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奪わせぬ――姫と乳母子の誓い

「さて・・・乳母子の行末を、ここで決めねばなるまいのう」


静まり返った謁見の間で、キヨはふと目を細めた。


ユウのすぐそばには、影のように控える青年。


ただの従者にしては立ち位置が近すぎる。


その眼差しは、彼女の一挙手一投足を逃すまいとするほど真剣だった。


――こやつが、噂に聞いた乳母子か。


事前にイーライから耳にした言葉が脳裏に蘇る。


『ユウ様のそばに、男の乳母子がいる』と。


「・・・妙なものだな」

キヨの声が、ざらつくように謁見の間を渡った。


「姫の傍らに、男の乳母子を置くなど聞いたことがない」


その一言に、空気がきしむ。


隣で座るミミは、怪訝な色を瞳に浮かべ、夫を見やった。


キヨの目は、ただならぬ鋭さでユウとシュリの間を往復する。


――これはただの疑念ではない。


二人の間に流れる“何か”を嗅ぎ取ろうとする、支配者の猜疑心だった。


「お前・・・何者だ?」

名指しされたシュリは、一歩進み出て深々と頭を下げた。


「ユウ様の乳母子、シュリ・メドウにございます」

声はかすかに震えている。


「姫に・・・男の乳母子、だと?」

キヨの目が細まり、獲物を値踏みするように顔をじっと舐めた。


緊張を切るように、ミミが口を添える。


「・・・グユウ様が、そう命じられたと伺っております」


「ふん」

キヨは大きなため息をつき、薄く笑った。


ユウの周辺が侍女や乳母、女性に囲まれていたら、

ユウを手籠にすることは簡単だ。


けれど、男ーーそれも、体格が良い者が控えていると思うと、すぐには行動に移せない。


そのとき、不意にレイと視線が交わった。


幼い末姫の黒い瞳は、あの男――グユウを思わせる静かな凪を宿している。


ーー碌な武功も残せなかった領主が・・・こういう手だけは周到か。


「・・・なるほどな」

低く呟き、キヨは再びシュリへと目を戻した。


「だが、グユウ殿はどういうつもりで“男”を乳母子にしたのか。もう、乳母子と遊ぶ年齢ではあるまい」


吐き捨てるように言い、射抜くような視線をシュリに送る。


一見、領主のような言動。


だが――心の奥底では、嫉妬の炎が静かに燻っていた。


シュリの端正な顔、少年期を脱したばかりの若々しい身体つき。


姫の隣に並べば、あまりに釣り合ってしまう。


自分の老いを突きつけられるようで、胸がざらついた。


キヨは俯くシュリに命じた。


「お前は乳母子はやめろ。次の士官先を決めておく」

声は冷たく、領主の権威に満ちていた。


キヨが話した瞬間、空気が凍った。


ユウの胸に、怒りと恐怖が同時に走る。


シュリの肩がかすかに震えたのを、ヨシノだけが見逃さなかった。


「・・・嫌です」

ユウの低い声が、謁見の間に重く響いた。


ウイとレイが慌てて顔を上げる。


そこにいた姉の横顔は、蒼白で震えながらも、確かな怒りに燃えていた。


ユウの青い瞳が、まっすぐにキヨを射抜く。


――シュリを奪われる。


そう思った瞬間、心が大きく揺れ、怒りと悲しみが渦巻く。


「・・・あなたは私から全てを奪った。父も、兄も、祖父母も・・・母までも!

その上、乳母子まで奪おうとするのですか!」


声が震え、しかし確かに広間を満たす。


一歩、また一歩。


ユウは裾を揺らし、玉座に近づいていった。


その姿に、ミミは息を呑む。


――ゼンシ様!!


かつて夫を叱りつけたあの恐ろしい眼差し。


ユウの顔には、あの男と同じ烈しさが宿っていた。


キヨの視線は、まるで糸に引かれるようにユウへと吸い寄せられていた。


その横顔を見つめながら、ミミは胸の奥で深いため息をつく。


――また若い娘に目を奪われて。


声には出さぬものの、その眼差しには呆れと苦笑が入り混じっていた。


長年連れ添った妻だからこそ分かる。


夫の内に燃え上がるのは野心と欲、そのどちらも隠しきれぬ色だ。


だが、ミミは口を出さない。


女好きも、権力欲も――結局はキヨという男を形づくる一部にすぎない。


止めても変わらないことを、誰より知っていた。


ーーこの人は、どこまで行っても変わらない。


けれど、目の前にいるユウの顔を見て、ミミの胸の奥に冷たいものが走った。


あの姫は危険だ。


ただ若く、美しいだけではない。


まるで人を呑み込むような眼差し。


触れれば必ず身を焦がす、烈しい火の気配。


――あの子に夫が惹きつけられたら、もう止められぬ。


そう・・・シリ様はそれを感じ取っていたのではないか。


だからこそ、私に手紙を送り託したのだ。


ユウ様のそばにシュリを置け、と。


ミミはそっと唇を開いた。


「・・・キヨ。ユウ様のお気持ちを、どうか考えてあげてください」


その場にいた誰もが、ミミの柔らかな表情に目がいく。


「ユウ様は今、誰も頼るものがいないのです。お母上も・・・亡くなられたのですよ」

ミミは優しく、諭すように言葉を落とした。


「その代わり、わしがいる」

キヨの声は熱を帯び、視線は吸い寄せられるようにユウへ向かう。


「あなたでは、何の慰めにもなりません」

静かな一言に、ミミの声色が鋭さを増す。


キヨは決まり悪そうに、妻へと顔を向けた。


「・・・苦楽を共にした乳母子を残すくらい、良いではありませんか」

声はなお柔らかい。


けれどその瞳には、冷ややかな厳しさが宿っていた。


「いや、けれど・・・」

キヨの言葉は濁る。


ミミはふっと微笑んだ。


「そんなに心配されるとは・・・ひょっとして、もうユウ様の嫁ぎ先を決めておられるのですか?」


――言えぬ。

十四の娘を自分の妾にしようとしているなど、妻に口が裂けても言えない。


沈黙する夫を見て、ミミはさらに笑みを深めた。


「・・・それに、亡きシリ様もお言葉を残されていました。

姫様方の縁談を頼むと・・・母としての願いでございましょう」


キヨはギクっとした表情でミミの顔を見つめた。


「シリ様が・・・ミミに手紙を?」


「ええ。・・・どの領主に嫁がせるおつもりですか」


「・・・そういうわけでは・・・」


「では、そこまでして、あの少年を追い出すのは・・・何なのです?」


笑顔のままの圧。


沈黙とともに、キヨの肩から力が抜けていく。


妻の圧を前に、思わず苦笑いがこぼれる。


けれど胸の奥では、ユウに触れたい衝動がなお燻っていた。


その火を、ミミだけは敏感に嗅ぎ取っていた。


「誠に・・・ミミには敵わぬ」

観念したように、子供のような声で呟いた。


その発言に、周囲の空気が少しだけ穏やかになった。


ミミは気づいていた。


姫と乳母子の視線が交わった一瞬、そこに“ただならぬ影”が差したことを。


ーーもしそれが真実なら、この城をも揺るがす火種になる。

次回ーー明日の20時20分


「もう、ユウ様のお部屋で待っています」

――あの男が、自室に。

凍りついた空気の中、姫の唇が震えた。

運命を決める夜が、静かに扉の向こうで息を潜めて



お読み頂きありがとうございました。


このシリーズの前の話です。

ユウとシュリはシリーズ1から登場しています。


▼シリーズ1

**『秘密を抱えた政略結婚 〜兄に逆らえず嫁いだ私と、無愛想な夫の城で始まる物語〜』**

https://ncode.syosetu.com/n2799jo/

<完結>


**『秘密を抱えた政略結婚2 〜娘を守るために、仕方なく妾持ちの領主に嫁ぎました〜』**

https://ncode.syosetu.com/n0514kj/

<完結>


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