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・・・触れてはいけないと思った

展望室へと続く急な階を上りきったとき、

ふっと風が吹き抜け、ドレスの袖を揺らした。


イーライは一歩先に立ち、振り返ってユウに声をかける。


「こちらでございます」


扉が開かれた瞬間、豪奢な空間が目の前に現れた。


「・・・すごい」

思わず、ユウが息を呑む。


後ろからついてきたシュリも、目を見開いた。


部屋の正面には、大きな絵が掛けられている。


金を基調に、真紅の花が大胆に描かれた一枚だった。


「・・・いかにも、あの男が好みそうな絵だわ」

息を整えながら、ユウが小さく呟く。


「名のある絵師の作でございます」

イーライは淡々と答えた。


そして、彼は室内を横切り、テラスへと続く扉を開く。


「こちらへ」


視界が一気に開けた。


そこは、サカイ城の最上階――

城下の町並みが、まるで掌に載せた地図のように広がっている。


ユウもシュリも、言葉を失った。


「東に見える川が、ミヤビへと通じております」

イーライは、指先で空をなぞるように示す。


「物資は、あの流れを使います。南は城下町。鉄砲と金が集まる、要の地、西は海」


ユウは黙って耳を傾け、

遠くに連なる屋根と、行き交う人影に目を細めた。


煙を上げる竈。

小さく動く人々の暮らし。


「・・・すごいわ」


その一言に、イーライは静かに頷く。


「高く築くことで、すべてが見渡せます」


低い声で続ける。


「敵も、味方も――そして、この国の流れも」


しばし、沈黙。


風が吹き抜け、ユウの金の髪を揺らした。


イーライは視線を外し、静かに言葉を重ねる。


「キヨ様がこの城に託されたのは、威光だけではありません。

人が集い、富が巡り、国が回る――その仕組みです」


「・・・あの男は、その辺りが巧みなのね」

悔しさを滲ませて、ユウが言う。


「はい」

イーライは感情を挟まず答えた。


「キヨ様は、争いだけでなく、民を豊かにする力をお持ちです」


ユウはもう一度、城下を見下ろした。


この眺めが、

この城が、そしてこの国が――


やがて、自分の運命をも包み込んでいくのだと。


そう、はっきりと感じながら。


――そのとき。


家臣が、音を立てぬよう静かに扉を開けた。


「失礼いたします。

ユウ様の乳母子に、ご用件がございまして――」


シュリが、はっと顔を上げる。


「・・・私に?」


「はい。洋服の採寸でございます」


その言葉を聞いた瞬間、シュリの表情に、わずかな陰が落ちた。


――ここで、ユウ様と離れるのか。


ユウはすぐに気づき、シュリに声をかける。


「シュリ、行ってきて」


「・・・けれど――」

シュリは言葉を詰まらせる。


――ユウ様と、イーライを、二人きりになどさせたくない。


ユウは安心させるように、柔らかく微笑んだ。


「私なら大丈夫よ。イーライがいるし」


――その イーライがいるから、不安なのに。


喉まで出かかった言葉を、シュリは必死に飲み込んだ。


「早う、支度を」

家臣が、促す。


シュリは小さく息を吐いた。


――ユウ様は、男心に疎い。


そして、イーライの気持ちにも、まだ気づいていない。


「・・・それでは、行ってまいります」


静かに頭を下げる。


その瞬間――イーライの瞳の奥が、かすかに揺れた。


喜びを隠しきれない光。


シュリは、その視線を逃さなかった。


「・・・すぐに戻ります」


イーライをまっすぐ見据え、はっきりと告げる。


牽制の言葉。


その意味を、イーライは理解していた。


シュリが部屋を出ると、豪奢な広間には、ふっと音が消えた。


残ったのは、二人分の気配だけ。


ユウは興味深そうに、ゆっくりと室内を見渡している。


その後ろ姿を、イーライは熱を帯びた視線で追っていた。


「イーライ、あれは?」

ユウが指差したのは、奥に設えられた梯子のような急な階だった。


「こちらは、この部屋の屋根裏へ続いております」


「屋根裏?」


不思議そうに首を傾げる。


「はい。この城で、最も高い場所です」


その言葉に、ユウの瞳がぱっと輝いた。


「・・・見たいわ」


その表情に、イーライは一瞬、言葉を失う。


「・・・ご覧の通り、階段は急でございます」

慎重に、言葉を選ぶ。


「そのお姿では・・・」


長い裾を引くドレスへと視線が落ちる。


「大丈夫よ」

ユウは少し顎を上げ、迷いなく言った。


「ですが――」


なおも躊躇するイーライをよそに、

ユウは無言でドレスの裾をたくし上げた。


白いふくらはぎが、はっきりと露わになる。


下半身を晒す感覚は、女性にとって、ほとんど裸に近い行為だった。


シュリがこの場にいたら、止めただろう。


けれど、シュリはいなかった。


「・・・!」


イーライは息を呑み、慌てて視線を逸らす。

頬が、わずかに熱を帯びた。


一方のユウは、まるで気にも留めず、きっぱりと言い切る。


「私は、登れるわ」


「・・・はい」

イーライは目を伏せ、階段へと誘った。


板張りの床は軋み、段は急で、一段ごとの高さも揃っていない。


ユウは慎重に足を運ぶ。


一段、また一段。


わずかに乱れる呼吸を、イーライは聞き逃さなかった。


「やめましょうか?」

足を止め、半身になって振り返る。


ほとんど垂直に近い階だった。


「やめないわ」


息を整えながらも、視線は揺るがない。


――結局、惚れた方が負けなのだ。


イーライは、ふっと頬を緩めた。


「・・・それでは、参りましょう」


再び、ゆっくりと歩を進める。


「どうして、こんなに急なの?」


「城は、人を迎えるための建物ではございません」

淡々と答える。


「守るためのものです」


天井が近づいたところで、イーライは自然な所作で手を差し出した。


ユウは一瞬、ためらい――その指先を、そっと預ける。


――この階段は、選ばれた者しか上がらぬ。


そう思った瞬間、最後の一段が現れた。


足場は狭く、わずかに身を乗り出さねばならない高さだった。


イーライは反射的に一歩近づき、ユウの身体を引き上げるように、腕を添えた。


その拍子に、二人の距離が一気に縮まる。


触れ合った身体越しに伝わる体温。

かすかに、甘い香りがした。


その距離は、礼節と衝動の、どちらにも転びかねない近さだった。


一瞬、唇が震えるのを、イーライは自覚した。


ーーまずい。


気が遠くなるような感覚を押し殺し、彼は視線を伏せたまま、淡々と声をかける。


「・・・よく、登れました」


ユウはドレスの裾を整えながら、何事もなかったかのように、にっこりと微笑む。


その笑顔があまりにも眩しくて、イーライは、思わず目を伏せた。


イーライは扉に手をかけ、静かに開く。


途端に、光が溢れた。


風が吹き抜け、視界が一気に開く。


城下、川、屋根の連なり、行き交う人影――

すべてが、足元に広がっていた。


「・・・」


ユウは言葉を失い、ただ前へ進む。


先ほどまでの息の乱れも、疲れも、嘘のようだった。


「・・・高い」


それは、驚きであり、畏れでもあった。


「はい」

イーライは静かに応じる。


「ここまで登った者にしか、見えぬ景色でございます」


ユウは城下を見下ろしたまま、ゆっくりと息を整える。


二人は、ふと目を合わせ――静かに、微笑み合った。


それは、いつも能面のような彼が、初めて見せた柔らかな表情だった。



次回ーー明日の20時20分

触れてはいけないと、思っていた。

それでも、触れてしまった。


それが事故だったのか、

それとも――心が選んだ結果だったのか。


見てはいけないものを見てしまった者が、

最初に壊れるのは、誰なのか。


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