血を求める男と、運命に震える姫
◇ キヨの軍
戦の煙がまだ山あいに漂い、焦げた草の匂いが鼻を刺す。
ところどころに黒ずんだ旗がはためき、戦の名残を告げていた。
ワスト領主キヨは、馬上に揺られながら呆けた顔をしていた。
「ユウ様・・・」
幾度も、その名を口の中で転がす。
気高く美しい姫。
亡きシリの面影を映した、その姿。
――どうしても、この胸から消せぬ。
重臣たちは戦後の処置を急き立てるが、耳に入らない。
ただ一刻も早く、あの姫をこの目に映したい。
勝ったのだ。
宿敵ゴロクを倒し、モザ家も風前の灯。
国王の座へと至る道を拓いたのは、自分だ。
ならば、落城の姫を庇護するのも――自分。
その権利は誰にも渡さぬ。
胸の鼓動がいや増し、馬の蹄音に重なって鳴り響く。
四十五を過ぎた男の内に、領主ではなく一人の男の欲が膨らんでいた。
「ユウ様・・・早う、そなたに会いたい」
低く洩れた声を、隣を駆ける弟エルが聞きとがめた。
「兄者。・・・浮かれるのはおやめなされ」
その声は冷ややかで、真っ直ぐに兄を射抜いた。
「ユウ様をはじめ三姉妹は、ゼンシ様の血を引くお方。
これからの国を収める王となるのであれば、何よりの戦略の駒となりましょう。
誰に嫁がせ、どの家と結ぶか・・・その一手で勢力図が変わります」
キヨは顔をゆがめ、黙して耳を傾けた。
だが心の奥では、冷徹な言葉が突き刺さっていた。
――駒、か。
ユウ様は、駒ではない。
あの瞳、あの面影・・・ただ、欲しい。
「・・・わかっておる、わかってはおるのだ」
吐き捨てるように言い、手綱をわずかに緩める。
「じゃが、わしは・・・どうしても、あの姫に会いたい」
エルの眉間に皺が深く刻まれる。
「エルよ・・・わしは、どうしてもユウ様が欲しい」
欲望を隠そうともせぬ兄の声に、エルは胸が冷たくなる。
「わしは・・・あの血が欲しいのじゃ。モザ家の血を」
兄は言葉を重ねる。
「血を・・・?」
「あぁ。わしらは領民の出。この身体に流れる血は庶民の血よ。
・・・だが、あのユウ様と子ができれば――その血は高貴なものとなる」
欲望に揺れる瞳に、エルは何も返せなかった。
ーー妾は山ほどいても、実子のない兄。
本当は子を作れぬ身体だと知っている。
だが必死に縋る横顔を見て、何も言えなかった。
――兄の欲は、やがてこの国すら呑み込むかもしれない。
◇ロク城 三姉妹の部屋
朝食を終えた頃、三姉妹の部屋にイーライが姿を現した。
「間もなく、キヨ様が到着されます」
低く告げられた声に、ページをめくっていたユウの手がぴたりと止まる。
ウイとレイも不安げに顔を見合わせ、姉の表情を探った。
「・・・わかりました」
ユウは静かに答える。
青い瞳に揺らぎは見せない。
けれど、その細い指先はかすかに震えていた。
「姫様方は・・・お出迎えはなさらず、この部屋で待機を」
イーライは言葉を選びながら続ける。
「おそらく午後にはお呼び出しがあるかと。その折に私がご案内いたします」
説明をしながら、イーライは正面のユウを見つめた。
見る間に頬の血の気が引き、蒼白さが増していく。
――両親を奪ったキヨ様に会えというのは、酷なことだ。
だが庇護を受ける以上、避けられぬ現実。
その報せを自分が告げねばならないとは・・・胸が締めつけられる。
震える肩に手を添えてやりたい。
そう思った瞬間、視線は自然と部屋の隅へと向いた。
そこにはシュリが立っていた。
無言のまま、ただユウを見守っている。
――そうだ。支えるのは、あの男の役目。
姫の部屋に「男の乳母子」がいるなど、本来あってはならぬこと。
だが、ユウ様のそばに必要なのは、きっと彼なのだ。
イーライは拳を握りしめ、胸に湧く感情を必死に押し隠した。
そして、能面のように表情を整えると、恭しく一礼して部屋を去った。
イーライが部屋を出た後、沈黙が落ちた。
「・・・姉上」
不安げな声でウイが口を開く。
ユウはゆっくりと呼吸を整え、妹たちを見渡した。
心細げに視線を揺らすウイ。
そして、じっと自分を見つめるレイ。
二人の眼差しを受けて、ユウは微笑んでみせた。
「・・・あの男に会って、挨拶をするだけ。怖いことなんて何もないわ」
「でも・・・」
レイの黒い瞳が揺れる。
「大丈夫よ」
そう告げる声は柔らかかった。
けれど微笑みはほんの一瞬で消え、唇がかすかに震えていた。
昼食が運ばれても、ユウはフォークをほとんど動かさなかった。
「・・・お腹が空いてないの」
静かに告げた言葉は、どこか遠く響いた。
黙って座るシュリは、じっとユウの顔を見ていた。
蒼ざめた頬、強がる瞳。
――無理をしている。
誰よりも近くで、それがわかってしまう。
やがて時が訪れる。
再び扉が開き、イーライが姿を現した。
「・・・領主ご夫妻がお呼びです」
ユウは音もなく立ち上がり、背筋を正す。
妹たちを振り返り、かすかに微笑んだ。
「行きましょう」
その声は、湖の底に沈むように静かだった。
けれど――その静けさの底には、炎のような怒りが潜んでいた。
そして、姫と領主の対面は、もう目前に迫っていた。
次回ーー本日の20時20分
両親の仇――キヨとの謁見の時。
ユウは沈黙を貫き、青い瞳で男を射抜いた。
その瞬間、空気が凍りつく。
そして、矛先は“乳母子”シュリへと向けられる――。
◇ 登場人物
キヨ
ワスト領の領主。
セン家を滅ぼし、モザ家をも圧倒した野心家。
勝利の熱に酔い、シリの娘ユウに歪んだ執着を抱く。
領主としての理性と、一人の男としての欲望の狭間で狂い始めている。
エル
キヨの弟。冷静で聡明な重臣
兄の野望と破滅を最も近くで見つめ、恐れている。
ユウ
セン家の長女。十四歳。
母を奪った宿敵キヨのもとに“庇護”という名で囚われる。
沈黙の奥に、誇りと怒りを燃やす少女。
ウイ
次女。素直で優しいが、恐怖に敏感な少女。
姉に強く依存し、行動を共にする。
レイ
末妹。幼くも芯の強い少女。
その眼差しに、亡きグユウの面影を宿す。
シュリ
ユウに仕える乳母子の青年。
誰よりもユウの心を理解し、彼女の癇癪と孤独を受け止める存在。
だが、その想いは決して許されぬものだった。
ヨシノ
ユウの乳母であり、シュリの母。
息子と姫の禁断の絆を悟りつつ、見守ることしかできない。
イーライ
ロク城の家臣。三姉妹を案内し、ユウの強さと悲しみに胸を揺らす。