誰にも言えない恋を口にした夜
自室に戻ったユウは、乗馬服のまま、テラスの前に置かれた籐の椅子に身を預けた。
普段なら部屋の中央にある大きなソファに腰を下ろす。
だが、この椅子に座るのは――“公”ではなく、“ユウ”自身に戻りたいときだった。
藤の背にもたれ、目を閉じていると、背後からそっと声がかかる。
「お疲れになったでしょう」
シュリだった。
ユウは薄く目を開け、かすかに吐息を漏らす。
「疲れたというより・・・情報が多すぎて、頭が追いつかないの」
「無理もありません。あんなに大きな船は・・・私も驚きました」
シュリが静かに頷くと、ユウは言葉を返さず、隣の籐の椅子を指先で軽く叩いた。
――座りなさい。
その仕草を読み取り、シュリは控えめに腰をおろす。
ユウは膝を抱えるようにして椅子に背を丸めた。
ぽつり、ぽつりと、胸の奥がこぼれ始める。
「ああいう船を見るとね、血が騒ぐの。
あの船に乗って戦地に向かいたい。
・・・何度も言うけれど、男に生まれたら、どんなに素敵だったでしょうね」
悔しさを含んだ横顔を、シュリは静かに見つめた。
「ユウ様が男にお生まれになっていたなら、きっと立派な領主になっていました」
シュリは苦笑しながら言う。
しかし、ユウは顔を伏せ、唇を噛んだ。
「私のこれからの務めは、どこの誰かも知らない領主と結婚して、男の子を産むこと」
そして言葉の端を強く切り捨てた。
「――それでも、あの男の妾になるよりはマシだけど」
その言葉に、シュリは返す言葉を失った。
沈黙が落ちた後、シュリがゆっくりと息を吸って口を開く。
「――私も、何度も思ったことがあります。
なぜ男に生まれたのだろう、と。
もし女性に生まれていたのなら・・・もっとユウ様に寄り添えたのに」
姫の乳母子であり、男であるというだけで、どれほど奇異の目を向けられてきたか。
そのすべてを、彼はただ静かに受け止めてきた。
シュリが言い終える前に、ユウは弾かれたように顔を上げた。
「ダメよ!」
鋭い声が部屋に響き、同じ部屋で銀のスプーンを磨いていたヨシノが思わず振り向いた。
ユウ自身も、口から飛び出した声の大きさに驚く。
胸の底に沈めていた感情が、一瞬で表へ噴き上がってしまったのだ。
ヨシノの視線に気づき、ユウは「大丈夫」と示すように軽く手を上げる。
だが、その指先はわずかに震えていた。
再びシュリへ向き直る。
「シュリが女だなんて・・・ダメよ。絶対に」
抑え込んでいた熱が、言葉になって零れ落ちる。
「そ、そうですか・・・?」
ユウのあまりにも真剣な表情に、シュリは戸惑いながら答える。
ユウは彼をじっと見つめた。
その目は――理性では止められないほど切実で、どうしようもなく優しい熱を帯びている。
ーーそんなふうに見つめられたら・・・逆らえるわけがない。
シュリは心の底でそう思った。
「シュリは、シュリのままがいいの」
ユウの声は低く、かすかに震えていた。
「他の誰かになんて・・・変わってほしくない。考えたくもないわ」
自分でも“言ってはいけない”とわかっているからこそ、
その言葉は痛いほど真っ直ぐだった。
「あ・・・」
シュリは、自分の頬に熱がのぼっていくのを感じた。
その瞬間、ユウは衝動のままに手を伸ばし、
シュリの手をぎゅっと握った。
触れた手の温もりに、ユウは息を飲む。
ーーいけない。
心のどこかでそう思うのに、手は離れない。
「私はね・・・十二人の女の子より、シュリ一人のほうがいいの」
ユウは搾り出すように続けた。
「何度だって言うわ。十二人よりも・・・
私をずっと守ってくれて、そばにいてくれた男の子。
あなたが・・・いちばんいいの」
その声に宿る熱量は、もう“姫の情”でも“主従の情”でもなかった。
それが“恋”だと、ユウ自身はとうに知っていた。
けれど――言葉にしたのは、これが初めてだった。
シュリもまた、ユウの青い瞳から目を離すことなどできなかった。
「私も・・・」
思わず、握られた手を強く握り返してしまう。
「私も十二人の騎士より、ユウ様の方が良いです」
その震える声に、ユウは『本当に?』と問いかけるように顔を上げた。
「そんなユウ様が・・・誰よりも・・・私は、ユウ様が良い」
「・・・」
息の仕方さえ忘れるほどの、静かな瞬間だった。
二人の間に、長く張りつめていた“沈黙”が、ふっと音を立ててほどけた。
口づけよりも深く、
触れ合うよりも決定的な、“想いが重なった瞬間” が訪れたのだ。
ユウの頬にじわりと熱が差し、シュリの胸は高鳴りで震えた。
二人は同時に気づいてしまった。
――この気持ちは、もう隠せない。
それが、この日初めて互いに“明確に”知った真実だった。
二人に背を向けながら銀のスプーンを磨いていたヨシノの胸中は、荒れる海のようだった。
――二人の想いは知っている。
娘のように育てたユウ。
そして息子であるシュリ。
その立場では、想い合うことなど許されない。
けれど成長とともに、この二人が着実に互いを想っていることを、ヨシノはずっと感じていた。
――どうしたら良いのだろう。
泣き出しそうな気持ちを押し隠したとき、カチ、と小さな音が扉から響いた。
誰かが部屋に来たのだ。
ヨシノが少しだけ扉を開くと、黒い瞳のレイが立っていた。
「・・・姉上は」
小さな声で言う。
「おりますが・・・」
ヨシノは控えめにドアを開けた。
レイがそっと部屋を覗くと、籐の椅子に座ったユウが、嬉しそうに笑っていた。
その横顔だけで、彼女の隣に誰がいるのか、レイにはすぐに分かった。
レイは扉を少し閉め、「後でまた伺うわ」と呟き、静かにドアを閉めた。
廊下を歩きながらレイは思う。
――姉上のあの表情。
いつも私たちの前では見せない、素の顔だった。
あの人が“自分”に戻れる時間を過ごせるのなら・・・邪魔をしたくない。
それが、レイの本音だった。
レイが静かに去っていくと、部屋にはふたたび、ゆるやかな沈黙が落ちた。
ユウとシュリの指先は、まだ触れたままだった。
手を離せば、何かがほどけてしまう気がして、どちらも動けない。
ヨシノは銀のスプーンを磨く手をそっと休め、背を向けたまま目を閉じる。
――この子たちを、どう守ればいいのだろう。
叶わぬ想いだと分かっている。
立場が違いすぎる。
いずれ訪れる現実も、痛いほど知っている。
それでも。
――せめて今だけは。
ユウが“姫”ではなく、ただの娘として笑える時間を。
シュリが“乳母子”ではなく、ただの青年として隣に座れる時間を。
このひとときだけは、誰にも壊してほしくなかった。
ヨシノは目を開き、静かにスプーンを磨きはじめた。
二人の笑い声が、小さく、かすかに揺れた。
その音が、この部屋にあるどんな光よりも、いちばん眩しく思えた。
本日、エッセイを一本更新しました。
非テンプレ・長文の処女作を完結させ、
連載中44,000PVだった作品が、完結後8ヶ月で17万PVに辿り着いた話を書いています。
処女作は、ユウの母・シリの物語です。
もちろん、ユウの誕生も描いていますし、シュリも登場しています。
今連載しているこの物語は、その延長線上にあります。
数字に悩みながら書いている方の、何かの参考になれば幸いです。
https://ncode.syosetu.com/N2523KL/(雨日のエッセイ)
次回ーー明日の9時20分
軍を動かし、戦を支える“影”でありながら、
イーライはただ一人の姫の言葉に心を揺らしていた。
一方、欲と野心を隠さぬキヨの前に立ちはだかるのは、
鋭く静かな妃・ミミ。
欲しいものは、力か、女か――
そして“姫の心”は、誰の手に渡るのか。




