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あの方の望みを、すべて叶えたいと思ってしまった

ユウは知らなかった。

この城で一番自由なのは、あの男がいない時間だということを。


「あの男がいない城は、良いものね」


ユウは、遠慮もためらいもなくそう言った。


イーライは、その言葉に特別な反応を示さない。

ただ、淡々と湯を注ぎ、茶葉の香りが立つのを待つ。


「どうぞ」


差し出されたカップを、ユウは受け取る。


「イーライ、シュリも。こちらへ」


ソファへと視線で促し、ユウは腰を下ろした。


「出陣したというのに、イーライは相変わらず忙しそうね」


湯気の向こうから、穏やかな声が飛ぶ。


「はい。出陣は一区切りですが、それで終わりではありません」

イーライは迷いなく答えた。


「現在は、追加の食料と武器の輸送手配を進めております」


「そう・・・食料の後は?」


ユウの問いは、次の一手を自然に追っている。


「船を使い、怪我人をこちらへ搬送します。

サカイ城で治療を受けられるように。戦地では、どうしても医療が不足しますから」


その言葉は、淡々としていたが、

そこに至るまでの準備と判断の積み重ねを、ユウは見逃さなかった。


――この若さで、ここまで考え、動いている。


「見事ね、イーライ」

ユウは、はっきりとそう言って頷いた。


イーライは一瞬だけ視線を下げる。


「南西領との争いは、短期で終わると見ています。

キヨ様の本命は、南領です」


その言葉に、ユウの動きが止まった。


「南領?」


「はい。そのため、新たな大型船を建造しております」


「船を造っているの?」


青い瞳が、ぱっと光を帯びた。


好奇心が、はっきりと目に浮かぶ。


――ああ、これは。


隣で控えていたシュリは、内心で小さく息を吐いた。


ーー止まらない。


「見てみたいわ」

ユウの声が、静かな部屋に熱を含んで広がる。


「あんな大きな塊が、水に浮かぶのよ」


胸の奥から湧き上がる興奮を、隠そうともしない。


「どこで造っているの?」


「港の端です」


「・・・行きたいわ」


その一言とともに、ユウの視線がまっすぐイーライを射抜いた。


――そんな目で見られると。


イーライは、無意識に指先に力が入るのを感じた。


普段は抑え込んでいる胸の奥の火が、かすかに揺らぐ。


彼女に触れたら終わる。

それを、イーライはもう理解していた。


「しかし、ユウ様。そのお姿では・・・危険です」

先に口を開いたのは、シュリだった。


「この格好が?」

ユウは自分のドレスを見下ろす。


明るいグリーンの布地。


城の中では控えめだが、城下では確かに目を引く。


「庶民の装いでなければ、目立ちます」

イーライも頷く。


「それなら、ヨシノに服を借りるわ」


裾を軽くつまみ、あっさりと言う。


「イーライ、ミミ様の許可をお願い。城下町を、視察したいの」


“お願い”という言葉。


それだけで、イーライは観念した。


この青年は、

わがままなキヨの願いを、常に叶える段取りをしてきた。


そして今――


同じように、

ユウの願いを叶えるための手配を、すでに頭の中で組み立て始めていた。



◇サカイ城 ユウの部屋


「・・・え?」


ヨシノは、ユウの言葉を聞いた瞬間、手にしていた布を落としかけた。


「わ、私の服を・・・ですか?」


「ええ。城下町へ行くのだもの。目立たない装いが必要でしょう?」


あまりにもあっさりと言われて、ヨシノは一瞬、言葉を失った。


「で、ですが・・・ユウ様・・・その・・・」


視線が、無意識のうちにユウの全身をなぞる。


ヨシノは背が低い。


それに比べ、ユウは三姉妹の中でも一番背が高い。


恐る恐る差し出したワンピースを、ユウが試しに身につけると——


「・・・」


部屋の空気が、ぴたりと止まった。


丈が、明らかに足りない。


本来なら足首の下まで隠れるはずの裾が、ユウの背丈では膝下だった。


「・・・こ、これは・・・」

ヨシノの声が震える。


「そのような装いで・・・城下へ出られるなど・・・」


「そんなに変かしら?」

ユウは首を傾げ、自分の足元を見る。


その時だった。


「――失礼します」


控えめな声とともに、扉が静かに開く。


シュリが部屋に足を踏み入れた、その瞬間。


目に飛び込んできたユウの姿に、思わず息を呑んだ。


一瞬、時間が止まったように感じる。


淡い色の衣。


本来は隠れるはずの脚が、はっきりと露わになっている。


それは決して、意図した装いではない。


けれど――

剣を握る手に、わずかな力が入った。


「・・・」

シュリは、すぐに視線を逸らした。


見てはいけないものを見てしまったような、

けれど、目を離せないような。


胸の奥が、きしりと鳴る。


「シュリ?」

ユウが振り返り、声をかける。


「・・・ご準備中でしたか」

ようやく、シュリは、それだけを口にする。


声は平静を装っていたが、内側では、確かに何かが揺れていた。


「この服で、城下町へ行こうと思うの」

ユウは、すらりとそう告げた。


「・・・城下町?」

シュリの眉が、わずかに動く。


「ええ」

ユウは淡々と頷いた。


「ダメです! そんな服装では!!」


思わず声が出ていた。


白く伸びた脚が、思いのほか露わになっている。


――そんな姿を、人前で見せたくない。


喉まで出かかった言葉を、シュリは必死に飲み込む。


「・・・足が・・・」


視線の先を察して、ヨシノが勇気を振り絞るように口を開いた。


「足が出るのは・・・はしたのうございます」


その言葉に、ユウは一瞬だけ黙った。


けれどすぐ、小さく息を吐く。


「城の中では、そうでしょうね」


――いや。違う。


城の外でもだ。


シュリがそう思った、その時。


「・・・姉上?」


扉の向こうから、声がした。


顔を覗かせたのは、ウイだった。


その後ろから、レイも続く。


二人はユウの姿を目にした瞬間、言葉を失った。


「・・・え?」


「姉上・・・その服は・・・」


信じられない、という表情がはっきりと浮かぶ。


「変かしら?」

ユウは平然と問い返す。


「船を見に行くの。視察よ」


ウイは目を丸くした。


「そ、そんな格好で・・・?」


どうしても、視線が脚へと落ちてしまう。


「・・・姉上、それ、短すぎない?」

レイが、率直に言った。


「・・・そう?」


「そう、です」

二人は、ほとんど同時に頷いた。


ヨシノは慌てて布を手に取る。


「ユウ様、せめて仕立て直してからにしましょう」


「いいえ」

ユウは、静かに首を振った。


「これでいいわ」


その声には、揺るぎのない決意があった。


――この表情の時の姉上は、誰の言葉も聞かない。


妹たちは顔を見合わせる。


不安と戸惑いが、ありありと浮かんでいた。


やがて、救いを求めるように、二人の視線がシュリへと向く。


「・・・」


シュリは一瞬だけ口を開きかけ、そして静かに首を振った。


――私にも、止められません。


その沈黙が、何より雄弁だった。


「ユウ様、こちらはいかがでしょうか」


ヨシノが、控えめに黒い服を差し出した。


草臥れた質感の、質素なドレス。

華やかさはなく、飾り気もない。

だが、手に取った瞬間に分かる――動きやすさを第一に考えられた服だった。


別室で着替えを終え、ユウが姿を現した瞬間。


レイを除く一同が、思わず息を呑んだ。


「・・・母上」

ウイが、かすれた声で呟く。


質素な黒のドレスに身を包んだユウは、

若かりし頃の母・シリに、驚くほどよく似ていた。


「この服・・・」

ユウは、そっとドレスの裾を摘まむ。


「はい」

ヨシノが、懐かしむように微笑んだ。


「レーク城にいらした頃、シリ様がよくお召しになっていたものです」


それを聞き、ウイとレイの乳母も、静かに頷く。


「・・・確かに」


ウイが、遠い記憶を辿るように言った。


「母上、こういう服を着ていたわ」


ドレスというより、作業着と呼ぶ方がふさわしい。


動きやすく、汚れを厭わない――そんな服だった。


「母上は・・・どうして、こういう服を・・・」


ウイは、懐かしそうに布地へ指を伸ばす。



ーー幼かった頃、母の装いに疑問を感じなかった。


成長した今、わかる。


これは妃が着るドレスではないのだ。


レイは黙ったまま、ユウの姿を見つめていた。


彼女には、この服を着た母の姿は、記憶にない。


それでも――不思議と、胸の奥がざわついた。


「シリ様は、戦費を稼ぐために薬草を摘み、軟膏を作っておられました」

ヨシノが静かに続ける。


「ですから、いつも動きやすい服装をなさっていたのです」


そこへ、乳母のモナカが、柔らかく言葉を添えた。


「どんな服を着ておられても・・・グユウ様は、眩しそうにシリ様を見つめておられましたよ」


その言葉に、部屋の空気が、ほんの少しだけ温かくなる。


「こうして・・・このお姿を、また見ることができる日が来るなんて」

レイの乳母サキが、感慨深げに呟いた。


その賛美と懐旧の声の中で――ユウは、ふと視線を巡らせる。


そして、シュリを見つめた。


その青い瞳は、言葉を使わずに問いかけている。


――似合う?


シュリは、一瞬だけ呼吸を忘れた。


熱を帯びた瞳でユウを見つめ、静かに、しかし確かに頷く。


――グユウ様のお気持ち、よく分かります。


胸の奥で、そう呟きながら。


それでも手を伸ばさずにいられるのは、

彼女が、永遠に自分のものではないから。


伸ばせない手を、剣より重いと思ったのは初めてだった。


今回出てきた黒いドレス、

母シリが若い頃に着ていたものです。


処女作・第87話

「静寂の毒 迷いの夜に娘たちの名を呼ぶ」で、

若きキヨと対面したときの服です。


ちなみにキヨ、

この頃からシリに睨まれるたびに内心喜んでいます(笑)


・・・彼は、昔から変わっていないのかもしれませんね。

https://ncode.syosetu.com/n2799jo/ (87話)


次回ーー明日の20時20分

城の外で、ユウは初めて「自由」を味わった。

潮の匂い、雑踏、甘い菓子――そして、人の視線。


守るはずの距離が崩れた一瞬、

抑えてきた想いが、確かに触れてしまう。



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