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未来を選べないまま、大人になっていく

◇ サカイ城 ユウの部屋


「噂には聞いていたけれど・・・本当に広いのね」


部屋へ入った瞬間、メアリーはあたりをゆっくり見渡し、目を丸くした。


「・・・はい」


ユウは困ったように微笑むだけだった。


ーーこの部屋も、待遇も、あの男が勝手に用意したもの。


「ユウ様」

メアリーは声を潜め、そっと数通の手紙を差し出した。


近くに控えていたヨシノとシュリは、気づかぬふりをして気配を引く。


差し出された封筒には、見覚えのある筆跡が並んでいた。


メアリーの弟――リオウからだった。


メアリーは、ヨシノが入れた茶を一口ふくむと、静かに置いた。


そして、遠慮のないまっすぐな視線で切り込んだ。


「ユウ様。あなたは、リオウのことをどう思っているの?」


「ど、どう・・・とは?」

ユウは思わず問い返した。


質問の鋭さに、胸が強く跳ねる。


メアリーは逃げ道を与えない。


「夫として、どうお考えなの?」


「夫として・・・?」


声が大きくなり、ユウ自身が驚いた。


その音に反応するように、シュリがちらりとユウを見てしまう。


ユウは慌てて視線を逸らした。


メアリーはユウの手をそっと握り、言葉を選ぶように口を開いた。


「私はね――あなたの“血”が欲しいのよ。コク家に」


ユウの手を握るメアリーの指先は、意外なほど温かかった。


「・・・血?」


思わず繰り返すと、メアリーは軽くうなずいた。


「ええ。あなたは美しくて、聡明だわ。

ゼンシ様、そしてシリ様の血が流れている娘でしょう?」


言い切ったあとで、メアリーはハッとしたように言葉を足した。


「もちろん・・・私の叔父上、グユウ様の血も、ね」


その声音には、どこか取り繕うような気配が混じっていた。


ユウは、ほんのかすかに微笑んだ。


父の血など、この身には一滴もない。


けれど――皆はこう思っているはずだ。


『ゼンシ様とシリ様の血を継いだ娘が、欲しい』


カリスマ性と美しさの血を持つーーそれがユウだった。


メアリーは続けた。


「その血を引き継いだ子が跡取りになれば・・・コク家は揺るがないわ」


自信に満ちた声音。


ユウの胸に、静かな空洞が広がった。


ーー皆、そういう理由で私を“妃”に望むのね。


ユウを求める領主は跡をたたなかった。


まるで砂糖を求める蟻のように。


そこに、ユウという“ひとりの人間”は存在していない。


ユウは小さく息を吐いた。


その吐息は、誰にも聞こえないほど微かで――

けれど確かに、胸の奥で何かが一つ、きしむ音がした。


ユウの背後――

控えていたシュリのまなざしが、かすかに揺れた。


声も漏らさない。表情も動かさない。


ユウが他家のための“器”として扱われる現実。


それが、胸を刺す。


ーー私は、ありのままのユウ様を好いているのに。


シュリは視線を落とし、手元で拳を握りしめた。

わずかに布の皺が強張る。


一歩踏み出したい気持ちが喉元までこみ上げる。


ただ――


ユウがメアリーの言葉に微笑んだ、その横顔を見た瞬間。


心の奥が、ひどく痛んだ。


その微笑みが、

笑っているのではなく、“諦めている”笑みだと分かってしまったからだ。


「それで。リオウのことはどう思っている?」

メアリーは、まっすぐ切り込んできた。


ユウは答えを探すように視線を彷徨わせた。


ふと、隣のシュリの気配が強く意識に上る。


「嫌いではない?」

問い直すように、メアリーが穏やかに言う。


「もちろんです」


ーーリオウは良い人だ。嫌いではない。


「それなら、結婚するのに相応しいわ」

メアリーはきっぱりと断言した。


「いえ、それは・・・」


ーーどうして、そんな展開に。


メアリーはそっと目を伏せ、ぽつりと漏らした。


「・・・リオウには、もう時間がないのよ」


ユウは小さく瞬きをする。


「時間?」


メアリーは苦い笑みを浮かべた。


「家を再興できなければ、弟は一生“誰かの影”で終わってしまうわ。

だからこそ・・・あなたの血が必要なの」


そう言ったあと、ふたたび表情を整え


「あら、嫌いじゃない相手なら、結婚すればうまくいくはずよ」

メアリーは微笑んで言う。


ユウは「あ・・・まぁ・・・」と言葉を濁すしかなかった。


「問題はリオウの“格”だわ。ユウ様に相応しい身分ではないの」

メアリーの声は淡々としているが、焦りが滲んでいた。


「私の婚姻は、ミミ様にお任せしております」

ユウは背筋を伸ばし、きっぱりと言った。


「ミミ様に?」

メアリーは目を大きく見開いた。


次の瞬間、立ち上がる。


「それなら、ミミ様に相談をしなくてはーー」


慌ただしい足音を残し、部屋を出て行った。


扉が閉まると、張りつめた空気がふっと揺らぐ。


「随分と・・・強引でしたね」

ヨシノが苦笑するように囁いた。


「メアリー様は焦っているのよ。リオウに家を立て直させることに」


「メアリー様は、そのために妾になったのだから」


ユウは目を伏せ、差し出されていたリオウの手紙を手に取った。


封を切ると、

どの手紙にも一貫して、真っ直ぐすぎるほどの求愛が綴られている。


読んでいるうちに、ユウはかすかに頬を赤らめた。


それを、シュリは一点の曇りもない静かな目で見つめていた。


だが、息の仕方が一瞬だけ変わった。


ユウが婚姻すべきなのは、遠い、知らぬ領主のもとへ。


ーーそうあってほしいと、ずっと思っていた。


だがリオウは身近すぎる。


ノルド城の頃から、彼はユウを想っていた。


身近な男にユウを奪われるほど、悔しいものはない。


それでも。


ーーキヨの妾にされるよりは、きっと幸せになれる。


胸が痛んだ。


その痛みを抱えたまま、シュリはそっと息をついた。


ユウの横顔を静かに、見つめ続けていた。


胸の奥で、どうしようもなく揺れる感情を、必死に押し殺すしかなかった。



その時、カチッ、と扉の小窓がわずかに開いた。


「失礼いたします」


イーライがお茶のワゴンを押して現れた。

丁寧に頭を下げると、テーブルの上に置かれた飲み終えたティーカップに気づく。


「来客でしたか?」


その声音には、いつもの落ち着きがある。


だがユウは、手元のリオウの手紙をとっさに重ねて隠すように押さえた。


「メアリー様よ」

なるべく自然に答える。


だが、その仕草とわずかな頬の赤みは、イーライほどの男には隠しきれなかった。


イーライの視線が、一瞬だけユウの指先に落ちる。


ーーその手紙は、またあの“弟”だな。


静かな心の底で、ほんの小さな波が揺らめく。


堂々とユウに手紙を送り、求愛を告げられる立場。

それが、胸の奥にわずかな苦さを残した。


「その手紙の内容は・・・」

問いかける声は、あくまで柔らかい。


ユウは慌てて視線をそらし、


「・・・挨拶文です」

と答えた。


その言葉は不自然ではなかったが、顔に浮かんだ赤みは隠せなかった。


イーライは一拍置き、静かに頷く。


「左様でございますか」


それだけだった。


だがユウの頬の紅潮も、

自分の胸に生まれた小さなざらつきも、どちらにも触れようとはしなかった。


ワゴンの金具がかすかに鳴り、

温かい茶の香りが部屋に静かに満ちていく。


イーライは、ただいつも通りにカップを整えながら、

ユウの横顔を盗み見ないように、意識して視線を落とした。


あの方を想う心が、もう後戻りできないほど深まっていることを――彼は知っていた。


次回ーー明日の9時20分


甘い菓子の席で、

ただ一人、レイだけが気づいていた。


姉をめぐる想いが、

すでに三つ、絡み合い始めていることを。


そしてユウは――

戦と国の行方を、自分の目で確かめようと動き出す。

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