誰かが見ている場所で
◇ サカイ城 妾・メアリーの部屋
「ユウ様を妃として迎えたいのなら――武功を立てなければ、話にならないわ」
メアリーはそう言って、紅茶に口をつけた。
向かいに座るのは、整った顔立ちの弟、リオウだった。
その背筋は伸びているが、声は低く沈んでいる。
「・・・はい」
重く、覚悟を含んだ返事だった。
「今回の争いで結果を出し・・・出世しなさい」
「・・・必ず、結果を出します」
即答だった。
その声音に迷いはなく、ひどく真摯だった。
だがメアリーは、すぐに首を横に振る。
「・・・たとえ出世しても、ユウ様を妃に迎えるのは容易ではないわ」
そう言って、カップに砂糖を落とし、静かにスプーンを回す。
混ざり合う音が、妙に大きく響いた。
弟の視線を正面から受け止めながら、メアリーは続ける。
「ユウ様は、キヨ様のお気に入りよ。
あの方の部屋は、私の数倍の広さがあるわ」
「・・・そうなのですか」
「ええ。何度か訪れたことがあるもの」
スプーンを止め、遠い目をする。
「キヨ様は、あの子を贅沢で絡め取ろうとしている。
散々、手を尽くしてね」
リオウは一瞬、言葉を失った。
「・・・それなら、キヨ様が無理やり部屋に侵入して、ユウ様を――」
そこから先は、言葉にならなかった。
想像することすら、耐えられなかったのだ。
メアリーは静かに首を振る。
「キヨ様は、無理強いで女を手に入れる人ではないわ。
あの手、この手と――巧みに誘導するの」
カップを持ち上げながら、淡々と語る。
「それに・・・あの部屋には、男の乳母子がいるでしょう?」
「・・・シュリか」
掠れた声で、リオウが名を呼ぶ。
「そうよ。
キヨ様としては、追い払いたいでしょうけれど・・・そうすれば、ユウ様が怒るわ」
メアリーは紅茶を一口含み、続けた。
「最低限の賃金しか払われていない。それでも、あの子は逃げない」
「・・・シュリが、ユウ様の部屋に・・・」
リオウの胸の奥に、言い表せない感情が渦を巻いた。
ユウをキヨに奪われるのは耐え難い。
だが、シュリが片時も離れず傍にいるのも、面白くはなかった。
「乳母子なら、姫の部屋にいてもおかしくはないわ。・・・もっとも、男だけれど」
そう言って、メアリーは小さく首を傾げる。
――そもそも、姫の乳母子が男という時点で、異例だ。
その疑問を脇に寄せ、メアリーはさらに言葉を重ねた。
「そして、もう一人。本当に問題なのは――イーライよ」
「イーライが?」
リオウの目が大きく見開かれる。
「ええ。毎日、いそいそとユウ様の部屋にお茶を淹れに行っているわ」
メアリーは言い切った。
「あの人は聡い。あの乳母子より・・・ずっと危険よ」
「なぜ、イーライが、姫の私室に?」
若い男が出入りするなど、あり得ない。
ましてや自分には、近づくことすら許されていないのに。
「命令よ。キヨ様からの」
メアリーは冷静だった。
「ユウ様を見張れ、と。そして、様子を逐一、キヨ様へ報告しているはず」
「・・・っ」
リオウは唇を噛みしめた。
「そういう状況なの。だから、リオウ・・・諦めなさい」
一拍置いて、続ける。
「セン家の娘なら、他にも二人いるでしょう?」
「・・・私は、ユウ様以外を妃にするつもりはありません」
苦しげに、しかしはっきりとした声だった。
メアリーは何か言いかけ、弟の真剣な眼差しを見て言葉を失う。
ただ伏し目がちに、空になったカップを見つめた。
◇ サカイ城 回廊 昼前
昼前の光が、城の回廊に斜めに差し込んでいた。
石造りの床はまだ冷たく、歩くたびに靴音が小さく響く。
三姉妹は並んで歩いていたが、ふとレイが足を止めた。
「・・・あ」
その声につられて、ユウとウイも立ち止まる。
回廊の柱の根元。
石壁と土のわずかな隙間に、白い花がうつむくように咲いていた。
「スノードロップね」
ユウがそう言って、腰を落とす。
白い花弁は小さく、風に揺れることもなく、静かにそこにあった。
「こんなところに・・・」
ウイは目を丸くする。
「誰も気づかない場所じゃない」
「だから咲けたのよ」
ユウは穏やかに言った。
「踏まれない場所を選ぶ花だから」
レイは黙ったまま、白い花を見つめていた。
昼前の光を受けて、花の縁がわずかに透けている。
「春、なのね」
ウイがぽつりと呟く。
「春は、いつも静かに始まるものよ」
ユウの声は低く、回廊に溶けていく。
見守るシュリは、その様子をじっと見つめた。
こうして、三人で春を迎える。
それは、ユウが望んだ幸せの形だった。
そのとき、回廊の向こうから足音が近づいてきた。
「あ・・・」
最初に気づいたのは、ウイだった。
思わず息を呑む。
少し思い詰めたような黒い瞳。
すらりとした体躯。
父の面影を色濃く残す、従兄弟の青年――リオウ。
ーー相変わらず・・・素敵。
同じ城に身を置いていても、顔を合わせることは滅多にない。
それだけに、突然の再会に胸がざわつく。
そんなウイの様子を、レイは静かに横目で見ていた。
何も言わず、ただ、その変化を見逃さない。
一方、ユウはまだ気づいていない。
回廊の柱の根元に咲くスノードロップを、じっと見つめている。
「リ・・・」
ウイが名を呼ぼうとした、その前に。
リオウの視線は、まっすぐユウへと注がれていた。
次の瞬間、
その顔に浮かんだのは――切なさと、抑えきれない愛しさが混ざり合った表情。
考えるよりも先に、身体が動いていた。
「ユウ様・・・!」
思わず駆け寄る足音に、ユウが顔を上げる。
そして、ふっと柔らかく微笑んだ。
「リオウ。久しぶりね」
その声に、リオウの胸が大きく鳴る。
ユウがゆっくりと立ち上がった、その瞬間。
衝動が理性を追い越した。
リオウは一歩踏み出し、思わずその身体を引き寄せていた。
一瞬のことだった。
回廊の空気が、ぴたりと止まる。
ウイは目を見開き、
レイは何も言わず、その光景を見つめている。
ユウは驚いたように瞬きをしたまま、立ちすくんだ。
シュリは胸の奥に走った痛みを、呼吸ひとつで押し込めた。
回廊の石壁のそばで、
スノードロップは変わらず、静かに咲いていた。
次回ーー明日の20時20分
衝動の抱擁が残したのは、
動揺と、気づいてはいけない確信。
守るために伸ばした手と、
触れられて初めて分かった心の居場所。
踏み込めば壊れ、
引けば戻れない――
二人は、もう同じ場所には立てなかった。




