須木奈篇 病み男と鼻血女〜参〜
毎日21時更新します…
今日は早番。
ほっぺたでの朝八時からの業務メインは、入居者さんの体調・服薬の確認とデイケアへの送り出し。
今、ウチの入居者さんは全部で九名(ひとり入院中)
ほっぺたの一階にはロビーがあるから出発までの時間を過ごしてる人もいて。
その奥が私達職員が詰めてる激セマ事務所ね。
ドアのすぐ横には窓口が設置されてて、ここで皆さんの対応をやってるワケだけど。
「整形したいんです」
一発目キタ。
入居歴十年の古参、犬山さん三十三歳。
タヌキみたいな外見でほっぺたの愛されキャラ。
「どこを?」
「あの〜目です。皆が睨んでくるから」
「睨まれるんですか」
「いえ、違うけど」
「違う?」
「空気のサラリーマンがぁ」
「空気?」
「ホントは。もう聞いてるんでしょ」
「何を?」
「僕を追い出して下さい。空気のサラリーマンに悪口言っちゃったんで」
どうやら幻聴出てるみたい。
何のコトだかさっぱり分からん。
「犬山くんは生活保護を受けているね。整形手術は医療券が出ないから難しいと思う!」
セコンド鈴木の促しであっさり引っ込む犬山さん。
私、何も出来ず。
息継ぐ間もなく二発目、ノッポの伊集院さん六十歳。
こちらも入居歴十年の古参で野球のキャップに眼鏡がトレードマーク。
「……もう、お金ないねん」
「はい」
「昨日の夜から何も食べてへん。お腹と背中がくっつきそうやわ!」
ビターン。
号泣してブッ倒れる伊集院さん。
慌てて事務室出て抱き起こそうとする私。
右足がポロンて取れた。
「あッ、足ぎあぇやァアァ!」
「糖尿病で右下肢義足なんだ。伊集院さん、障害年金の振り込み日まで部屋にある米を炊こう。そして塩むすびを作りましょう!」
再びセコンド鈴木の力強い促しで引っ込む利用者さん。
またしても私、何も出来ず。
戦い敗れて。
真っ白になって項垂れてると空色のポロシャツに真っ赤なアクセントが広がってく。
ポタ、ポタ、ポタポタポタッ。
「血液汚染はアウトだ。瀬見くん」
鈴木さんに事務所追い出されちゃって仕方なくトイレに駆け込む私。
仕事中に鼻血って。
アレ? 意識が……
アレアレアレアレアレアレアレアレアレアレ
「へ?」
目、開けてるのに何も見えない。
真っ暗だから? 周りキョロキョロしてみる。
一筋の光も差さないトコに居るとサ。
自分が目、開けてんのかさえわからなくなる時ってあるよね?
今がそれなんだと思った。
時間だけが過ぎてく。
何度か目をパチパチしてみた。
確かに何か見ているよーな気がする。
そんでもって……少し退屈してきたかも。
「あ!」
いきなり地面が崩れ落ちる。
イヤ、そうじゃないな。
感覚が戻って来た? 自分、立ってるよって感じ。
微かに車のエンジン音や歩行者信号のピヨピヨピヨが足元から湧いてくる…………
私、六階の物干し場に突っ立ってた。
周りは高い金網フェンスで囲まれてる。
確か飛び下り防止の為だったっけ。
あー! 各階台所で使う布巾類が干しっ放しじゃん。
昨日の遅番職員、取り込み忘れやがってぇ。
それらを回収しようとした私は。
ガチで心臓止まった。
物干し場にはもうひとり人が居たから。
佐部昼人が外の景色を眺めてた。
例によって白スウェットの上下で。
止まったハズの私の心臓。
この高鳴り。
それではまた…