2-20.【ケルクキカ】傾国姫/【マファク】法となる者/【レインステア】堤となる者
泥のケルクキカ、敵国フォルクトを傾けた姫、傾国姫と呼ばれた。
……あまり嬉しいものではなかった。それは騙された結果の、愚行の末に付いた名だったから。どうにも、莫迦にされているように感じてしまう。
我らがウイアーン。我らが領土。我らが臣民。
それらのどれをとっても、大切で維持していけなければならないものだ。どれだって害されたくはない。私は生まれ育ったこの国が好きなんだから。
でも、たまに。
好きな果実を齧ってみたら種を思いっきり噛んでしまったみたいに。香り高く感じた果実を齧ってみたら酸っぱく腐っていたりするように。
イヤな企みに引っかかってしまうこともあるのだ。
13年前。まだ若き私。
誰よりも優れた者であると思い上がり、自分の判断は間違っていないという過信に満ち溢れていた頃のことだ。
いつもなら小競り合い程度の対フォルクト王国の前線。そこで大規模な軍事行動があるとの情報。国を脅かす外敵の情報。
優れた魔法の才を持った私は、ある家臣から進言を受け、それに対処することを決めた。……今はいない人間、おそらくはあれが密偵。
今にして思えば、あんなもの適当にあしらえなくもないのだ。前線の城は堅固であるし、居場所を確保したい兵士たちは敵の侵入を許さないことで、その有用さを示したかったことだろう。
もともと、フォルクトとの小競り合いなど、常備軍を維持する財源確保の名目と、国内の不満を逸らすための体のいい話題作りの道具に過ぎなかった。
そこで勝った負けたをすれば、民衆はそこに熱中する。上層が調整して勝敗を演出する場でしかない。あんな北の小国など、帝国に仇なすほどのものではないのだ。
私は、その均衡を崩してしまった。
……フォルクト軍が渡河を開始。私の才覚、誰よりも早く強大な魔法。それに加えての『滅心の恍惚』を用いた高度な魔法親和状態。『相殺』対策に用意された瓦礫や丸太もろとも、それを押し流していく私の魔法。
濁流。泥に飲み込まれる兵士たち。夥しい死。
あれ以来、フォルクト王国は滅茶苦茶になった。王侯を含む多数の死、軍事力の低下、それに伴う責任問題、求心力の低下、民心の乱れ、暴動、邪教の蔓延。
ウイアーンからしても、私の行動は望ましくなかった。
占領した土地を治めるにも多大な苦労を要する文化的差異。手に入れたところで経済的にお荷物。国に組み込んでも『元フォルクト』の新たな被差別民を誕生させ、社会的混乱を呼ぶだけ。将来への多大な負担。
軍費を無理に削って調整を行なわなくてはならなくなった。常備軍への歪み。それに伴う不満の噴出。
世の中に力ある者が現れたとて、それが愚かだったなら、世の中を良い方向に導けはしない。……私がそれを実証した。
傾国姫とは『フォルクトを傾けた英傑の姫』という尊称として使われる。だが私には『自らの国まで傾けてしまった愚昧の姫』としか聞こえない。
あれ以来、政治や後継の育成に関わることをやめた。私は物事をダメにしてしまう傾国姫だ。自死も混乱を呼ぶだけ。なら、このまま孤独に死ねばよい。
さて、私の顔に泥を塗った男は、今は何を企んでいるのやら。
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いつも思い出すのは、子供の頃見た理不尽の現場。
市場から、一人の飢えた男が小さな果物を盗んだ。
周囲の人間はそれをひっ捕らえ、殴っては蹴った。
彼は死んだ。
ぼろぼろ服のみじめに痩せた中年男。
よく見てみれば、彼の脚には戦傷。義足であった。
彼はかつては、国を守る人だったのだ。
やせ衰えるまでの苦難が無ければこうはならない。
この歪な国の搾取が無ければこうはならない。
私は彼を哀れんだ。
彼は、道を誤ったとはいえ、ひとりの人間なのだ。
あの小さな果実より無価値な命とは思わなかった。
少額の窃盗において適用される罰は、鞭打ち刑だ。
なのに彼らは死ぬまで罰した。刑吏でもないのに。
つまり。
世の中など、このようなものでしかない。
何をやってもいいのだと、子供心に学んだ。
世の中とは楽しい。不正を是正するために何をすべきか思案した。
世の中とは楽しい。民衆は空虚な言葉を喜ぶという事を発見した。
世の中とは楽しい。組織というものを昇り詰める方法を見付けた。
世の中とは楽しい。開戦という愚行を行なった国賊共を煮殺した。
世の中とは楽しい。事態を収拾するため、敵国と密約を行なった。
世の中とは楽しい。敵と敵が争うようにすれば此方は傷付かない。
世の中とは楽しい。敵派閥の長は、私が秘かに送り込んだ腹心だ。
世の中とは楽しい。理不尽に死ぬ人がないよう、法を厳格化した。
世の中とは楽しい。敵に有能な王がいるなら、除けばいいだけだ。
世の中とは楽しい。愚かな思想家は、仮想敵国に送り込むに限る。
世の中とは楽しい。美しいだけの石礫が人を肥やす糧となるのだ。
世の中とは楽しい。愚か者をそそのかせば、それだけで国が傾く。
世の中とは楽しい。法を統べる側になってしまえば、民の心さえ救える。
世の中とは楽しい。ちょっと口を開いて音を発すれば、生き死には自在だ。
世の中とは楽しい。何をやってもいい。好きなように生きていいのだから。
世の中とは楽しい。倒すべき相手がいる。彼ら、彼女らは愛すべきものだ。この世界を退屈にせず、まだ遊べる世界だと気付かせてくれるから。
世の中とは楽しい。ペリウス共和国という名の玩具箱。そこから兵隊玩具を引っ掴んで、いろんなところに投げてする遊び。法将マファクという名を使ってする遊び。しかも、後片付けなんぞ必要ない。気楽なものだ。
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ヨチカ王は、素晴らしい方だった。彼に付き従えば明るい未来が開けると感じた。それは今も変わりない。そうなったはず、と信じている。
王はあのとき、27だった。今となっては随分年下になってしまった。かつての若い近衛兵に、随分と目をかけて頂いた。
まだ幸せだったころ。王は21。初子の姫君が御生まれになったときを思い出す。御妃様ともどもにお目にかかり、まだ幼い姫君を抱擁する栄誉まで頂いた。
「この子が君の、生涯に渡って守るべきあるじだ」
頂いたこの言葉を、私は今でも忘れない。しかしそれを行なう舞台であるはずの国は呆気なく崩れた。
暗殺。防衛戦からの帰り道。深く領土の奥に入り、気が弛んだところを見計らった襲撃。あれは間違いなく法将マファクが手配した暗殺者だろう。
乱れる国、逃げ出した御妃様と姫君。あの過剰な混乱さえも、内部に送り込まれた扇動者の仕業であることを突き止めた。
次々と行なわれる『王血狩り』を阻止できなかったのは、自身の非才と求心力の無さを痛感させた。
一からのやり直しだった。改めて兵の心を掴めるよう努力した。この国を守りたいと思う者を組織し、訓練し、あるいは呼び寄せた。
あるとき出会った体格のいい木こり、ムーレー。それを軍に誘い入れて育てて、今は押しも押されぬ戦場の花形だ。
タッセにおける逆転勝利を喧伝し、諸外国から兵を集めて組織する。いつしかヨチカ傭兵団と通称されるようになった。
まだ守れる。まだいくらでも守ってみせる。この舞台が残っている限り、王血を持った姫君が御帰りになられる可能性は消えないのだから。
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