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その春、すべては定められた

◇ サカイ城 ユウの部屋 


午後の光が、カップの縁にやわらかく反射していた。


ユウは、いつもより少し丁寧にミルクを注ぐ。


ウイは食卓に並んだクッキーを一口かじり、

思わず頬を緩める。


「おいしい」


レイは何も言わず、その様子を静かに眺めていた。


イーライは銀のポットを片手に、

誰のカップが先に空くかを見計らっている。


シュリは、少し離れた場所から、そのすべてを黙って見届けていた。


穏やかな時間だった。


言葉を交わさなくても、壊れないと信じられるひととき。


――だからこそ。


お茶の時間が終わりかけた頃、イーライが静かに口を開いた。


「キヨ様が、南西領に勝利なさいました」


誰も、すぐには反応しなかった。


イーライは一拍置き、淡々と続ける。


「・・・まもなく、この城へ戻られます」


その言葉が、部屋に落ちる。


ユウの手が、カップの縁で止まった。


ほんの一瞬だったが、

その表情から、光がすっと引いた。


誰も、何も言わない。


午後の光は変わらず差し込み、

カップの縁も、クッキーも、先ほどと同じようにそこにある。


それでも。


その瞬間、

この穏やかな時間が、もう続かないことだけは、

はっきりと分かってしまった。


数日後、キヨは意気揚々とサカイ城へ戻ってきた。


帰還と勝利に沸く城内で、

ユウは人知れず、小さく息を吐いた。


――あの男が、戻ってきた。


「ずっと、出陣していればいいのに」


冷えた声が、静かな部屋に落ちた。



◇ サカイ城 大広間


夜の陣に、笑い声が満ちていた。


立ちこめるワインの匂い。

焼いた肉の脂。

女たちの甲高い笑い声。


太鼓と笛の音が、雑に絡まり合う。


「はははは! 見たか、あの降り方!」


キヨは杯を高く掲げ、腹の底から笑った。


「南西領よ、南西領。

あれほど騒がしかった地が、今は静かなものじゃ!」


家臣たちが声を合わせて笑う。

この場にいる者は、皆が勝者だった。


キヨはワインを一息にあおり、杯を乱暴に卓へ置く。


「戦はな、速さよ。迷えば負ける。叩けば、折れる!」


その声音には、微塵の疑いもなかった。


自分は正しい。

自分は勝つ。

それが当然だと信じ切った顔だった。


酔いが回るにつれ、言葉は軽くなり、

身振りは次第に大きくなる。


「次はどこじゃ?南領か? それとも――」


言葉を切り、キヨは立ち上がった。


「いや、全部じゃ。この国は、もう逃げ場がない!」


その宣言に、家臣たちはどっと沸く。


拍手。

歓声。


誰も、止めなかった。


キヨは満足そうに頷き、もう一杯、ワインを求める。


その様子を横目に、エルは淡々と杯を口に運んでいた。


「兄者、随分と嬉しそうだな」


隣では、イーライが黙って座している。


出陣した兵の一人が、気さくに声をかけた。


「イーライ、一緒に飲まぬか?戦の話をするぞ!」


「結構です」


イーライは、感情を乗せずに断った。


エルは、その様子を見て、わずかに苦笑する。


――恐ろしいほど頭は切れるが、

人の輪に溶け込むのは、得意ではない。


この男が、

感情を乱すことなど、あるのだろうか。


エルは、杯の底を見つめながら、そんなことを考えていた。



祝宴はなおも続き、夜の闇が濃くなっても終わる気配はなかった。


やがて、キヨがゆっくりと立ち上がる。


「わしは疲れた。お前らは、朝まで楽しめ」


そう言い残し、部屋を出ようとする。


扉をくぐる直前、キヨは振り返った。


「エル、イーライ。執務室に来い」


イーライは深々と頭を下げ、エルは無言で頷いた。



◇ サカイ城 執務室


キヨはゆっくりと椅子に腰を下ろした。


先ほどまでの喧騒が嘘のように、部屋は静まり返っている。


控えの者はいない。

扉は閉ざされていた。


イーライは背筋を伸ばし、

エルはその少し後ろに立ち、腕を組む。


キヨは、しばらく何も言わなかった。


やがて、低く言葉を落とす。


「わしは、ユウ様を想い人に迎える」


声は低い。


だが、迷いは一切なかった。


想い人とは、妾を意味する。


イーライの視線が、わずかに上がる。


エルは、何も言わない。


「もう、十分待った。

イーライ、ユウ様は何歳になる」


「16でございます」


即答だった。


だが、イーライは拳を、わずかに握る。


「衣を整え、良い環境を用意した。もう二年だ」


キヨは貧弱な顎をさすりながら話した。


「――十分だ」


それは、ユウのためではない。

自分自身に下した、裁定だった。


「しかし、兄者。

ユウ様を妾にするには、ミミ様の許可が必要です」


エルが静かに告げる。


「ああ・・・それは、何とかする」


断言だった。


この男は、何度も不可能を力で形にしてきた。


キヨは、イーライを見る。


「整えよ。噂も、立場も、動線も――すべてだ」


イーライは一礼する。


「承知しました」


「これは“迎える”のではなく、定めという形ですか」

エルが質問をする。


「そうじゃ」

キヨは、扇を片手に開く。


「曖昧にせぬ。わしの名で、責を負う」


その言葉に、イーライが静かに唇を噛み締める。


エルが一歩、息を整える。


「兄者。

ユウ様を迎える前に、まず南領を治めましょう」


「そうだな」

キヨは、わずかに笑った。


「ユウ様を迎えるには、国が整っておらねばならん」


その笑顔を、イーライは直視できなかった。


――それが、何を意味するかを、理解してしまったからだ。


次回ーー明日の20時20分


重臣となったイーライは、

なおも変わらず、ユウに茶を淹れる。


それが“許されない役目”になりつつあると知りながら。


立場が変わっても、想いは変えられない。

変えてはいけないものほど、強く残る。


その静かな確執が、

やがて誰かの選択を、決定的に狂わせていく。

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