・・・そういうのが、好きなんでしょう?
「気持ち悪い!」
ユウは吐き捨てるように言い、廊下を足早に進んだ。
その感情は、歩調の速さにそのまま表れている。
少し後ろを歩きながら、シュリは静かに思考を巡らせた。
――このまま部屋へ戻れば、母のヨシノは気づく。
ウイ様やレイ様にも、きっと良くない。
一度、落ち着かせる必要がある。
「ユウ様」
穏やかな声で呼びかける。
「少し、外の空気を吸いましょう」
部屋とは反対側の回廊を、さりげなく示した。
ユウは怒りを瞳に滲ませたまま、ほんの一瞬だけ逡巡し――
「・・・いいわ」と、短く答えた。
人目のない回廊の奥。
古い石壁に沿って置かれた、簡素なベンチ。
「ここで、少し休みましょう」
シュリはハンカチを取り出し、そっとユウを座らせた。
「・・・私も、いずれメアリー様のようになるのかしら」
ふいに、ユウがつぶやく。
――昨夜、あれほど真剣な顔で迫ってきた男が。
翌日には、別の女を抱く。
領主としては当然の振る舞い。
それでも、ユウの感情は受け入れなかった。
ユウの呟きにシュリが息を呑んだ。
ーー考えたくもないことだった。
でも、そうならない未来を想像する方が難しかった。
「・・・少し、落ち着きましょう」
シュリはユウの背中を、ゆっくりと撫でながら言う。
「息を吸って・・・吐いて・・・」
静かな声が、中庭に溶ける。
何度か繰り返すうちに、
張り詰めていたユウの呼吸が、わずかに和らいだ。
「シュリ・・・こちらへ」
ユウが、ベンチの空いた側を指す。
シュリは少し距離を保ったまま、隣に腰を下ろした。
ユウは俯き、しばらく黙ってから――思い切ったように顔を上げる。
「・・・シュリも」
言葉を選ぶように、一拍置く。
「メアリー様のような・・・」
「・・・?」
「・・・ああいう、豊かな胸の方が好きなの?」
唐突で、真っ直ぐな問い。
「・・・え・・・あ・・・?」
シュリは完全に虚を突かれた。
「男の人なら、そうに決まっているでしょう」
ユウは、少し強い口調で言う。
狼狽して言葉を失うシュリに、ユウは思わず身を乗り出した。
「・・・好きでしょ?」
その瞬間。
シュリは、無意識にユウの胸元へと視線を落としてしまった。
――しまった。
「・・・そんなことは、ありません」
必死に取り繕う。
「嘘よ。さっきだって、メアリー様の胸元を見ていたじゃない」
きっぱりと言い切られ、シュリの視線が泳ぐ。
――見ていない。いや・・・見たかもしれない。
「・・・確かに、見ました」
正直に口にした瞬間、心臓が嫌な音を立てる。
「やっぱり」
ユウは、宣告するような目でシュリを見つめた。
その視線に、シュリは弱い。
「で、でも!」
慌てて言葉を継ぐ。
「私は・・・小さめの方が、好きです!」
言ってしまった。
言った瞬間、自分でも驚く。
ユウが、目を丸くした。
――しまった。
「い、いや・・・大きさではなくて・・・」
慌てて言い直す。
「・・・好いた女性が、理想になるだけで」
シュリは真っ直ぐにユウを見つめた。
「それは・・・」
ユウの言葉が宙に漂う。
「・・・ささやかでも?」
少し拗ねたような声音。
「はい」
シュリは即座に頷いた。
「好いていれば・・・大きさなど、関係ありません」
その視線に、わずかに熱が宿る。
「・・・なら、いいわ」
ユウは小さく顎を上げる。
「はい」
困ったようなシュリの顔を見て、ユウは思わず声を立てて笑った。
つられて、シュリも曖昧に微笑む。
「・・・それで、あの男の顔、覚えている?」
ユウがふっと口角を上げた。
先ほどまでの怒りが、いたずらめいた光に変わっている。
「はい」
シュリは、もう堪えきれないというように肩を揺らして頷く。
「裸で、真っ青な顔をしていたわ」
ユウは思い出すように目を細める。
「まるで、化け物でも見たみたいに」
「『ヒィッ』と叫んでいましたね」
シュリも、ついに吹き出した。
「声まで裏返っていました」
その瞬間、ユウの口から笑い声が零れた。
「ふふ・・・あはは・・・!」
こらえようとするほど可笑しくなり、肩が揺れる。
シュリも耐えきれず、声を上げて笑った。
「はは・・・っ、あれは・・・っ」
「本当に、情けない顔だったわ!」
二人はベンチに身を預け、腹を抱える。
笑い声が、回廊の奥に柔らかく響いた。
――こんなふうに、声を出して笑ったのは、いつぶりだろう。
ユウは息を整えながら、ふと気づく。
胸の奥にこびりついていた重たいものが、少しだけ軽くなっている。
だからこそ、また思い出してしまうのが怖かった。
シュリも同じことを感じていた。
ユウの隣で笑っている、その事実だけで。
しばらくして、ようやく笑いが落ち着くと、
二人は顔を見合わせ、照れたように、もう一度小さく笑った。
ささやかな、穏やかな時間。
――だが。
その背後から、静かに二人を見つめる視線があった。
イーライは、
声を出して笑うユウの背中から、目を離せずに回廊で立ちすくんでいた。
二人の笑い声が、やがて風に溶けていった。
その翌朝――
城門が開かれ、キヨは南領へと出陣した。
角笛が鳴り、兵の列がゆっくりと動き出す。
城は再び、戦の色に塗り替えられていった。
誰もが知っていた。
この出陣が、ただの戦では終わらないことを。
そして――
その波が、確実にユウの運命へと迫っていることを。
次回ーー明日の9時20分
「私だけを想ってくれる人がいい」
その願いは、
姫としては、あまりにも罪深い。
そしてそれを、
聞いてはいけない男が、聞いてしまった。




