表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
129/157

開かない扉の前で、彼は立ち止まった

その日の昼下がり、

リオウは回廊の柱にもたれ、じっと西棟の入口を見つめていた。


西棟の扉の前には、槍を持った兵が二人、無言で立っている。

小さな領地を与えられたとはいえ、許可なくこの棟に足を踏み入れることはできない。


――ここは、特別な場所だ。


ユウが暮らす棟。

そして、彼女だけではない。

この棟には、多くの妾たちが暮らしている。


その中に、姉のメアリーもいる。


けれど、メアリーは風邪を引き、面会も叶わないと聞いた。


――明日には、自分の領地へ戻る。


その前に。

ほんの一目でいい。


ユウ様が、回廊に姿を見せてくれたら。


それが叶うとは、思っていない。

それでも、期待せずにいられなかった。


当てのない願いを抱えたまま、リオウは小さく息を吐いた。


その時だった。


ぎ、と重い音を立てて、西棟の扉が開いた。


反射的に、背筋が伸びる。


――来たか。


心臓が、わずかに跳ねた。


だが、現れたのはユウではなかった。


ウイと、乳母のモナカ。


二人の姿を認めた瞬間、胸の奥で何かが静かに沈む。


それでも。


ウイはリオウの姿を見つけると、ぱっと表情を明るくした。


「リオウ様・・・」


その声に呼ばれ、リオウは慌てて頭を下げる。


同時に、記憶を探った。


――ユウ様の妹。


顔は知っている。

しかし、名前がどうしても出てこない。


年若く、まだあどけなさの残る少女。

けれど、その笑顔には、不思議と人を和ませる力があった。


「・・・ご無沙汰しております」


そう答えながら、

リオウの視線は、無意識のうちにウイの背後――西棟の奥へと向かっていた。


そこに、彼女の姿を探している自分に、リオウ自身が気づいてしまう。


――来ない。


その事実を、改めて胸に落とし込む。


ウイは、リオウの視線が自分の背後――

西棟の奥に向いていることを、はっきりと感じ取っていた。


それでも、気づかぬふりをする。


「ウイです」

名乗りながら、ほんの少しだけ声を柔らかくする。


「・・・姉上は、部屋におります」


そう答えた瞬間、

リオウの空気が、わずかに沈むのが分かった。


顔を見なくても、分かる。


――落胆。


それに触れないよう、ウイは急いで話題を変えた。


「いつ頃、領地に戻られるのですか?」


「・・・明日です」


短い返事。


黒い瞳には、隠しきれない切なさが滲んでいた。


――知っている。


この人が想っているのは、姉上だ。


最初から、ずっと。


分かっているのに、

その瞳を見ると、胸がきゅっと締めつけられる。


そして同時に――

その願いを、叶えてほしくないという思いが、心の奥で静かに芽を出す。


なぜなら。


――私は、この人を好いているから。


ほんの少しでいい。

今だけでいい。


姉ではなく、自分と話してほしかった。


その時だった。


回廊の奥から、黒い服の男が現れた。


イーライだ。


ウイに気づくと、静かに一礼する。


言葉はない。


そのまま西棟の入口へ向かい、白い手袋を、ゆっくりとはめた。


兵が、無言で重い扉を開く。


イーライは何事もないように中へ入り、扉はすぐに閉じられた。


残された空気が、ひどく重い。


「・・・イーライ、なぜ西棟に・・・」

ぽつりと、リオウが呟いた。


「手袋をしていましたから」

ウイは、静かに答える。


「姉のところへ、お茶を淹れに行くのだと思います」


「・・・あいつは、ユウ様のもとへ?」


声が、わずかに強張る。


「・・・はい」


答えた瞬間、沈黙が落ちた。


「イーライは、出陣もせず、城にいたのに・・・」

リオウは、苦々しげに続ける。


「それでも、重臣になった」


――言ってはいけない言葉だ。


そう分かっている。


武を誇る者として、

こんなことを口にするのは、みっともない。


それでも。


重臣となり、なおかつ、毎日ユウのもとへ行ける立場。


何も言わず、何も誇らず、

ただ当然のように西棟へ入っていくイーライ。


その背中が――どうしようもなく、妬ましかった。


「・・・そのようですね」

ウイは、少し言いにくそうに頷いた。


家臣の出世など、本来なら興味のないことだ。


それでも――

イーライが重臣になったという話は、否応なく耳に入ってきていた。


けれど、なぜ彼がそこまで引き上げられたのか。


その理由までは、知らなかった。


――知ろうとしなかった、という方が正しいのかもしれない。


「私たちは・・・」

リオウが、低い声で言葉を継ぐ。


「船酔いに耐えながら、二ヶ月近く海を渡り、泥に塗れて戦っていた」


唇を噛み、続ける。


「それなのに、あいつは・・・城で、ユウ様にお茶を淹れながら、出世した」


声には、抑えきれない苛立ちが滲んでいた。


ウイは、わずかに戸惑う。


リオウは、その視線に気づいていながらも、止まれなかった。


「重臣、だ」



「ワスト領の要地を与えられ、城まで建てていると・・・聞いた」


拳を強く握りしめる。


「・・・そうなのですか」

ウイは、思わず目を見開いた。


重臣とはいえ、城まで与えられるとは――

それほどの領地を、キヨから授かったということだ。


揺れる群青色の瞳を見て、リオウは、はっと我に返った。


息を整え、視線を落とす。


「・・・失礼しました」


声が、少し落ち着く。


「イーライの出世は・・・納得できない」


その言葉に、ウイの群青色の瞳が揺れた。


「・・・つい、口を滑らせました」


リオウは目を伏せた。


胸の奥に後悔が広がる。


――みっともない。


イーライに嫉妬しているなど。


しかも、それをこの娘の前で漏らすなど。


「いえ」

ウイは、柔らかく首を振った。


そして、にこりと微笑む。


「いいのです」


「誰にも言えないことを・・・私に話してくださったのは、嬉しいです」


その言葉に、リオウは思わず目を見開いた。


責めるでもなく、慰めるでもなく。

ただ、受け止めるような声音だった。


暖かな初夏の昼下がり。

優しい風が、二人の間を静かに通り過ぎていった。


その風が、誰の想いを運び、

誰の想いを取り残したのか――まだ、誰も知らなかった。


次回ーー本日の20時20分

重臣になってから、

イーライは多くの視線を受けるようになった。


妬み、疑念、陰口――

それでも彼は、否定も弁解もしない。


それが、自分の役目だと知っているから。


けれど。

ユウの前に立つと、その仮面は簡単に揺らぐ。


その微笑み一つで、

理性より先に、心が反応してしまうことを――

イーライは、もう否定できなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ