見えるの?」


「見えます。もっとも、城には一度しか行っておりませんが」


「一度だけ? 自分の城なのに?」


目を丸くするユウの表情が、あまりにも無邪気で。

イーライは、ほんのわずかに目を細めた。


「・・・私は今、このサカイ城を離れるつもりはありません。

キヨ様に頼られていることは、この上なく幸せなことですから」


その口調は、心からそう思っていると伝わってくる。


「あの男は、あなたに甘えすぎなのよ!」

ユウは唇を尖らせた。


その様子に、イーライは目を伏せる。


「それで良いのです。私の仕事は、誰にでもできる仕事。

キヨ様が成し遂げることは、あのお方にしかできません」


「そんなことはないわ」

ユウは静かに言った。


「イーライは、もっと自分の仕事に自信を持つべきよ。

あの男に、そこまで付き添えるのは・・・あなたしかいないわ」


そう話すユウの表情は、姫の仮面をかぶってなかった。


年相応の少女の顔。


その言葉と表情が面白くーーそして、あまりにも愛おしく感じ、

イーライは思わず声を出して小さく笑った。


知り合って間もなく三年。


イーライが声を上げて笑う姿を、ユウは初めて見た。


能面のように整った顔立ちの青年は、

笑うと目元にわずかな皺が寄り、それが不思議なほど魅力的だった。


「・・・もっと、そういう顔を皆に見せればいいのに」

思わず、ユウが呟く。


几帳面で徹底した仕事ぶり。


そのせいで、イーライは兵たちから陰口を叩かれる存在でもあった。


身分が低いにもかかわらず、誰よりも出世が早いことも、敬遠される理由の1つだった。


「・・・左様ですか」


「そうよ」

ユウは強く頷く。


その真っ直ぐな眼差しを受け、イーライはわずかに柔らかな表情で視線を落とした。


これ以上、ユウに惹かれないため。

自制心を保つため。

そして――自分を守るためでもあった。


「主不在の城では、領はまとまらないのでは?」

ユウの疑問は尽きない。


こんな風に、イーライと膝を突き合わせて話したことは初めてだった。


「問題ありません。城は父と兄が守っておりますし、優秀な家臣も数名引き抜きました」


「そうなの?」


「はい。私の手当は、その家臣たちの手当に回しております」


「・・・もっと贅沢な暮らしはしないの?」


イーライはしなやかな身体をわずかに折り、城下を見つめた。


「構いません。私は・・・キヨ様に仕えるだけで幸せなのです」


その決意に満ちた言葉は、誰にも否定できないものだった。


「イーライは、結婚しないの?」

再び、ユウが問いかける。


その瞬間、イーライの表情に影が落ちた。


「・・・しません」


「どうして? 城持ちの領主で、重臣なら縁談も来るでしょう?」


「ええ・・・」


口調は重い。


「それなら――」

ユウが言いかけた、その時。


イーライは真っ直ぐにユウを見つめた。


「好いている人がおります」


言ってしまった、とイーライは遅れて思った。


喉の奥が、ひどく乾く。


「そうなの?」

驚きに、ユウの声が低くなる。


理路整然としたイーライに、そんな感情があるとは思っていなかった。


「それなら、その人と・・・」


ユウの言葉を遮るように、イーライは前を見据えたまま言った。


「片恋なので」


苦しげな表情だった。


ユウは何か言おうとして、口を閉ざした。


一度だけ、心の扉を開いたイーライは、再びそれを閉じてしまった。


そこに、言葉を差し込むことはできなかった。


「戻りましょうか」


イーライが声をかける。


「今度は、私が先に降ります」


すでに、イーライは階段へと向かっている。


ユウは黙って、ドレスの裾をたくし上げ、あとに続いた。



――しまった。


階段を降りながら、イーライは内心で舌打ちした。


目の前には、ドレスをたくし上げたユウのふくらはぎがある。


白く、張りのあるその線が、視界から否応なく入り込んでくる。


柔らかそうだ――

そんな考えが浮かんだ瞬間、自らを戒める。


目を逸らしたい。

だが、安全のため、視線を外すことは許されない。


一段降りるたび、足が動くたび、

イーライの胸の奥で、抑え込んできた衝動がざわめいた。


――触れてはいけない。

――考えてはいけない。


それでも、唇を落としてしまいたいという衝動が、意志を揺さぶる。


視線を下げたまま、イーライは小さく息を整えた。


――地獄だ。


先ほどは、少し喋りすぎた。


ユウ様には、不思議な力がある。


あの瞳で見つめられると、

必死に抱え込んでいた秘密まで、吐き出してしまいそうになる。


気をつけなくてはならない。


イーライは静かに唇を引き結んだ。


やがて、大広間の床に足をつけた瞬間、

胸の奥に溜まっていた息が、わずかにほどける。


先ほどの密室のような場所より、

こうして広い空間にいる方が、心を保ちやすい。


「・・・もう間もなくです」


イーライは視線を伏せたまま、ユウに告げた。


その瞬間だった。


たくし上げられていたユウのドレスが、ふっと落ちる。


裾が足に絡み、ユウの身体が大きく揺れた。


「――っ」


足を滑らせ、階段から転げ落ちそうになる。


「危ない!」


反射的に、イーライはユウの身体を抱き留めた。


だが、勢いまでは殺しきれない。


二人の身体はもつれたまま、床へと転がり込む。


次の瞬間――

絨毯の上に倒れ込み、弾みで、唇が触れ合った。


イーライは目を見開いた。

上に覆いかぶさる形になったユウも、完全に動きを止めている。


至近距離で、視線が絡んだ。


唇に残る、確かな感触。


イーライの意識は、一瞬、遠のく。


――何も考えられない。


ただ、目の前にある青い瞳だけが、世界のすべてになった。


そのとき。


扉が、静かに開いた。


足音はなかった。


それでも、空気が一瞬で張りつめた。


採寸を終えたシュリの視界に映ったのは、

絨毯の上に倒れ込むイーライと、

その上に覆いかぶさるような体勢のユウ。


イーライの黒髪は乱れ、普段は隠れている額があらわになり、

ユウの髪も絨毯の上に散らばっていた。


ユウのドレスの裾は大きくめくれ、

白い太ももには、イーライの手がしっかり添えられていた。


――そして何より、シュリの瞳を凍りつかせたのは、二人の唇が、確かに触れ合っていたことだった。


誰も動けないまま、時間だけが冷たく流れていた。


次回ーーあすの20時20分


それは、事故だった。

誰も、嘘はついていない。


けれど――

事故では済まされない感情だけが、そこに残った。


剣を抜いた理由も、

唇を離せなかった理由も、

口にすれば、すべて壊れてしまう。


だから、誰も何も言わない。


血の味だけを残して。


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