聞かなかったふりを、しなかった
◇同じ日 昼下がりーーユウの部屋
城の別の棟でも、静かに歯車は回っていた。
「メアリー様が?」
呼び止められ、ユウは振り返った。
「はい。大事なお話があるようで、これから部屋に来てほしい、と」
ヨシノはわずかに眉を寄せている。
「構わないわ」
ユウはソファから立ち上がった。
「その・・・私はこのあと打ち合わせがあり、ご一緒できなくて」
ヨシノは言い添える。
「大丈夫よ。同じ棟だもの」
そう言って、ユウはシュリを見た。
「シュリがいるから」
「はい」
短く、シュリが頷く。
◇
メアリーの部屋の扉を開けた瞬間、ユウは思わず息を呑んだ。
扉のすぐ先に、大きな寝台がある。
生活の場というより、目的のために用意された空間だった。
ユウの表情を見て、メアリーが微笑む。
「妾の部屋は、こういう造りですの」
穏やかな声で、さらりと言う。
「すぐに、キヨ様の希望を叶えられるように、ね」
その言葉に、
後ろで控えていたシュリの頬が、わずかに赤く染まった。
寝台の横を通り抜け、さらに奥の扉を開けると、
そこがメアリーの私室だった。
ユウの部屋よりも、ずっと狭い。
だが、防音はなく、
代わりに、明るい光がそのまま差し込んでいる。
メアリーは自ら茶を淹れ、ユウの前に置いた。
ユウが腰を下ろし、シュリはその後ろに控える。
「ユウ様、こちらを」
メアリーは、そっと一通の手紙を差し出した。
封筒を見た瞬間、ユウの指が、わずかに止まる。
「・・・リオウからです」
その名に、ユウは顔を上げた。
手紙には、リオウらしい言葉が連ねてあった。
『もし戦から戻れなかったとしても、
それでもあなたを想ったことに、悔いはありません』
メアリーは、ユウの手を包むように握る。
「リオウは本気よ」
静かに、しかし確信をもって言う。
「あなたと結婚したいの。あなたを迎えるために、戦で手柄を立てるつもり」
ユウは何も言わず、封筒を見つめ続けた。
――つい昨日。
キヨから、妾にならないかと、あからさまに求められた。
その事実は、口にできない。
メアリー自身も、あの男の妾なのだから。
黙り込むユウに、メアリーは重ねる。
「リオウは、本当にあなたを大切にしているわ」
――分かっている。
出会ったときから、リオウは一度も、隠そうとしなかった。
けれど――。
ユウは、無意識のうちに、
部屋の奥で控えているシュリへと視線を向けた。
その瞬間――
部屋の扉が、ドンドンと強く叩かれた。
「少し、お待ちください」
そう言い残して、メアリーは寝台のある部屋へと消える。
残されたのは、ユウとシュリだけだった。
ユウは何も言わず、テーブルの上に置かれたリオウの手紙を見つめる。
――リオウは、あまりにも良い人すぎる。
それが、かえって胸を締めつけた。
もっとも。
あの男の妾になるくらいなら、リオウのほうが、遥かにましだ。
だが――姫である以上、選択肢など最初からない。
どれほどメアリーが奔走しようと、
その現実を、彼女自身が知らぬはずもなかった。
ユウは、ふっと小さく息を吐いた。
そのとき。
扉の向こうから、聞き慣れた甲高い声が響く。
「良いではないか!」
「キヨ様・・・今は、まだ日も高うございますし・・・」
メアリーの声は、はっきりと困惑を帯びていた。
「わしは、明日出陣じゃ!」
「存じております。けれど・・・今は・・・」
言葉が途切れ、
「あっ・・・」
小さな声が、こぼれ落ちる。
次いで、寝台へ倒れ込む音が、壁越しに伝わってきた。
ユウとシュリは、思わず視線を交わす。
「キヨ様・・・少し、お待ちを・・・!」
焦りを含んだメアリーの声。
「・・・どうしましょう」
シュリが、声を潜めて言った。
衣擦れの音が、否応なく耳に届く。
「・・・終わるまで、待ちますか」
そう提案したシュリだが、彼の耳は赤い。
ーー壁越しとはいえ。こういう場面に立ち会うのは初めてだ。
ユウは、静かに椅子を押した。
――聞かなかったふりをする、という選択肢を、
ユウは一度も学ばずに育ってきた。
それは、母の生き方でもあった。
布擦れの音すら、やけに大きく響いた。
ユウは、静かに立ち上がった。
迷うことなく、寝室の扉を開けた。
そこには――
もつれ合うように寝台に倒れ込んだ、メアリーとキヨの姿があった。
メアリーの胸元は大きく乱れ、
キヨの上半身には、何も身につけるものがなかった。
ユウの視界が、一瞬、白くなる。
――これが、現実。
言葉にできない嫌悪と、
どうしようもない冷静さが、同時に胸に満ちていった。
「ヒィッ――!」
甲高い悲鳴が、部屋に響いた。
次の瞬間、寝台の上で、キヨが情けなく身をすくめていた。
その声に、廊下にいたイーライが反射的に駆け込んでくる。
「どうされましたか――」
部屋に足を踏み入れた瞬間、イーライはすべてを悟った。
乱れた寝台。
慌ててシーツを掴み、胸元を隠すメアリー。
上半身を晒したまま、間の抜けた姿で立ち尽くすキヨ。
――そして。
氷のような眼差しで、嫌悪を隠しもせず立っているユウ。
その背後で、状況を飲み込めずにいるシュリ。
イーライは、思わず額に手を当てた。
――とんでもない惨状だ。
「お楽しみのところ、失礼いたしました」
ユウの声には、謝罪の響きなど微塵もなかった。
「ユ・・・ユウ様。元気でおるか?」
キヨは、必死に朗らかな声を作ろうとする。
だが、それはあまりにも空虚だった。
「はい。お陰様で」
ユウは、まっすぐにキヨを見つめた。
その瞳に宿っていたのは、怒りではない。
軽蔑だった。
キヨは、その視線に射抜かれ、思わず身をすくめる。
そのとき、シュリが静かに一歩、前へ出た。
何も言わずに。
ただ――ユウの前に立つ。
守るように。
遮るように。
ユウは、ぎゅっと唇を噛みしめ、視線を逸らした。
この城で、
女の意思が尊ばれることなど、最初からなかったのだと――
改めて、突きつけられた瞬間だった。
「・・・わ、わしは・・・」
キヨの声は途中で途切れた。
何を言えばいいのか分からない。
巨大な地を収める領主としての言葉も、
男としての言葉も、
この視線の前では、すべて薄っぺらだった。
ユウは黙って扉を開く。
振り返って、キヨに告げた。
「ごゆっくり、どうぞ」
その声に、敬意は一欠片も残っていなかった。
次回ーー明日の20時20分
「・・・好きなの?」
ふいに零れた問いが、
二人の距離を、ほんの一歩だけ狂わせる。
だが、その背後には――
見てはいけない視線があった。




