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譲れないことは、声にしない

◇ サカイ城 ユウの部屋


カチッ――

扉の小窓が開き、イーライが銀のワゴンを脇に置いて頭を下げた。


「遅くなりました」


少し急いで来たのだろう、息がわずかに上がっている。

ユウの部屋に入ると、イーライは一度、静かに呼吸を整えた。


それから、いつも通りの手順で、茶の支度を始める。


今日は気温が高い。

その日の温度と湿度を確かめ、湯の温度をほんの少し下げる。


カップが差し出される。


ユウが一口含み、


「・・・美味しい」


と、ほっとしたように表情を緩めた。


その顔を見て、イーライの口元も、ほんの一瞬だけ緩む。


「ありがとうございます」


すぐに、感情を消すように、淡々と頭を下げた。


――一瞬の、温かな時間。


けれど。


これから、ユウを妾に迎えるための手筈を整えるのは、自分だ。


胸の奥に、ひやりとしたものが流れる。

それを表に出すことは、許されない。


「イーライ、シュリもこちらへ」


ユウが、ソファを示した。


「イーライ、出世おめでとう」


微笑みながら、そう言う。


「重臣になるなんて、すごいじゃない」


「ありがとうございます」

イーライは、深く頭を下げた。


「あなたは、出世すると思っていたわ」

ユウは目を細めて、イーライを見た。


「私のように・・・武力を持たない人間が、重臣になるとは」

イーライは、静かに視線を伏せる。


「・・・もったいない立場でございます」


その言葉には、自嘲と戸惑いが混じっていた。


シュリは黙ったまま、イーライを見つめている。


確かに、イーライは剣豪ではない。

戦で名を上げた武将でもない。

剣の腕も、決して上位とは言えなかった。


――王道の、武勇による出世の道ではない。


この国で頭脳派の重臣と呼ばれる者は、

多くが高齢で、すでに戦場に立てなくなった人間だった。


サムが、その典型だ。


経験と知略を積み重ね、

剣を置いたあとに、政を支える立場へと移る。


それが、常だった。


そんな中で――

年若く、武力を持たないイーライが重臣となる。


それは、

異例という言葉では足りないほどの、異例だった。


そして、その“異例”は、必ずどこかで軋みを生む。



「・・・あの男は、国王を狙っているわ」

ユウの声は、わずかに冷えていた。


キヨのことを口にするとき、

ユウの声の温度は、いつも数度下がる。


それは、嫌悪を隠さないというより、

最初から情を持たない、という言い方の方が近い。


それほどまでに――

ユウは、キヨを嫌っていた。



「あの男は――戦の“後”を見ているのよ」

ユウは、苦々しさを隠そうともせずに吐き出した。


その言葉に、イーライが顔を上げる。


「イーライ、あなたは兵糧も、金銭も、物資も扱える。

文書も、交渉も上手。――そして、不正をしない」

静かに話す。


シュリは黙って頷いた。


ーーそばで見てきた限り、イーライの働きぶりは疑いようがない。


「だからこそよ」

ユウは、視線を逸らさずに続ける。


「あの男にとって、

戦が終わった“あと”に国を回すために――あなたは、不可欠な人材なの」


キヨ自身、武力で名を上げた男ではなかった。


交渉と根回しで道を切り開いてきた人間だ。


その事実を、ユウは誰よりも冷静に見ている。


「それは・・・」

シュリが、慎重に口を開いた。


「キヨ様が、武力至上主義ではないからですか」


その問いに、イーライが答える。


「キヨ様は、生まれで人を評価なさいません」


静かに、しかし迷いなく。


「それは、素晴らしい領主――いえ、国王になられる方だと、私は思います」


そう言って、深く頭を下げた。


ユウは、小さく息を吐いた。


嫌い抜いている男だというのに――

その政治の手腕が、新しい道を切り開いていることは、否定できなかった。


認めたくはない。


それでも、認めざるを得ない。


「イーライ、無理をしなくてもいいのよ」

ユウは、ソファに腰掛けたイーライを見つめて言った。


「どういうことでしょうか」

イーライは、手にしていたカップを静かにテーブルへ戻す。


「あなたは・・・もう、家臣ではないわ」

ユウは言葉を選びながら、続けた。


「あなたの淹れるお茶は、とても美味しい。

けれど――もう、無理をする立場じゃないの」


重臣の仕事は、多忙を極める。


その中に、“姫に茶を淹れる”などという役目は、存在しない。


「いえ」

イーライは、即座に否定した。


「ユウ様のお茶は、私が行います」


声は静かだった。

だが、黒い瞳の奥に、確かな熱が宿る。


彼の仕事の一つに、

ユウを妾に迎えるための道筋を整えることが含まれている。


けれど――


それとは別に。


ユウにお茶を淹れる、この時間を、

イーライは心の底から待ち望んでいた。


彼女の顔を見るたびに。


そして、自分が淹れたお茶を「美味しい」と褒めてくれるたびに。


イーライの心の底に言えない『好き』が積もってくる。


重臣の立場になれば、ユウを妃に迎えることも夢物語ではなくなる。


けれどーーそれは絶対に叶わないことだった。


彼女は主の想われ人なのだから。


心の底の願いは叶わなくても。

どれほど忙しくなろうとも。

どれほど立場が変わろうとも。


――これだけは、譲れなかった。


ユウは、それ以上何も言えなかった。


イーライの眼差しが、あまりにも真っ直ぐだったからだ。


次回ーー明日の20時20分

夜明け前の馬場で、

三姉妹はそれぞれ違う視線を向けていた。


同じ場所に立ちながら、

見られる者、選ばれる者、見過ごされる者。


朝霧が晴れても、

身分と想いの境界線だけは、はっきりと残る。


――その線を越えるのは、誰なのか。

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