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綺麗で、残酷で、触れられない人

例の本は木箱に戻され、棚に仕舞われた。


ユウは落ち着かない様子で、木箱がある棚を見つめていた。


シュリは、いつものように部屋の隅に控えている。


カチッ。


扉の小窓が開き、ヨシノが応じると、慌てた声がした。


お茶の支度を担う女中の声だった。


「ヨシノ、明日の準備で・・・至急、ご指示をお願いします!」


ーーキヨとのお茶会のことだとヨシノは察した。


使用する器や菓子のことで事前に打ち合わせをしたいらしい。


ヨシノは一瞬だけユウの顔を見つめ、それから深く頭を下げた。


「・・・ユウ様、申し訳ございません。すぐ戻ります」


閉じられた扉の音が、妙に大きく静かな部屋に響いた。


ぽつん、と部屋に二人だけが残される。


ユウは勢いよく立ち上がった。


そして――気づけば、シュリの腕を掴んでいた。


「・・・シュリ。ひとつだけ、聞かせて」

いつもより少し高い声。


しかしその瞳は、驚くほど真剣だった。


シュリの肩が、びくりと揺れる。


「男の人って・・・本当に、ああなるの?」


その問いに、シュリの心臓が、破裂しそうなほど大きく跳ねた。


「・・・っ・・・」


何か言おうとした唇が、震えて閉じる。


見てはいけないものを見たと悟り、触れてはいけない話題に触れられた。


しかし――逃げることなど、できない。


「あ・・・ああなるとは・・・」

シュリは息を整えながら、慎重に言葉を探した。


自分の思っている“ああなる”と、ユウの言っている“ああなる”が違っていたら――取り返しがつかない。


だから、確認しなければならなかった。


「ユウ様。・・・“ああなる”とは、その・・・具体的には・・・?」


「っ・・・!」

ユウは途端に顔全体を真っ赤に染めた。


けれど、疑問を抱えたまま平然と振る舞えるほど器用ではない。


勇気を振り絞って、絞り出すように言った。


「その・・・男の人の、股間よ。あ、あんな風に・・・禍々しく、変貌するの?」


その瞬間だった。


ユウの視線が――ほんの一拍だけ、シュリの股間に吸い寄せられた。


「っ・・・!」


咄嗟に、シュリは手でその部分を庇うようにして身を引いた。


ーーそ、そんな風に・・・見ないでほしい・・・!


胸の奥が、ぎゅっと縮む。


なぜ、オレに聞く。


本来なら――姫のこうした相談に乗るのは、同性の乳母子の役目だ。


だがユウには、同性の乳母子はいない。


そして異性の乳母子など、自分以外に前例も存在しない。


ーーオレが・・・答えるしか、ないのか・・・?


逃げることもできない。


しかし、こんな話題を自分だけが受け止めるのも苦しい。


では、他の誰に?


ユウが、こんな質問を“誰かほかの男”に投げかけるとしたら――。


真っ先に思い浮かんだのは、イーライだった。


冷静で、忠実で、嘘がなく、

たぶん淡々と、必要なことだけ答えるだろう。


だが。


ーー嫌だ。違う。


胸の奥に、理由の分からない熱が走る。


そんな感情を押し殺しながら、

シュリは喉の奥がひりつくほど堅く言葉を飲み込み、


震える声で答えようとした。


「・・・そう、なると・・・思います」


シュリは耳まで真っ赤にしながら、やっとの思いで答えた。


その瞬間、ユウの顔色が――

“完全に打ちのめされた少女”そのものになった。


「そ、そんな・・・!いつも、そうなるの?」


ーー勘弁してくれ!


シュリは心の中で悲鳴を上げた。


しかし逃げ場はなく、声も震える。


「・・・いつも、ではありません。

ただ、その・・・“そういう場面”になれば・・・変わります」


ユウは黙ったまま動かず――再び、まっすぐにシュリの股間を見つめた。


「っ・・・!」


反射的に隠したくなる。


羞恥と混乱で胸が爆発しそうだった。


そのとき。


ユウが、そっと顔を近づけてきた。


至近距離。


吐息がかかるほど近く。


そして、真顔で――


まるで“生きるために絶対に知りたいこと”を質問する子どものように、

ゆっくりと、確かめるように言った。


「・・・シュリも、なの?」


その瞬間。


シュリの心臓は破裂したかと思った。


ユウの声は震えていた。


怖さと、確かめたい気持ちの両方で。


シュリは息を呑んだ。


言ってしまえば、欲望を認めることになる。


でも嘘をつけば、ユウを裏切る。


どちらも地獄だった。


ーーどう答えれば。


言葉が出ないまま、数拍の沈黙。


その沈黙が、“肯定”として部屋に響いてしまった。


ユウの瞳が大きく揺れる。


頬が一瞬で赤く染まり、視線が逃げ、唇がかすかに震えた。


ユウは一歩、後ずさる。


けれど目は逸らせない。


「・・・ほんとうに・・・?」


震える声。

信じたくなくて、でも信じてしまっている声。


シュリの胸が痛んだ。


ーーユウ様に、こんな顔、させたくないのに。


噛みしめた唇から、ようやく声が漏れた。


「・・・はい」


言ってしまった。


もう取り消せない。


ユウの瞳が揺れた。


それは恐れと羞恥と――説明できない何かが入り混じった色。


ゆっくりと、胸に手を当て、


「・・・そ、そう・・・なのね・・・」


ただそれだけ呟くと、

ユウは顔を真っ赤にしたまま俯いた。


しばらく、沈黙をした後、ユウは震える声で言った。


「じゃあ・・・シュリは私の前でも・・・ああなるの?」


シュリは息を呑み、顔を真っ赤にした。


「な・・・なりません!!」


「えっ・・・ならないの?」


「い、いえ! 違っ・・・その・・・

ユウ様の前では、絶対に! そういう・・・ことには!」


自分でも何を言っているのかわからない。


ユウはぽつりと言う。


「・・・どうしてそんなに必死なの?」


その問いに、シュリは返答できなかった。


胸の奥で、正体不明の痛みだけが跳ねた。



「子を作ることを理解していたつもりだったけど・・・全然理解していなかったの。

裸で抱き合うことも知っていたわ。けれど――あんなものを入れるなんて、聞いてない」


ユウの声は震え、言葉の最後はかすれていた。


シュリは息を詰め、ゆっくりと答える。


「・・・はい」


「無理よ。入らないわ。絶対に」


涙を堪えるように、ユウは首をふる。


シュリは、喉が乾くほど緊張しながらも、必死に答えた。


「・・・入ります。

多くの人たちが・・・そうして・・・子を作っております。できるのです」


言いながら、シュリの顔は耳まで真っ赤に染まり、

手の甲まで熱がのぼるほどだった。


「女性は快楽を得られると、男の子が授かりやすいって・・・ヨシノから聞いたわ」


ユウは唇を噛みしめたまま言った。


「え・・・? そう、なのですか?」


シュリは本気で驚いたように目を丸くする。


「無理よ!」

ユウは声を震わせず、逆に強い調子で言った。


「だって――あんなふうになって、快楽なんて・・・絶対に無理」


それは、叫びにも似ていた。


シュリは口を開きかけ、しかし何も言えずに閉じる。


ーーそんな・・・オレだって・・・分からないことばかりだ。


“そのうち気持ちよくなるかもしれません”

などという軽々しい慰めは言えない。


戻れない境界を越えてしまいそうで。


沈黙が落ちた。


ユウは視線を床に落とし、悔しさに震える声でつぶやいた。


「・・・私は・・・男の子を産めないわ」


それは、妃としての“務め”を果たせないかもしれないという――

ユウにとっては耐えがたい、痛いほどの自己否定だった。


ーーユウ様が誰かの妻になって、誰かの子を産む未来。


そんなもの、考えたくもなかった。


だが、そんなことを言える立場ではない。


乳母子のオレに、ユウ様の未来を止める権利なんてない。


シュリは、何も言えなかった。


こんな相談、答えたくなんてなかった。


言葉を向ければ、彼女をもっと追い込んでしまう気がして。


ただ、そっと俯いた。


ーー大人になりたくない。


そう思っても、身体の成長は止まらない。


こうしている間にも、

自分もユウ様も、刻一刻と“大人”に近づいてしまう。


いずれユウ様は、領主と結婚し、他の男に抱かれる運命になる。


ーーその時・・・オレは、耐えられるのだろうか。


息の仕方が分からなくなる。


答えは分かっている。


けれど、認めたくなかった。


シュリは、自分の拳をそっと握りしめた。


ユウはふっと息を吐き、

夕暮れの色を映した横顔で、静かに言った。


「・・・もうすぐ十六の私がこれほど動揺しているのだから・・・

レイは、もっとびっくりしたでしょうね」


夕日の中の横顔は、

もう子どもではなくて、

でも大人と呼ぶには誰よりも儚くて。


ーーだからこそ、守りたかった。


どんな男にも触れさせたくなかった。


でも、自分が触れることさえ許されていない。


その事実だけが、胸をひどく締めつけた。


それでもユウ様は、大人になってしまう。


どう足掻いても。


夕日の中で揺れるユウの横顔は、

大人と子どもの境目に立つ、ひどく綺麗なひとだった。


ーーその人を誰かに渡す日が来るなんて。


考えただけで、息が苦しくなるほどだった。



次回ーー明日の20時20分

セージの無事を知り、安堵と同時に訪れる別れの痛み。

回廊で語られたメアリーの言葉が、レイの胸に静かに残る。


――悲しみは、いつか形を変える。

それでも今は、名を持たぬ想いが、ただ胸を締めつけていた。


夕闇の中、レイは初めて知る。

この痛みの名を――恋と呼ぶのだと。

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