その優しさは、私の理性を壊す
「・・・あなたが、進言したのね」
沈黙の中、レイの声だけが鋭く響いた。
レイの胸は焼けるように熱かった。
突然セージと引き離された衝撃。
姉のために駆けつけた自分が“嘘”に踊らされていた悔しさ。
怒りも、悲しみも、裏切られた思いも。
すべてが絡まり合い、黒い瞳に静かな怒りが宿る。
「私は・・・あなたに騙されたの!」
レイの声は泣き出しそうに震えていた。
イーライの胸がきゅっと縮んだ。
冷徹であり続けてきたはずの自分が、少女の言葉ひとつで痛む。
耳の奥が熱くなり、心臓がわずかに早鐘を打つ。
――正しいことをしたつもりだった。
けれど、目の前の少女をここまで傷つけたのなら・・・。
本当に、正しかったのだろうか。
イーライは黙って俯く。
「なぜ、そのような進言をしたの?」
ユウの問いは、責めでも怒りでもなく、ただ事実を求める声だった。
イーライは押し出すように答えた。
「姫様方三人の結びつきは強い・・・。
ユウ様が体調不良と書けば、レイ様は必ず駆けつける。そう判断したからでございます」
帳簿を前にしたときの冷静さとは違い、その声はどこか痛みに耐えているようだった。
「そうよ!」
レイが堪えきれず叫ぶ。
「私は・・・あなたに騙されたの!
あれが嘘だとわかっていたら、この城には戻らなかった!」
イーライは深く項垂れた。
ユウは静かに目を閉じ、短く、深い息を吐き――
「イーライ。私はあなたの進言と行動に感謝しているわ」
凍りついた空気に、思いがけない言葉が落とされた。
イーライの呼吸が乱れる。
胸の奥が熱くなり、顔を上げることができない。
罪を責められると思っていた。
罵倒される覚悟でここに来た。
なのに――どうして優しい言葉が向けられる?
イーライの喉がかすかに鳴った。
ウイとレイはユウの発言に反発した。
「姉上・・・どうして?」
ウイの声は震え、レイの指先は強く握られた。
シュリだけが、静かに見守っていた。
ユウは青い瞳でイーライをまっすぐ見据える。
「イーライ。あなたがしたことは許されるものではないわ」
イーライの肩がびくりと震えた。
「けれど――あなたの進言のおかげでレイは無事にここにいる。
それは、イーライ・・・あなたのお陰だわ」
落ち着いた声が、部屋に静かに広がった。
イーライは思わず顔を上げた。
信じられない表情が、その黒い瞳に浮かぶ。
「座って」
シュリが椅子を引き、イーライはぎこちなく腰を下ろす。
しかしウイとレイの冷たい視線は容赦なく、イーライは再び俯いた。
ユウは手紙を手に取り、淡々と続ける。
「あなたの書いた手紙を読んだわ。・・・見事だった。
もし私が高熱で倒れたなら、レイの名を呼んでいたでしょうね」
手紙にはこう書かれていた。
“ユウが高熱で寝込み、うわ言でレイを呼んでいる。
ウイもシュリも途方に暮れている。”
「あなたは聡い。姉妹の結びつきも、どうすればレイが城を出るかも理解していた。
だから、これを書いたのでしょう?」
「はい」
先ほどまでとは違い、イーライの声は弱かった。
だがウイは納得しない。
「姉上・・・それが、レイにどう関係するんですか?」
ユウはレイの黒い瞳を見つめて言った。
「もしイーライの手紙がなければ、レイはセーヴ城に残っていた。
レイは、自分だけ逃げるような子じゃないもの」
レイはぎゅっと唇を噛んだ。
「・・・もちろん、そうよ」
「私は城を出るけれど・・・」
ウイが小さく呟く。
ユウはかすかに微笑んだ。
「そうね。でも、私とレイは残る。
そして・・・その選択は、レイの死に繋がっていたかもしれない」
イーライは目を閉じた。
――気づいてくれた。
自分の意図に。
目を開き、尊敬と感謝を込めてユウを見つめる。
この方は、聡い。
姫ではなく、領主そのものだ――と。
ユウは続けた。
「この手紙があったから、レイは今ここにいる。
イーライの機転が、レイの命を救ったのよ」
その声には、恐怖と安堵が混ざっていた。
「イーライ・・・心から感謝しています」
その一言が落ちた瞬間、
長く封じ込めていた何かが、イーライの胸の奥で静かに軋んだ。
名を呼ばれただけなのに、背筋に熱が走る。
――どうして、こんなにも。
ユウの青い瞳は、責めも甘えもなく、
ただ“イーライという一人”をまっすぐに見ていた。
「あなたが・・・どうして、あんな進言をしたのか。私は知りたいの」
静かで、優しくて、核心を逸らさない声。
イーライは俯き、そっと拳を握りしめた。
ーーずっと、見ないふりをしてきた。
ユウの聡さも、強さも、優しさも。
そして、自分の胸に芽生えた“惹かれてはならない感情”も。
主の想われ人。
自分は、キヨとユウを繋ぐ存在。
そう言い聞かせ、理性で押し込めてきたはずだった。
けれど――
今、目の前で自分を信じようとする瞳を向けられたら。
どうして、諦められるだろう。
ユウが一歩、近づく。
その距離が縮まるたびに、
理性で積み上げた壁が、静かに音を立てて崩れていく。
「イーライ。あなたが話してくれるなら・・・私は受け止めるわ」
その優しさは、反則だった。
胸が焼けるほど熱い。
もう抗えない。
けれど、この想いを表に出すわけにはいかない。
イーライは深く息を吸い、静かに答えた。
「・・・ユウ様。あなたの望みであれば、何でも話します」
その声には、理性の奥に隠した恋情が、かすかに滲んでいた。
ユウは気づかない。
ウイも、レイも気づかない。
ただ一人、
シュリだけが、ほんのわずかに眉を動かし、イーライの横顔を見つめていた。
だがイーライは、その視線にすら気づかない。
ユウの言葉が胸に焼きつき、
封じてきた想いが、静かに――確かに形を持ちはじめていた。
――抗えない。
けれど、悟られてはならない。
そう胸の奥で呟きながら、イーライはそっと目を伏せた。
エピソード97の「口づけはしたのか?」
家族から思わぬツッコミを受けたため、その顛末をエッセイにしました。
タイトルは
「身内に小説を読まれるという地獄」です。
https://ncode.syosetu.com/N2523KL/
良かったらご覧ください。
次回ーー明日の9時20分
「あなたが淹れたお茶を飲みたいの」
その一言に、イーライの胸は大きく揺れた。
許された安堵と、決して悟られてはならない想い。
そして――
静かに寄り添うシュリだけが、その変化に気づいていた。
誰も知らぬまま、
三人の心は、少しずつ、確実に絡まり始めていく。




