2-40.【フィエエルタ】人でなしが恋を語る話
今日の午前はククちゃんに楽器を教わっていた。
コバタがククちゃんに甘えているのを見て強くショックを受けたこともあったが、今となっては気持ちが分かる。……やはりククちゃんはいいよね。いい。
言葉が通じないから手取り足取り教えて貰うのだが、優しく手を握ったり目を合わせて導いてくれる。その包容力は確かにすごい。
わたしとコバタの間に子供が産まれたとして、ククちゃんほどの完璧さは求めてはいけないだろう。それはきっと負担になってしまう。
……早く子供が欲しい。家庭を作りたい。そう思う。
きっとわたしの子供だって、ククちゃんに楽器を教えて貰ったら楽しいと思う。いや、個人の向き不向きあるから強制しちゃダメだけど。
でもククちゃんは『砂漠向こう』のお姫様。……それでも、ずっと近くにいて欲しいなぁ。帰っちゃうとかどこか行っちゃうのイヤだなぁ。
メルスクさんに呼ばれて仕立て室を訪れると、彼女は平伏してわたしを迎えた。
「フィエエルタ様、下女風情がお呼び立てするなどという失礼をどうかお許しください」
「初手でその姿勢だと困りますからやめて下さい。ほら、あちらの椅子に掛けて。
メルスクさんにはお世話になっている部分も大きいですし、そのように謙られてはかえってこちらが気まずいですから……」
確かにわたしはメルスクさんが行なった策略に対して思うところはあるものの、彼女を嫌えそうになかった。アーシェ様と同じく『恋と戦争はルール無用』という原則に従った行動を取ってしまう女性というのは思ったよりいるものだ。
……いや、そもそもわたしだって、ララさんにコバタを取られそうな気がして温泉付きハイキングで強奪したと言えなくもない。人ばかり責められはしないのだ。
「それで、ご用件は何でしょうか。穏便な内容だと良いのですが」
「やや不穏となります。
……先日、サアカスにてコバタ様に口付けた道化ですが、どうやらあれはパフォーマンスの一環ではなかったようで、大層難儀な恋に焦がれております」
メルスクさんは『真面目な大人女性の声』に切り替えて話した。……声質変えて遊ぶの好きなのかな。それとも深刻さを伝えたいのかな。どっちだろ。
「……穏やかじゃないですね。
わたしの婚約者はどーしてこーも、女性関係の派生が出てくるんだろ……。
それで、道化師さんはどんな様子なんです?」
「さて『恋に盲いてメシ要らず』とは何の劇のセリフでしたやら。そんな有様でロクロク食事もノドを通らない様子です。
最近は『恋の嵐』やら『恋の火災』やら『恋の病』やらといった、災害人災疫病が彼女の詩を支配してしまっているのです。これはどうにも上手くありません。
何とか厄を鎮め、恋の呪いを御祓いして事故物件を復興させねばなりません」
なるほど、言いたいことは分かった。……また、増えるのか。まぁ闘技場でのキスシーン見た時点で、わかってた。
「ウチのコバタがご迷惑を振り撒いてしまったようで申し訳ありません。
しかしてコバタは女難の相でもあるのかな。多すぎるよ」
「失礼ながら、女難の相はフィエエルタ様にもあるのかと。
思い悩むはコバタ様もそうですが、正妻となられる貴女様も同じくです。要は女難が足し算どころか掛け算となって降りかかっていると見るが良いでしょう。
なぜなら、ご夫婦なのですから。一蓮托生の身なのですから」
メルスクさんはちょっと気の早いことを言ってくる。正式に夫婦となるのはコバタと子供が出来て結婚成立してからだ。
……だが、そう言ってくれるのはまんざらでもない。コバタのプロポーズの言葉だって最初は『結婚しよう』だったし、あれは嬉しかった。
「それもそうですね……。正妻となるわたしにも、か……。
……わたしも、道化師さんの様子を一度見てみたいです。ご案内をお願いしてもいいですか」
「喜んでご案内させて頂きます」
「あ、ちょっと支度しますね。
今の服のままじゃ、帝都を出歩くのは恥ずかしいので」
「では、御仕度のお手伝いを」
「あー、あんまり着るのに難がある服じゃないので、大丈夫です。
ちょっとメルスクさんにお願いがあります。
あまりわたしに使用人として振舞われると困ります。田舎から出てきた農村の子なので、正直ちょっと対応に困っちゃうと言いますか……慣れないので」
「わかりました。それでは乗り物の手配をしてまいります」
メルスクさんに案内されて、わたしは道化師さんの居るという館に向かった。なんでもメルスクさんのご実家が持っている建物とのことだ。やっぱメルスクさんって徒弟修業に来ているだけで、実家が太い御令嬢なんだなぁ。
昼過ぎに着いた先は、帝都内一等地の差し押さえ物件だった。なんでそれが分かったかというと扉に張り紙がしてあったからだ。
なんか不思議なとこだ。一等地で他は人通りも多いのに、ここの周辺だけ人の寄り付かぬ雰囲気の場所。
午前は晴れていたのに、今は薄曇り。なんか余計に寒さを感じる天候。
……メルスクさんはコバタを策略にかけた前科がある。わたしは警戒心を持ってこの館に入らねばならぬことを察していたので、クィーさんにコッソリついて来て貰っている。
もしメルスクさんが何か企んでいるなら、保険なり牽制なりは必要だ。
道化師さんは大食堂の端に作り付けられたカウンターバーで頬杖をついて黄昏ていた。物思いに深く耽っているらしく、わたし達が来たことに全く気付いていない。
これは尋常なことではない。道化師さんは戦闘訓練を受けている。そんな人が警戒心を全て投げ捨てて、一般人以下の状態になっているというのは……心の乱れ様はかなりひどいようだ。
彼女は何やらブツブツと呟いている。うーん、声をかけるのにも機を見計らねばならなそうな感じなので、ちょっと聞き耳を立ててみるとしましょう……。
「斯く熱情は行く手を阻みし風雪の如く。
吹く劣情はかの声を夢見し一節の余毒。
焦がれ爆ぜて狂しきを、どう秘すれば。
木枯れ消えて愛しきよ、もう押さえが。
骨も中身も血道を上げての痛苦に塗れ、
業も罪もこの身に受けての責苦に溺れ、
疲れ病みて甚だしきを、どう過ごさば。
…………あ、あ。……、……違う。
…………………ううう。
ああもう駄目。
せつなくて寂しい。
私は愛を受けられない。
私は笑いかけるに値しない。
私は好機を得られぬ意気地なし。
好機など、そんなものありやしない。
馬鹿な道化め、愛されるなど身に過ぎて。
お前はまさに笑いもの。
お前は取るに足らぬもの。
お前は人でなしなんだもの。
一人指先、想いてみれば浅ましく。
一人想いて、舌を這わせて思い出す。
一人探りて、隠れた心の紅色しとどに。
一人吐息を、寝屋の掛け布隠してみれば。
一人遊びは虚しくも、今度は心で言葉遊び。
誤魔化すほどに浮き上がる。
胸のつかえがとれたなら、それは空虚な穴となる。
頬の肉さえもういらぬ。
笑いかけるに及ばない。
舌を噛み切りもう黙れ。
腹を押し付け絞り出せ。
上にも下にも血反吐を出して、潰れ消えるが善き事と。
嗚呼、生きるは無為。
こんな、肉差しも匙もない晩餐への招待。
涎が滴り落ちるとも、舌には決して届かぬ夕餉。
犬食い、手づかみ、浅ましく、食らうを畏れて空きっ腹。
喉を通るは言葉だけ。
胸を満たすは想いだけ。
ああ! ああ! ああ! ああ!!
なんでこんな思いをしなくてはならぬ。
微笑みかける女が憎い、微笑み返す彼さえ憎い。
ああ、そんな、なにも関係もない私に憎まれるなんて。
なんて不条理、私が憎い。
こんな身の上、あいつが憎い」
……要するに、道化師さんは恋を唄ってはいるものの、それは明るい性格のものではなく、思い詰めて苦しみ病んでしまうタイプのようだ。
恋を成就させ幸せに浸ることがクスリになるのかもしれないが、彼女はどうやら気持ちを消す方向に考えている御様子。
……治すんじゃなくて我慢しようとして、結果として病状が悪化している。早めの診断と治療が出来ないタイプの患者さん。
なるほど、恋患い。これはひどい。
「お分かり頂けましたか、あんな調子なのです」
メルスクさんはため息でも吐きたそうな口調だった。……確かにあんな風になられちゃどう対処していいか困るよね。
「……ホント、わたしの婚約者はなんなんでしょうね。
うー……。
……わたしはコバタを、どこかに閉じ込めておくべきだったのかも知れない。そんな風に思えてきました」
「監禁ならお任せを。奥方様」
わたしは意外な言葉を聞き、耳を疑った。
「……! メルスクさん今なんて言いました?」
「監禁なら、お任せくださいませ」
「いや、そっちじゃなく」
そう、監禁だのどうのはあんま重要じゃない。重要なのはもう片方。
「……奥方様。コバタ様の奥方様。フィエエルタ奥方様。
ええ、我ら側女はそのことをよく理解しております。フィエエルタ様こそ、奥方様であると。コバタ様の伴侶であると。
つまり、夫の女性関係については何よりフィエエルタ様……奥方様の判断が重要となります。家を取り仕切る方のお役目にございます」
コバタの管理……メルスクさんはそれを『お役目』と言うのか。
わたしの役目、役目か……。
『家を取り仕切る』つまりは『家族を形成し管理する』。
…………家族。わたしの周りに、近くにいてくれる人たち。
……これまで口約束でしかなかった『婚約』は今、形となって自分の指にシッカリと嵌まっている。コバタから贈られた『婚約指輪』。
わたしは天啓を得た気持ちになった。
そー言えばわたしは、コバタに対して嫉妬したり何やらばかりで、管理をしていこうとは考えていなかったかも知れない。
ララさんを議長とする会議で『コバタの負担を軽くしていかねばならない』との合意が出されたが、本来あれは『奥方様』であるわたしの取り仕切りで行なわれなくてはならなかったのではないか。
わたしの婚約者。やがて結婚する相手なのだから、その『どうしようもない性質』については、わたしがどうにかするしかない。
ララさん、アーシェ様、クィーさん、ククちゃん、メルスクさん。……こうして考えると、嫌いな相手がいない。いや……近くにいて欲しい人たちばかりだ。
わたしの夫に懸想する女性たちではある。確かに思うところはある。……だが、一人として『いなくなって欲しい』などとは思わない。
わたしは彼女たちに『いて欲しい』のだから。
なら……もう、片田舎の村長の孫娘として振舞うわけにはいかない。夢見る小娘ではいられない。家族を形成する責任ある立場……それが奥方様だ。
わたしは初めて『奥方様』としての言葉を発した。
「……メルちゃん。あの子は貰います。ウチの子にします。
あの子は近頃ずっとここにいる感じ?」
「ええ。このうらぶれた雰囲気が今の心境に適うようです」
「コバタを……わたしの夫を連れて来なさい。
わたしの夫には、女の子をあんな風にして放っておく男であって欲しくない。ちゃんとウチの一家に引き入れてあげなくてはいけない」
「御命令のままに。奥方様」
メルは思った。『あの子』と奥方様は言うがレルリラは23だ。顔の造りが若く、細身なせいでそうは見えないが奥方様よりだいぶ年上だ。それを伝えたものだろうか。
……まぁ、別に構うことはないか。自分も『メルちゃん』扱いだし。
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